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もっと自由に音楽を聴いている人で、すごく影響を受けましたね。(小西)

―ここからはまったく話題が転換していきます(笑)。小西さんのファッション遍歴をお伺いしたいのですが、若い頃からファッションに興味とかはありましたか?

小西:やっぱり、自分でお小遣い持って洋服買いに行けるようになったのは高校時代ですねー。

―海外のミュージシャンとか、何か参考にしていた人や物はあったりしました?

小西:んー、僕らの頃はやはり雑誌の「メンクラ(Men's Club)」ですかねー。

―地元が北海道だと、なかなか雑誌を読んで欲しい物があっても、たどり着かなかったりしたのでは?

小西:そうですよね(笑)。でもね、〈コンバース〉や〈ケッズ〉のスニーカーが手に入らなくても、〈リーガル〉のショップはあったんですよ(笑)。それが地方都市。なんかね、高校時代は長髪だったんですが、意外と洋服が似合わない(笑)。そういった意味では、服装はダメなバンカラって感じでしたね。

―確かに、長髪はスタイルが限られてきますもんね。

小西:それがね、大学に入って1年生の夏休みに髪を切ったんですよ。青学だったんですけど、そしたらスゴイことがあって。夏休み明けに登校したら、自分は髪切って変わったなと思っていたら、女の子たちはもっと変わっていたんですよ!(笑)

―と、言いますと?(笑)

小西:いやー、全員ハマトラになっていたんですよ。 みんなハマトラ。

―なるほど、スタイルが変わってるんですね。

小西:あれには本当に驚きましたね。でね、男も何人かハマトラになってたんですよ。彼らのことはすごい軽蔑したけど(笑)

―(笑)

小西:それで、「ポパイ」とか読んでて、東京にいたというのもあったのですが、渋谷のミウラとかビームスで買い物をするようになったんです。当時すごい仲が良くて一緒に遊んでもらっていた若林さんという、かつて70年代に高田渡さんなんかと「武蔵野タンポポ団(注2)」というバンドをやっていた方で。その方に音楽のこととか色々教えてもっらってたんですけど、それ以上にファッションのことも教えてもらいましたね。

―そうなんですね。

小西:そしたら、その人がある日、すごい面白い人がいるからって僕に紹介してくれたのが、当時まだビームスで販売員をしていた、現ユナイテッド アローズの栗野さんなんですよ。

―これまた面白い巡り合わせですね(笑)

小西:栗野さんところに洋服買いに行くんですけど、当時はお金がなかったんであまり買えないんですよ。でも、接客の間に音楽の話をよくしたんですよ。その経験はすごく新鮮でしたね。というのも、僕は音楽サークルにいたし、回りには音楽をやってる人やアマチュアのミュージシャンもいっぱいたんです。でも、そういう人たちとは全然違う聴き方をするんですよ、栗野さんは。

―まさか、小西さんからそんな秘話が聞けるなんて...

小西:もっと自由に音楽を聴いている人で、すごく影響を受けましたね。僕も音楽の知識は誰にも負けていないつもりだったので、当時は生意気言ったかもしれませんが(笑)。ピチカート・ファイヴのデビューシングルを出したときには、高橋幸宏さんや細野晴臣さんに混じって、栗野さんにも推薦文をもらってるんですよ!

―えーっ!

小西:栗野さん、そこにはけっこう褒め言葉ばっかり書いてくれたんですけど、実際あとで話したら、なかなか厳しいお言葉を...(笑)

―実はこの間フイナムでも、栗野さんの丸の内ハウスでやっていたイベントにお邪魔しまして...

小西:そうそう、それをフイナムで見て、「あー、No Nukes(注3)持ってるよ」って思いましたよ(笑)。ほんと、今でも尊敬してますよ、ほんとに。栗野さんにも送りたいと思ったんですよ、今回のアルバム。でも、お金持ちだから買ってくれ、と(笑)。

―あれをご覧になっていたとは! 今でもユナイテッド アローズやビームスなどのセレクトショップでも買い物したりするんでしょうか。

小西:いや、最近は全然(笑)。東京ではここ10年くらい買ってないかもしれないです。

―洋服に興味がなくなってしまったんですか?

小西:いや、洋服は興味あるんですが...国内は、ヤフオクですかね、恥ずかしい(笑)。

―(笑)

小西:あとはほとんど海外に行った時に買いますね。でもね、ほんと去年、このアルバムを作っている時に、僕の仕事場のすぐ近所に古着屋ができたんですよ。僕らの仕事はだいたい夜の12時くらいに終わるんですけど、仕事終わったあともまだ開いてるんですよ。

―最近はそういう深夜営業のスタイルを取るお店も増えてきていますよね。

小西:値札がないものはすべて500円って書いてあるんですよ。迷わず買っちゃうんですよね(笑)。じつは、このレコーディングの間は、けっこう買い込みました。

―じつは国内で買っていたんですね(笑)
















































(注2)武蔵野タンポポ団
71年、吉祥寺のライブハウス「ぐわらん堂」に集まるミュージシャンらがメンバーによって形成されたジャグ・バンド。フォーク・シンガーの高田渡やシバなどが中心。


































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(注3)こちらが話題にもなっているフイナムのスナップに掲載された、UA栗野さんの1枚!手に持っているのは、79年に世界中のミュージシャンたちによって開催された反核活動「No Nukes」の"MUSE concert"のレコード。