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蔡俊行フイナム発行人ファッション関係のマーケティング全般に関する仕事が主業務。WEBマガジン「フイナム」の発行主。

代官山通信

蔡俊行
フイナム発行人

ファッション関係のマーケティング全般に関する仕事が主業務。WEBマガジン「フイナム」の発行主。

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青いユニフォーム

2010.06.29

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 今日はサッカーの話題で世の中持ちきり。今日くらいはあの青いユニフォームを着て街を歩いても温かい目で見られると思う。しかし。うちの会社には青いユニフォームを着ているスタッフがひとりもいない。これまでなら誰か(自分も含め)着ていたのに。聞いてみると誰も買ってないという。ああそうか。大会前あれだけ盛り下がってれば準備する気持ちも萎えるだろう。まさに自分がそれなんだが。

 しかし思い返すと、ワールドカップの度にアディダスさんと何かのお仕事とかがあって、ユニフォームを貰っていたような気がしないでもない。気のせいかも知れない。ともかく4年前までのユニフォームは、アディダスになってからずっと持っている。

 ちなみに日本代表のユニフォームがアディダスになったのには諸説ある。ぼくが聞いた話では、02年大会の前にナイキとアディダスの一騎打ちになったとそうだ。まずナイキのフィリップ・ナイト会長が日本サッカー協会にプレゼンに来て、アメリカナイズされたスティーブ・ジョブス並のワンモアシングな提案をしたそうである。もうそこで勝負は決まりつつあった。

 しかしアディダスは最終兵器としてベッケン・バウワー氏を召喚。並みいるサッカー協会も雲の上の存在を目の当たりにした途端、結論が出たという。かくしてアディダスが日本代表のユニフォームの公式サプライヤーになったのである。真偽は定かでないが。

 それにしてもあの93年ドーハの悲劇のユニフォームと94年のフランス大会初出場のアシックスのユニフォームは微妙であった。特に後者。肩から二の腕のところに炎の柄がプリントされていた。好みだがぼくはうーむと首をひねった記憶がある。94年の満艦飾の方も微妙だが、まだマシだったと思う。

 それがアディダス製になってずいぶんカッコ良くなった。毎年か2年毎に変わってアディダスのユニフォームは現在が確か7代目。でもぼくは02年の日韓ワールドカップのデザインとカラーリングがいちばん好きだ。花紺のベースに肩に白の三本ライン。ラグランの縫い目に沿って赤いパイピングのようなライン。当時これを着て1ヶ月間ロクに仕事もせず日本全国サッカー観戦の旅に出ていたので余計に愛着がある。いまだに代表戦を応援するときには歴代のユニフォームからこれを選んで着る。

 もちろん今夜もクロゼットの奥に仕舞われているユニフォームを探して観ようと思う。これまで3戦、一度も着なかったユニフォームを。

 でもこれまで何もやらなかったの急に態度を変えた途端、思わぬ結末になってしまうということもある。ぼくのジンクスくらいで結果は影響しないと思うが、いま日本中がそんな恐る恐るな気持ちではないのか。

 風呂には左足から入る。パンツは右から履く。歯ブラシは左下の奥歯から磨く。ルーティンを大切にしよう。

 ともかく。勝ってくれ。

Comment: 1

ベッケンバウアー氏は、私の勤めている会社で
「別件」のダジャレ定番としても活躍されています
ちなみに「寒い」ときはサミーデイビスジュニア・・・くだらないコメすみません


炎のプリント、初期のJリーグを彷彿とさせます

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