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小西康陽音楽家NHK-FM「これからの人生。」は毎月最終水曜日夜11時から放送中。編曲家としての近作である八代亜紀『夜のアルバム』は来年2月アナログ発売決定。現在、予約受付中。都内でのレギュラー・パーティーは現在のところ、毎月第1金曜「大都会交響楽」@新宿OTO、そして毎月第3金曜「真夜中の昭和ダンスパーティー」@渋谷オルガンバー。詳しいDJスケジュールは「レディメイド・ジャーナル」をご覧ください。pizzicato1.jphttp://maezono-group.com/http://www.readymade.co.jp/journal

小西康陽・軽い読み物など。

小西康陽
音楽家

NHK-FM「これからの人生。」は毎月最終水曜日夜11時から放送中。編曲家としての近作である八代亜紀『夜のアルバム』は来年2月アナログ発売決定。現在、予約受付中。都内でのレギュラー・パーティーは現在のところ、毎月第1金曜「大都会交響楽」@新宿OTO、そして毎月第3金曜「真夜中の昭和ダンスパーティー」@渋谷オルガンバー。詳しいDJスケジュールは「レディメイド・ジャーナル」をご覧ください。
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窓に明りがともる。

2012.03.07

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写真家の川上尚見さん、デザイナーの真舘嘉浩さんと、神保町のサテライツ・アート・ラボ、というところで三人展、というものをやることになった。以下はその長い宣伝文である。
 

 
真舘嘉浩さんとは、三年前に『マーシャル・マクルーハン広告代理店』、という本を一緒に作った。版元の学研の編集者の方が紹介してくださったデザイナーだった。仕事をするのはまったく初めてだったが、よく話してみると、共通の友人があまりにも多くいた。約半月、真舘氏の仕事場に通って、ふたりでモニターを眺めながら、全てのページのレイアウトを組んだ。それは楽しい協同作業であった。
 
真舘さんの名前を御存知なくとも、その作品は多くの人が目にしているはずだ。渋谷マンハッタン・レコーズやホットワックス、といったレコードショップのロゴ、あるいは90年代にエレンコをブラジリアン・ミュージックやレア・グルーヴのアナログ・リイシューを行なったレキシントン・レーベルからリリースされた数多くのコンピレーション盤のスリーヴ・デザインなど、クラブ・ミュージックのリスナーには、とりわけ馴染み深いデザインが多いのではないか。その最新作は、もちろん猫沢エミ&スフィンクスのCDジャケット、ということになる。いや、そればかりか昨年話題となったある選挙ポスターのデザインも彼の作品だが、これは無署名だから明かすべきではないのか。
 
話を『マーシャル・マクルーハン広告代理店』、という本に戻す。ようやく入稿の目処が付いてきた頃に、裏表紙に使う自分の写真のことを考えていて、不意に川上さんと、彼の撮ってくれたポートレイトのことを思い出した。さっそく連絡を取ると、写真を使わせて戴くことをすぐに快諾して下さっただけでなく、翌日には自ら真舘さんの仕事場に写真を持参してくれたのだった。
 
川上さんと自分との付き合いは、もっと古いものになる。いま指折り数えてみたならば、かれこれ27年も前の話になるのか、と知って絶句した。ピチカート・ファイヴ、というグループで、自分がレコード・デビューしたとき、細野晴臣氏の主宰していたテイチク・ノンスタンダード・レーベルから同じ日にアルバム・デビューを果たしたのがワールド・スタンダード、というバンドだった。彼らのデビュー当時のアーティスト写真を撮影しているのが、川上尚見さんなのだった。
 
当時の川上さんは音楽雑誌の取材に撮影カメラマンとして同行する機会も少なくなかったようで、自分もたしか雑誌の取材のときに挨拶をしたはずだった。正直なところ、その辺りの出会いの経緯は曖昧なのだが、取材が終わり、撮影も済んだ後に、なぜか広尾の喫茶店で彼と雑談を始めたところ、意気投合、と言うような表現を遥かに超えたマニア同士の情報交換となってしまったのは忘れようもない。
 
その頃、自分は誰よりも音楽に詳しいつもりでいる鼻持ちならない若造であり、いまと同じくレコードを買うことに淫した人間だったのだけれども、カメラマンの川上さんは自分より遥かに音楽に詳しく、またレコード・コレクションに溺れた経験を持つ人だった。そして、その時のふたりの共通の話題は、ニュー・ウェイヴでもテクノポップでもアンビエント・ミュージックでもなく、ずばりスウィート・ソウルのレアなレコードのことだった。
 
高校生から大学2年生の夏休みに入る頃までのある時期、自分はソウル・ミュージックのレコードを集めることにかなりの情熱を注いでいた。その種の音楽の愛好家は皆な、ご多分に漏れず湯村輝彦さん、そして永井博氏の選ぶスウィート・ソウルのレコードに関するコラムを常にチェックしては中古レコード店を回ったり、通販のカタログなどを取り寄せたりして、夢は海外にレコード・ハンティング・ツアーに行くこと。自分もだいたいそんな感じだった。トーキング・ヘッズを聴くまでは。
 
スウィート・ソウルやシンガー・ソングライターのコレクションをやめて、自分はニュー・ウェイヴのレコードばかりを聴くようになり、果てはバンドを組んだ。そして川上さんもまた、どういう曲折があったのかは知らないが、ソウル・ミュージックのレコード・コレクションを全て手放して、ワールド・スタンダードのアーティスト写真を手掛けていた。
 
なにしろ川上さんは、マニア垂涎のあの「ト●プソ●ズ」のLPを持っていて、あのトップ・コレクターに譲った、というのだから、自分とは格が違うレコード・コレクターだったに違いない。ソウル・ミュージックに関しては、お互いに憑き物が落ちたところで出会った、というところだったのか。 苦笑いしながら、あのレコードを持っていた、どこそこの店には行っていた、という話をしていた。
 
それから、二人は長い間会っていない。自分も音楽の仕事でいつもあくせくしていたし、川上さんも写真家として確たる地位を築いていた。新幹線のグリーン車に乗る度、「ひととき」、という車内誌のページで川上さんの撮影する著名人や文化人のポートレイトを見ていた。
 
その川上さんに20年ぶりに写真を戴くことになったのは、「BOSE」というオーディオ・メイカーのPR誌に出たときだった。病気で静養していた夏が終わって、最初に人前に出たときのことだった。『マーシャル・マクルーハン広告代理店』の表4で使わせて戴いたのは、そのときの撮影カットだった。
 
人付き合いのよくない自分は、川上さんとも真舘さんともそれっきり、というところだった。ところがお二人は、こちらの知らないところで交流を深めていたらしい。デザイナーと写真家ならば、まあ意気投合するのも当然のような気もするのだが、どうやら真相はそうではなくて、やはり音楽やギター、その他いろいろの話でウマが合ったようなのだ。
 
そのうちに、自分もお二人の世間話に加えて戴くようになり、今度みんなで集まってBBQでもやりましょうか、と言っていたところに、3月11日が巡ってきたのだった。
 

 
昨年の3月11日のことに関しては、日本人の誰もがそれぞれに自分なりの感慨、というものを持っているはずであり、被災した境遇もみな異なるのだから、共有する心情というものを探してみても、うまくは行かないのが当然である。
 
気仙沼に住む友人は、この前の日曜日に津波で亡くなった同級生の一周忌の法要があった、と呟きを漏らしていた。東京に住む自分が、友人の心情をどんなに慮ろうとも、まったく心を重ね合わせることは困難である。
 
それを想像力の欠如だと言うなら、その言葉も受け入れるしかない。だが、何と言われようとも、自分には同級生を失った悲しみも、原子力発電所が付近にあるという理由で生まれ育った故郷を離れざるを得なくなった人の感情も、想定外の地震のせいで社会的な責任を負うことになった電力会社の社員の心中も、共有することは絶対に出来ないのだ。偉そうに言うな。偉そうに言っていると思われましたのなら、相すみません。決して偉そうに言っているわけではありません。
 
たとえ同じベッドで抱き合って寝ていても、自分以外の人間の心を量ることなど出来ない。というのが、自分の基本的な考え方である。音楽やラジオ番組を作ったり、人前でレコードを掛けたりする仕事を生業としているけれど、自分以外の他人がどんな物を求めているのかなど、いつも一切解らないままにやっているのだ。
 

 
昨年の3月11日以降の、自分の気持ちをなるべく正直に言うとしたら、<自分よりも大きな存在から、普段の自堕落な生活を一喝された>、というのが、いちばん近いような気がする。子供のときのように親や教師や先輩から叱られることもなく、面白おかしく暮らしていたところに、心臓が止まる程の怒号で「馬鹿者」、と言われたような気持ちになり、まったく意気消沈してしまった。
 
川上尚見さんはひとこと、大きな戸惑いを感じた、と言っていた。そして川上さんはある時から、一日に一枚、モノクロームの写真を撮り、ネットにアップロードし始めた。それは部屋の中の静物であったり、東京のビル街であったり、偶々通り掛かった風景であったりした。それは、職業写真家になってからは写し撮ったことのないものだった、と言っていた。
 
プロフェッショナルの写真家が、まったく自分のために撮る写真。写真を読む、ということなどまったく出来ない自分でさえも、そこには何か心の泡立つものをいつも感じた。「コレ、いつかまとめて作品集にしましょうよ、真舘さんの装幀で、ぼくが跋文みたいなのを書きますから」、と、あるとき自分はごく無邪気に話したのを憶えている。
 
ところが真舘嘉浩さんは、ギャラリーでエキシビジョンをやりましょう、と提案してきた。ひどく驚いたのだが、この三人で何かをやるのなら、自分もぜひ加わりたいと思った。何をどう協力したら良いのか分からぬまま、では、3月11日からやりましょう、と答えていた。
 
職業写真家がアマチュアとしての写真を撮り、職業デザイナーがアマチュアとしてのグラフィック作品を制作し、展示する。ならば音楽家もまたアマチュアとしての音楽を作ってみようか、とは考えなかった。では何を作ったの、と尋ねられたなら、何ともうまく説明しにくいのだが、とにかくアマチュアとして参加した、というしかない。
 

 
人間はしかし、いつまでも悲しみの中に生きて徃けるわけではない。いつまでも意気消沈したままでいられるわけでもない。人は徐々に生活を取り戻し、再び自分を甘やかして生きる。窓に明りがともる。それがまだ生きている人間の営みというものだ。
 

 
そんなわけで、三人展。川上さん、真舘さんの作品は素晴らしい。やはり力量を感じる。いっぽう、自分の作品のことは正直な話、よく判らない。ただ、詩人、あるいは写真家が非常に少部数の作品集、詩集といったものを制作するときの気構えのようなものは少しだけ分かった。
 
出来ることならば、毎日ギャラリーに居座って、アーティストの気分を味わっていたいものだが、そういうわけにもいかない。それでも、初日と3月17日のレセプション・パーティーには必ず参加するので、よかったら是非。ベレー帽にパイプ煙草の大久保清ルックでお迎え致します、というのは嘘だが、当日は好きなレコードとポータブル・プレイヤーを持参しますので。そして開催期間中の画廊に於けるBGMは、去年作った自分のソロ・アルバムになるはずだ。
 
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