小西康陽・軽い読み物など。
小西康陽
音楽家
NHK-FM「これからの人生。」は毎月最終水曜日夜11時から放送中。編曲家としての近作である八代亜紀『夜のアルバム』は来年2月アナログ発売決定。現在、予約受付中。都内でのレギュラー・パーティーは現在のところ、毎月第1金曜「大都会交響楽」@新宿OTO、そして毎月第3金曜「真夜中の昭和ダンスパーティー」@渋谷オルガンバー。詳しいDJスケジュールは「レディメイド・ジャーナル」をご覧ください。
pizzicato1.jp
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晩年のマーロン・ブランド。
2011.11.09
急に寒くなったり、また夏のような気温に戻ったり。今年の秋もまた、何を着て外出すればよいのか悩む。ここ数年ずっと、紅葉の時期は12月初めにずれ込んでいる。
先月の終わりに、悪寒と、顔が火照るような微熱を感じた夜があった。
その日は真夜中から出掛けなければならなかったので、近所のスーパーマーケットに行って、2リットル・サイズのスポーツ・ドリンクを買い込み、飲めるだけ飲んで、少し厚着をして二時間ほど眠った。起きたら熱は下がって調子は戻ったが、念の為、クラブにいる時間はレッドブルを飲んで過ごした。
だが、すっかり風邪が治ったか、というと、まだ体調は良くない。ときどき、顔の火照りをまた感じるときがあるだけで、咳も、喉の痛みもないし、鼻水が出るわけでもない。ただ微熱がずっと続いていて、何となくやる気が出ないのだ。
●
とにかく、外出するときは少し余計に着込まなくてはだめだ。薄着で出掛けるから、風邪を引いてしまうのだ。
そして部屋にいるときも、気をつけなくてはいけない。室温の高い札幌に育った反動で、部屋の中の温度があまり高いのを好まないのだが、だとしたら余計に着るものには注意しなくてはいけない。
●
若いときから、自分はヴェストを着るのが好きだったのだが、ようやく着古したヴェストが似合うかもしれない、という年齢になってみると、ヴェストだけでは腕が寒い、と気付く。これはとても残念なことだった。
すると、やはりカーディガンやプルオーヴァーのセーターなのだろうか。気に入っている服はもちろんあるのだが、今度はそればかり着ていることが気になりだす。お洒落、というのがむずかしくなってくるのは、つまりこの辺りからなのだろう。
年を取って、苦手になるのは重い服を着ること。太いゲージの毛糸で編んだニット、とか、昔の軍人が着ていたようなメルトンの生地のコートとか、素敵だとは思うが、もう自分ではあまり着たくはない。
では、カシミアやヴィキューナのセーターやカーディガンがいちばんよろしい、ということになるのだが、値段はともかく、気に入ったデザインのものは滅多にない。半世紀くらい前のランヴァンとか、ダンヒルとか、フェンディとか、そういうのは良いに決まっているけれど。
●
けっきょく部屋の中では、学生時代から着続けていまや肘の辺りがすっかり薄くなって破れそうなラムズウールのVネック・セーターや、むかしヨーロッパのデパートで買った、いまでは毛玉だらけのカーディガンを着て冬をやり過ごしている。
そして十二月の終わりから三月までは、数年前にパリの<ダマール>、という店のバーゲンセールで買ったフリースのガウン、という物を部屋の中では着込んでいる。フリースは軽いのが長所だが、このガバっとしたXXLサイズのーそれしか置いていなかったーガウンは、やはり残念なことにそれなりの重さがあるのだった。
●
きのう、なぜかクローゼットで大学生の頃に買った<Lee>のカヴァーオール・ジャケットが目に止まった。大学時代に吉祥寺で買った憶えがある。洋服屋の店先で安売りされていて、値段は5000円前後だった。
<ストームライダー>、という丈の短いジャケットと同じく、ブランケット生地がライニングされている防寒用の服だ。襟には淡い茶色のコーデュロイ生地が使われている。
学生の頃はよく着ていたのだが、洗濯して色落ちしてくるうちにあまり着なくなった。昔ながらのインディゴ染めではない時期の物だから、色落ちの具合が均一であまり好ましくない。それに何より、着ていて重いから、何となく敬遠してしまうのだ。
そんな理由で、ずっと着ていなかった。それなのに、きのう、なぜか目に止まって、また着てみようか、という気になったのだ。
●
一昨日の外出のときには、大阪のデニムメーカーの店で買ったカヴァー・オール・ジャケットを着ていた。こちらは裏地のないもの。襟も切り替えていない、シンプルなデザインの服だった。
ヴィンテージなデニム・ウェアの再現にはかなり拘っているブランドのもので、値段もそれなりに高かった。けれども、もう5,6年着ているのだが、何となく愛着が持てなかった。
ちょうど8ヵ月前の大地震の起きた日、自分はちょうど約束していた打ち合わせに出かけようと準備していた。そのとき、片手に掴んでいたのは、このカヴァー・オール・ジャケットだった。
そのことを思い出しながら、しかしやはりまだ愛着の湧かない服をクローゼットに戻すとき、大学時代に着ていたジャケットに気付いたのだった。
若いときに着ていたジャケットだ。もう袖も通らないか、と思ったが、もともと大きな造りの服だったから、むしろ現在がジャスト・サイズ、いちばん上のボタンも留まった。
裏地のブランケットが相変わらず重いが、ヴィエラ地のシャツとヴェストの上に着るなら、肩が凝るような着心地ではない。
●
むかし、地下鉄の半蔵門線だったか、丸の内線だったか、とにかく、普段あまり乗らない路線の地下鉄に乗りこんだとき、この<Lee>のまったく同じ型のカヴァー・オール・ジャケットを着た年配の男に出食わした。
夕方の6時前後だったが、それほど混んでいる車両ではなかった。男はタブロイド判の夕刊紙に目を落とし、まったく顔を上げなかった。
程良く色落ちしたブルーのカヴァー・オール・ジャケット。赤いチェックのマフラーを首に結んでいた。ジーンズ。どんな靴を履いていたかは憶えていないのだが、ドロミテふうの登山靴ではなかったか。
胡麻塩頭に髭面で、一度見たら忘れられないような鋭い風貌の男。少なくとも、いままで見たことのある人間の中で、最もカヴァー・オール・ジャケットが似合っていた男。
自分はその男を知っていた。テレビマン・ユニオンの演出家・萩元晴彦。いま、はぎもとはるひこ、とタイプしたら、正しく変換された。それほどの、というか、その程度の著名人なのだが、いま、その名を知っているのはかなり年配の人間、もしくは業界人、ということになるのだろうか。
●
その姿を見て以来、自分も色落ちしたカヴァー・オール・ジャケットを着て外出する日は、必ず赤いチェックのマフラーを合わせる。
自分の気に入っている服の組み合わせ、というのは、ほとんどがかつて観た映画とか、むかし見たミュージシャンの写真とか、あるいはどこかの雑誌で見て憶えていたイメージの引用だ。そうではない、<独自の着こなし>など、とても安心出来ないし、何より自分には居心地が悪いものだ。
だから、フリースのガウンを着て過ごす厳冬の数ヵ月間は、もちろん居心地が悪い。せいぜいオースン・ウェルズか、晩年のマーロン・ブランドのように顔を歪めて歯を食いしばっている。
先月の終わりに、悪寒と、顔が火照るような微熱を感じた夜があった。
その日は真夜中から出掛けなければならなかったので、近所のスーパーマーケットに行って、2リットル・サイズのスポーツ・ドリンクを買い込み、飲めるだけ飲んで、少し厚着をして二時間ほど眠った。起きたら熱は下がって調子は戻ったが、念の為、クラブにいる時間はレッドブルを飲んで過ごした。
だが、すっかり風邪が治ったか、というと、まだ体調は良くない。ときどき、顔の火照りをまた感じるときがあるだけで、咳も、喉の痛みもないし、鼻水が出るわけでもない。ただ微熱がずっと続いていて、何となくやる気が出ないのだ。
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とにかく、外出するときは少し余計に着込まなくてはだめだ。薄着で出掛けるから、風邪を引いてしまうのだ。
そして部屋にいるときも、気をつけなくてはいけない。室温の高い札幌に育った反動で、部屋の中の温度があまり高いのを好まないのだが、だとしたら余計に着るものには注意しなくてはいけない。
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若いときから、自分はヴェストを着るのが好きだったのだが、ようやく着古したヴェストが似合うかもしれない、という年齢になってみると、ヴェストだけでは腕が寒い、と気付く。これはとても残念なことだった。
すると、やはりカーディガンやプルオーヴァーのセーターなのだろうか。気に入っている服はもちろんあるのだが、今度はそればかり着ていることが気になりだす。お洒落、というのがむずかしくなってくるのは、つまりこの辺りからなのだろう。
年を取って、苦手になるのは重い服を着ること。太いゲージの毛糸で編んだニット、とか、昔の軍人が着ていたようなメルトンの生地のコートとか、素敵だとは思うが、もう自分ではあまり着たくはない。
では、カシミアやヴィキューナのセーターやカーディガンがいちばんよろしい、ということになるのだが、値段はともかく、気に入ったデザインのものは滅多にない。半世紀くらい前のランヴァンとか、ダンヒルとか、フェンディとか、そういうのは良いに決まっているけれど。
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けっきょく部屋の中では、学生時代から着続けていまや肘の辺りがすっかり薄くなって破れそうなラムズウールのVネック・セーターや、むかしヨーロッパのデパートで買った、いまでは毛玉だらけのカーディガンを着て冬をやり過ごしている。
そして十二月の終わりから三月までは、数年前にパリの<ダマール>、という店のバーゲンセールで買ったフリースのガウン、という物を部屋の中では着込んでいる。フリースは軽いのが長所だが、このガバっとしたXXLサイズのーそれしか置いていなかったーガウンは、やはり残念なことにそれなりの重さがあるのだった。
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きのう、なぜかクローゼットで大学生の頃に買った<Lee>のカヴァーオール・ジャケットが目に止まった。大学時代に吉祥寺で買った憶えがある。洋服屋の店先で安売りされていて、値段は5000円前後だった。
<ストームライダー>、という丈の短いジャケットと同じく、ブランケット生地がライニングされている防寒用の服だ。襟には淡い茶色のコーデュロイ生地が使われている。
学生の頃はよく着ていたのだが、洗濯して色落ちしてくるうちにあまり着なくなった。昔ながらのインディゴ染めではない時期の物だから、色落ちの具合が均一であまり好ましくない。それに何より、着ていて重いから、何となく敬遠してしまうのだ。
そんな理由で、ずっと着ていなかった。それなのに、きのう、なぜか目に止まって、また着てみようか、という気になったのだ。
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一昨日の外出のときには、大阪のデニムメーカーの店で買ったカヴァー・オール・ジャケットを着ていた。こちらは裏地のないもの。襟も切り替えていない、シンプルなデザインの服だった。
ヴィンテージなデニム・ウェアの再現にはかなり拘っているブランドのもので、値段もそれなりに高かった。けれども、もう5,6年着ているのだが、何となく愛着が持てなかった。
ちょうど8ヵ月前の大地震の起きた日、自分はちょうど約束していた打ち合わせに出かけようと準備していた。そのとき、片手に掴んでいたのは、このカヴァー・オール・ジャケットだった。
そのことを思い出しながら、しかしやはりまだ愛着の湧かない服をクローゼットに戻すとき、大学時代に着ていたジャケットに気付いたのだった。
若いときに着ていたジャケットだ。もう袖も通らないか、と思ったが、もともと大きな造りの服だったから、むしろ現在がジャスト・サイズ、いちばん上のボタンも留まった。
裏地のブランケットが相変わらず重いが、ヴィエラ地のシャツとヴェストの上に着るなら、肩が凝るような着心地ではない。
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むかし、地下鉄の半蔵門線だったか、丸の内線だったか、とにかく、普段あまり乗らない路線の地下鉄に乗りこんだとき、この<Lee>のまったく同じ型のカヴァー・オール・ジャケットを着た年配の男に出食わした。
夕方の6時前後だったが、それほど混んでいる車両ではなかった。男はタブロイド判の夕刊紙に目を落とし、まったく顔を上げなかった。
程良く色落ちしたブルーのカヴァー・オール・ジャケット。赤いチェックのマフラーを首に結んでいた。ジーンズ。どんな靴を履いていたかは憶えていないのだが、ドロミテふうの登山靴ではなかったか。
胡麻塩頭に髭面で、一度見たら忘れられないような鋭い風貌の男。少なくとも、いままで見たことのある人間の中で、最もカヴァー・オール・ジャケットが似合っていた男。
自分はその男を知っていた。テレビマン・ユニオンの演出家・萩元晴彦。いま、はぎもとはるひこ、とタイプしたら、正しく変換された。それほどの、というか、その程度の著名人なのだが、いま、その名を知っているのはかなり年配の人間、もしくは業界人、ということになるのだろうか。
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その姿を見て以来、自分も色落ちしたカヴァー・オール・ジャケットを着て外出する日は、必ず赤いチェックのマフラーを合わせる。
自分の気に入っている服の組み合わせ、というのは、ほとんどがかつて観た映画とか、むかし見たミュージシャンの写真とか、あるいはどこかの雑誌で見て憶えていたイメージの引用だ。そうではない、<独自の着こなし>など、とても安心出来ないし、何より自分には居心地が悪いものだ。
だから、フリースのガウンを着て過ごす厳冬の数ヵ月間は、もちろん居心地が悪い。せいぜいオースン・ウェルズか、晩年のマーロン・ブランドのように顔を歪めて歯を食いしばっている。