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川田十夢公私ともに長男。「AR三兄弟の企画書(日経BP社)」、「ARで何が変わるか?(技術評論社)」、TVBros.連載「魚にチクビはあるのだろうか?」、WIRED連載「未来から来た男」、ワラパッパ連載「シンガーソング・タグクラウド」、エンジニアtype連載「微分積分、いい気分。」など。発明と執筆で、やまだかつてない世界を設計している。https://twitter.com/cmrr_xxxhttp://alternativedesign.jp/

青雲、それは君が見た光。

川田十夢
公私ともに長男。「AR三兄弟の企画書(日経BP社)」、「ARで何が変わるか?(技術評論社)」、TVBros.連載「魚にチクビはあるのだろうか?」、WIRED連載「未来から来た男」、ワラパッパ連載「シンガーソング・タグクラウド」、エンジニアtype連載「微分積分、いい気分。」など。発明と執筆で、やまだかつてない世界を設計している。
https://twitter.com/cmrr_xxx
http://alternativedesign.jp/

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「ものを作らなソンやと思わへん?」から始まる「虚業」について

2011.01.22

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始点終点というカテゴリで、久々に書いてみたいテーマが見つかりました。

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始点:「ものを作らなソンやと思わへん?」

宮本茂上田誠が公の場で対話をするということで、興味があって出掛けました。この両雄、フイナム読者にとって必ずしもパブリックな存在ではないと思うので、まず僕が認識しているお二人について紹介しておきます。

宮本茂は、任天堂の偉い人です。同社がゲーム事業に大きく関わるようになったキッカケとなった作品、『ドンキーコング』、『マリオブラザーズ』、『スーパーマリオ』など、数々の名作ゲームを生み出した「現代のビデオゲームの父」と呼ばれる人です。横井軍平がハードの発明家だとしたら、宮本茂はソフトの発明家なのだと思います。
上田誠は、ヨーロッパ企画という京都を拠点として日本全国で公演を繰り広げている人気劇団を主宰している人物です。彼の描く舞台は、演劇の枠に収まらないプロトタイプ的な作品が多く、『サマータイムマシン・ブルース』や『曲がれ!スプーン』(原作『冬のユリゲラー』は映画化され大ヒット。『四畳半神話大系』では原作ありきの作品の脚本を手掛け、アニメーションに会話と間でリアリティを与えるという偉業を成し遂げました。

この両者の共通点、実はゲームにあります。上田誠さんは実際、中学1年から高校ぐらいにかけてゲームを作っていた時期があるそうです。僕は彼と一度公に対談をしたり、何度かプライベートでお会いしたりで対話を重ねているのですが、このゲーム開発の経験が他の劇作家との違いであり、ヨーロッパ企画の個性であると僕は捉えています。ゲームを作るように演劇を作ってきた上田さんが、現代ビデオゲームの父である宮本茂さんとどんな対話を繰り広げるのか。興味の焦点は自ずと絞られました。以下は、僕が壇上の対話を即時的にtwitterで実況したときのログに、テキストとして読み直したときに必要な最低限の表現を足したものです。記憶が必ずしも正しいテキストを導かないこともありますので、あくまで僕のフィルターを介した上での記録だという前提の元でお読みください。

宮本茂のゲームの考え方について
上田:「実際、どうやってアイデアをまとめて、ゲームを作ってゆくのですか?」
宮本:「断片的なアイデアの固まりが得体の知れないものになってから、余分な枝葉をなくす作業をする感じです。上田さんはどうですか?」
上田:「僕は制約から考えることが多いです。例えば大きな門を中央に置いてしまうと、役者が後ろ向きになってしまうでしょ。それで成立する舞台を考えます。」
上田:「隠されたデザインの工夫は?」
宮本:「右に進めばクリアになるルール(スーパーマリオ)を作ったあとに、クッパを橋の下に落とすアイデアが生まれました。あと、七匹もクッパが居たらオカしいとかね。偽物としてゲッソー出したり。そういう、後でオカしい部分を整えてゆく作業も楽しいです。」

上田誠の舞台の考え方について
宮本:「サマータイムマシンブルースでテレビのリモコンでクーラーを付けようとした瞬間、あれは凄いと思った。」 「上田さんは脚本書いてはりますが、きっとお客さん目線で作ってますよね?」
上田:「役者が(舞台が)高すぎて怖いと言っても、全然関係ないですからね。そこはお客さん目線で考えてます。舞台都合でできないこととか、お客さんにとってはどうでもいいことですから。」
宮本:「そこは僕も同じだな。ゲームをプレイする人のことを常に意識してます。」

アイデア発想から制作までのプロセスについて
上田:「アイデアは一人で考えるタイプですか?」
宮本:「ブレインストーミングみたいな手法は疑っていて、考えを詰めて強いアイデアを持つ一人が引っ張ってゆくべき。枝葉をつける時は有効。」
上田:「どういう時にアイデアが浮びますか?」
宮本:「凄くつまらないものを見た時に、アイデアが浮かぶ。なんでこんなつまらないもの作ったんだろうって(笑)」
上田:「僕らも、(ヨーロッパ企画結成当時は)○○大学劇団の悪口ばっかり言ってました(笑)」
上田:「ゲーム制作が暗礁に乗り上げてしまうときってありますか?」
宮本:「バックアップはとってあるので、何処がマズかったのか、分かるところまで戻す作業をします。」
上田:「それは僕も同じです。台本を何度も書き直しているうちに煮詰まって、結局初稿の方が良かったということがあります。」

ゲームの未来について
上田:「ゲームを作りはじめた頃、ゲームの未来が今のようになると予想してましたか?」
宮本:「ハードがなくなる世界は予想してました。任天堂がこんなになるとは予想してなかった。今もまだまだやれる事があると思ってます。」
宮本:「たとえばNASAが、ゲーム的な発想を欲して聞きに来ないかなとか。賢い人ばかりでは、分からないものがあると思います。」

以上の対話がなされたあと、このイベントのテーマでもあった「ものを作らなソンやと思わへん?」について宮本さんがまとめて終了。会場には、クリエイターとかプロデューサーとか言われる人々が多く席を埋めていることもあり、宮本さんの最後のメッセージ「例えば、何かを見ているとき。ただ見ているということはなくて、どこかで自分ならどうやって作るかなみたいなことを考えている。それを何もしないまま捨ててしまうのはもったいない。ものを作っている人も、そうでない人も、何かを自分が作れるということを知って欲しいし、挑戦して欲しい。」も響いている様子でした。

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終点:「虚業」

前日に前述のイベントを観て、頭の中で蠢く何かを気にしながら続けざまに観た舞台がこの「虚業」です。奇しくも、ヨーロッパ企画の俳優永野宗典が作・演出・主演をつとめるというこの作品。僕は永野宗典という個性を、完全に俳優として認識しており、AR三兄弟と共演したトークライブの時の印象も、「一流の俳優さんは、笑いに関しても振れ幅ヤバいんだな〜」程度のものでした。何かを作る人というフラグが、僕の中で立っていなかったのです。それが、この舞台を観て一転、永野宗典という個性と、ものを考えて何かを作る人というフラグが結びつきました。そしてその瞬間、上田誠宮本茂のそれぞれの言葉が蘇りました。

上田誠:「役者が(舞台が)高すぎて怖いと言っても、全然関係ないですからね。そこはお客さん目線で考えてます。舞台都合でできないこととか、お客さんにとってはどうでもいいことですから。」

宮本茂:「例えば、何かを見ているとき。ただ見ているということはなくて、どこかで自分ならどうやって作るかなみたいなことを考えている。それを何もしないまま捨ててしまうのはもったいない。ものを作っている人も、そうでない人も、何かを自分が作れるということを知って欲しいし、挑戦して欲しい。」

今まで、作家視点のメタ構造作品を見た事はありました。そして僕はそれを好む傾向がありました。ジョン・アーヴィングガープの世界スティーヴン・キングミザリーチャーリー・カウフマン脳内ニューヨーク、全てが作家視点で紡ぎ出された物語でした。しかし、この虚業は違いました。俳優永野宗典が、俳優永野宗典の視点で、俳優永野宗典のまま、自らの現実を舞台で演じ上げることで、初めて成立する説得力と衝動に満ちていました。そして何より、分かりやすかった。考えてみれば、役者はプレイヤーであり、インターフェイスでもあります。ユーザーであるところのお客さんに最も近い位置にいる。もしかしたら、難しいテーマをしっかりおもしろく伝えることが出来るのは、その言葉選びをできるのは役者なのかも知れない。物語を演出するのも、結論付けるのも、必ずしも徹頭徹尾演出家がしなくてもいいのかも知れない。時には、プレイヤーとユーザーに結論さえ委ねてしまう、それも今この時代の時代性に準じた表現のイチ形態なのではないか。僕は今回の始点終点を以て、そんな帰着を得ました。

始点で紹介したイベントの後、上田誠さんにこんな質問をメールで投げました。

川田十夢:「宮本さんも、上田さんも、プロトタイパー気質だし、共通項多いし、違うのは年齢と出力方法だけかなという印象だったのですが。でも、逆に。全く違うところを挙げるとしたら何だと思いますか?」

上田誠:「おこがましいことですが、違うところは、やっぱり自分は「言葉」でなんとかしようとしてるところが多いのですが、宮本さんは「形にする」ことで乗り越えてらっしゃるなあと思いました。僕はゴタクが多いなと反省した次第です。モノを作るということに専心しないとな、と。」

宮本さんも上田さんも永野さんも、自分の視点からモノを考え続けている。僕は僕の視点から、見えているコトと見えていないモノを、形にしてゆく。必ずしも全く同じモノが見えている必要はないのである。

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