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小西康陽音楽家NHK-FM「これからの人生。」は毎月最終水曜日夜11時から放送中。編曲家としての近作である八代亜紀『夜のアルバム』は来年2月アナログ発売決定。現在、予約受付中。都内でのレギュラー・パーティーは現在のところ、毎月第1金曜「大都会交響楽」@新宿OTO、そして毎月第3金曜「真夜中の昭和ダンスパーティー」@渋谷オルガンバー。詳しいDJスケジュールは「レディメイド・ジャーナル」をご覧ください。pizzicato1.jphttp://maezono-group.com/http://www.readymade.co.jp/journal

小西康陽・軽い読み物など。

小西康陽
音楽家

NHK-FM「これからの人生。」は毎月最終水曜日夜11時から放送中。編曲家としての近作である八代亜紀『夜のアルバム』は来年2月アナログ発売決定。現在、予約受付中。都内でのレギュラー・パーティーは現在のところ、毎月第1金曜「大都会交響楽」@新宿OTO、そして毎月第3金曜「真夜中の昭和ダンスパーティー」@渋谷オルガンバー。詳しいDJスケジュールは「レディメイド・ジャーナル」をご覧ください。
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http://maezono-group.com/
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低血圧。貝殻を売る商売。終わりの季節。

2011.07.29

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むかし、原田芳雄の「レイジー・レディ・ブルース」をオープニング・テーマに使ったドラマがあったはずだ、と思い出したのは、やはり俳優が逝去した直後のことだった。萩尾みどり、という女優が出ていた刑事物ドラマ、とだけ憶えていた。彼女の名前で検索してみると、出てきた。「チェックメイト78」という題名だったのか。鮎川哲也の推理小説を原作に持ち、松方弘樹がヨレヨレのレインコートを着て主演する、刑事コロンボさながらの番組だったらしい。
 
じつは当時、萩尾みどり、という女優の大ファンだったので、この番組を観ていたが、美人女優よりも何よりも、「低血圧なんだよ、あたい。お昼過ぎなきゃ起きられない」、と歌い出す原田芳雄の歌声に強烈な印象を受けたのだった。
 
ずっと後になって、たしか夏木マリさんのアルバムを作るときに、そう言えばあの曲、と思い出して、レコードを取り寄せて聴いてみると、どうも自分の憶えているヴァージョンとは違う。記憶にあるヴァージョンでは、原田芳雄の歌が何の伴奏もなく、いきなり太い声のアカペラで始まるのだった。いま、ユーチューブで検索しても、このアカペラで始まるヴァージョンは見つからなかった。
 
ちなみに、その「チェックメイト78」、という番組のエンディング・テーマは、はっきりと憶えている。エラ・フィッツジェラルドとルイ・アームストロングのデュエットによる「アラバマに星落ちて」 、という曲だった。この番組でその曲を知って、「エラ&ルイ」、という二枚組の高いレコードを買ったのだから。後に自分が選曲した「レディメイド・ディグス・エラ!」、というCDでも、やはりこの曲をラストに収録した。
 

 
すこし前の話。音楽家の松田岳二さんが開いた画廊、KIT GALLERY でシスター・コリータの作品展を観てきた。最終日に何とか間に合ったが、やはり素晴らしかった。作品はどれもカラフルで力に溢れていて、それだけでも十分なのだが、そのどれにも値段が付いていて、購入することが出来るのだ。これはまったく悩ましい。画廊の主人に、どの作品がいちばん好きか、後から尋ねられたが、そんなことはもちろん教えられない。
 
ところで、そのギャラリーのある、原宿の一角のロケーションが素晴らしかった。小雨が降っていたせいで、さらに美しく見えた。1970年代の雑誌「anan」が紹介していたような、懐かしい原宿。懐かしい東京。大学生の頃は自分にも、アンティーク・ショップの主人とか女主人とか、マンション・メーカーのパタンナーとか、輸入レコードの買い付け人とか、働いているのか遊んでいるのか判らない人が知り合いとしていた。いまはそういう人たちをあまり見かけなくなった。
 
音楽を仕事にしている松田岳二さんが画廊を経営する、というのは、なんだか納得出来ることだ。本当は値段などつけようのない物に、取りあえず値札を付けて売る商売。資本主義社会のいちばんこちら側にしか存在しない職業、とも言えるし、道端に並べた貝殻を売る商売にも似ている、とも考えられる。それでも、ロンドンの一角の、ジョンとヨーコが出会ったようなギャラリー、あるいは、ポール・マッカートニーが出資してスタートしたブックショップをつい連想してしまったのは、夏の午後の小雨のせいだったか。
 

 
きのう、渋谷のレコードショップで買い物をして帰宅した後で、レイ・ハラカミさんの訃報を知った。脳出血。40歳、という若さだった。
 
彼と会ったのは、一度だけ。2006年の6月に、パリ郊外にある音楽大学が主催する音楽祭の「日本特集」のような夜のプログラムに招待されたとき、ハラカミさんも一緒で、ご挨拶をして、舞台袖から彼のステージを観ていた。40分ほどの短いライヴで、終わった後で、何かあまり上手くいかなかった、というような事を話していた。朴訥とした、どこか人懐こい話し方で、彼の音楽と通じるものを感じた。
 
とはいえ、そのとき自分が彼の音楽の熱心なリスナーであったか、と言えば、けっしてそんなことはなくて、多くの人から名前を聞くけれど、どんな音楽なのだろう、というような興味の持ち方で、アナログ盤を一枚買ってみた、というだけだった。
 
その後、くらもちふさこ原作の『天然コケッコー』、という映画の試写を観に行ったら、この人が音楽を担当していて、それは意外なほど映画の中の田園風景と合っていた。ギターの音色が人工的にベンドするのが印象的だった。ただし、自分はつねづね、<映画音楽は映画よりも印象に残ってはいけない>、と考えていたのだけれど。
 
それより、やはり2006年6月のパリに、気持ちは戻っていく。このパリへの小旅行のちょうど一箇月後、自分は脳出血(くも膜下出血)で入院したのだ。ハラカミさんの後、自分もDJをして、そのあとパリ市内に戻り、どこかの安レストランで鯨飲したはずだ。頭の中に破裂しそうな血管があることも知らずに。
 
そのとき自分は47歳。自分は一瞬の痛みを味わっただけで、けっきょく今もまだ、生きている。若い音楽家が逝くのではなく、お前が死ねば良かったのに、と考える人も多いだろう。まったく、その通りだと思う。
 
昨夜はハラカミさんが細野晴臣氏の「終わりの季節」をカヴァーしたトラックを、ユーチューブで聴いた。あまりに呆気なく終わってしまうので、けっきょく4回、繰り返し聴いた。<ナタリー>、という音楽情報サイトの、彼の死を報せるページに掲載されていた写真は、たった一度だけお目に掛かったときに感じた彼の人柄をそのまま写しているように見えた。