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草彅洋平(東京ピストル)株式会社東京ピストル代表取締役1976年東京生まれ。あらゆるネタに対応、きわめて高い打率で人の会話に出塁することからついたあだ名は「トークのイチロー」。インテリア会社である株式会社イデー退社後、2006年株式会社東京ピストルを設立。ブランディングからプロモーション、紙からWEB媒体まで幅広く手がけるクリエイティブカンパニーの代表として、広告から書籍まで幅広く企画立案等を手がける次世代型編集者として活躍中。www.tokyopistol.com/

トークのイチロー就活日誌

草彅洋平(東京ピストル)
株式会社東京ピストル代表取締役
1976年東京生まれ。あらゆるネタに対応、きわめて高い打率で人の会話に出塁することからついたあだ名は「トークのイチロー」。インテリア会社である株式会社イデー退社後、2006年株式会社東京ピストルを設立。ブランディングからプロモーション、紙からWEB媒体まで幅広く手がけるクリエイティブカンパニーの代表として、広告から書籍まで幅広く企画立案等を手がける次世代型編集者として活躍中。
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僕がグラノーラ屋をはじめた理由(後編)

2013.08.01

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前編を読む

そもそもグラノーラとはなんだろう?

さて、そもそもグラノーラとは何か、というところからはじめなければならないだろう。

wikiにはグラノーラについてこう書かれている。

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グラノーラ(Granola)は、燕麦、麦、玄米、とうもろこしなどを蜂蜜や黒砂糖、植物油と混ぜてオーブンで焼き、ドライフルーツ、ココナッツ、ナッツなどをミックスして作った食べ物で、シリアル食品の一種。もと商標名。ヨーグルトや牛乳をかけて朝食としたり、おやつとしてそのまま食べる。軽くて持ち運びやすく、栄養価が高いため、キャンプやハイキングの携帯食にも向いている。 19世紀後半、アメリカ合衆国で、全粒の穀類をオーブンで焼いて砕いた健康食品が開発され、グラノーラ、グラニューラ、ガノリエッタなどの名称で商標登録された。中でも「グラノーラ」の特許を取得したのがケロッグ社の創設者の一人ジョン・ハーヴェイ・ケロッグである。1960年代の自然食及び健康食品ブームの折りにグラノーラの人気が再燃し、ドライフルーツやナッツを加えて変化をつけ、甘味料を加えて食べやすくした今のような形になった。「グラノーラ」は今でもオーストラリアでは、オーストラリアン・ヘルス・アンド・ニュートリション・アソシエーション・リミテッド社(Australian Health & Nutrition Association Ltd.)の子会社、サニタリウム・ヘルスフード・カンパニー社の登録商標である。日本の食品メーカでは主にカルビーと日清シスコが販売している。 グラノーラ・バー 今日では、グラノーラを棒状に固めた「グラノーラ・バー」もおやつや携帯食として人気がある。 米俗語の用法では、「(人が)健康食品志向の、環境を意識した」[1]、「ヒッピー的カウンターカルチャーに逆戻りしたような(人)」[2]という意味もある。 これはグラノーラの持つ健全で自然主義的なイメージが1960年代のヒッピー文化やカウンターカルチャー等と結びつけられているためである。

 

グラノーラが単なる食品ではなくヒッピームーブメントと結びついていることを知ることができたのはなかなか興味深くはあるが(蛇足だが1969年のウッドストック・フェスティバルでは健康志向からグラノーラを食べる人が多かったという)、この解説は僕からするとちょっと物足りない。実はグラノーラには深い目的意識があり、それを抜きにして語れないからだ。

速水建朗の『ラーメンと愛国』(講談社現代新書)には、グラノーラの生みの親であるジョン・ハーヴェイ・ケロッグに関する素晴らしい記述があるので以下引用したい。

 

日本でもおなじみのケロッグ社のコーンフレークの誕生は、週末論的な新興宗教と結びついている。コーンフレークの生みの親の一人、ジョン・ハーヴェイ・ケロッグ博士はセブンズデー・アドベンティスト派伝導協会が運営する健康改善療養所の所長を務めていた。この療養所とは、富裕層(この療養所にはヘンリー・フォード1もいた)向けの食餌療養による健康法を提供するという目的のものだった。ケロッグ博士が力を入れていた研究は、禁欲をよしとするこの一派の宗教的な理想を目指し、性欲を抑制するための食品を科学的に開発しようというものである。(『ラーメンと愛国』

 

驚くなかれ、性欲を抑制するために療養所の新メニューとして生まれた食品が穀物をフレーク状に加工した全粒食品なのである。ケロッグ博士自身、妻はいたものの一切の性交渉を持つことはなかったし、男性の性欲は食品によってもたらされると考えていた。いま「草食男子」なる言葉が頻繁に使われているが、この言葉のイメージの起源は意外なことにケロッグ博士にあるといっていいだろう。加工された穀物を食べる男は性欲を得ることがない...、そうまさにセックスレスを生み出すために開発された食材がコーンフレークなのだ。

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1906年、水に浸した全粒のとうもろこしを焼き上げることで、美味しく食べられるコーンフレークの開発に成功したケロッグ博士は、経営の才能のある弟と一緒にケロッグ社を創設する。だが、このコーンフレークの商品化の段階に至って、二人は決裂してしまう。商品をヒットさせるために、コーンフレークに砂糖をまぶしたことが、兄のケロッグ博士の逆鱗に触れたのである。なせなら、砂糖は性欲を促進すると博士は考えていたからだ。(同著)

 

博士はその後もぶっ飛んだ健康器具を発明し続けるなど大活躍するのだが、その話はアンソニー・ホプキンスとブリジット・フォンダ出演の映画「ケロッグ博士」に譲っておくとして、『ラーメンと愛国』にはコーンフレークの話をさることながら、巧妙な「アメリカの小麦戦略」、すなわちアメリカの余剰作物の都合の良い売却先として日本があてがわれていく様子が書かれている。給食のパンによって子どものころからパン食になじませ、日本に長期的に小麦を売りつけていく国家的な「食料侵略」によって、日本は知らず知らずのうちにアメリカの大量の小麦、穀物を消費する国に育ったという内容だ。

例えば戦後食べるようになったパスタはイタリア原産のイメージだが、アメリカの小麦を使って作られている。同じように中国のラーメンといったイメージの麺は、アメリカの小麦が使われているというわけだ。このようなナショナルメージの偽装を通して「食品版文化帝国主義」が水面下で慣行され、日本人はまたたくまに小麦を消費していく民族になってしまった。そう、アメリカとは穀物の国。というわけでグラノーラを考えていくと穀物を考え、そしてアメリカという国について考えていかなければならないと気づいた。

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牛乳とアメリカ

グラノーラにぴったりの美味しい牛乳が欲しいと隈なく探していると、阿部くんが「中洞牧場というところがいいそうですよ」と紹介してくれた。なんでも日本で数少ない山地酪農を実践しているのだという。値段はとても高いが、飲んでみるととんでもなく美味しい牛乳だ。偶然にも近日東京に中洞牧場の中洞正さんがいらっしゃるというお話を聞いて、GANORIに置こうと早速会いに出かけてみることを決めた。

「よく牛乳パックに緑豊かな牧場で牧草を食べる牛が描かれていると思いますが、あれは全部ウソですね。日本の牛は牧草なんか食べていません。穀物を食べてるんですよ」

レストランでの中洞さんの講演は衝撃であった。現代の酪農は広い牧場の草原で牧草を食べる牛では生産コストが見合わないため、狭い厩舎で栄養価の高い穀物飼料を食べさせられ、ミルク製造機械のようになっているというのだ。牛は本来草を食み、消化し、バクテリアを摂取するという素晴らしい消化器官を持っている。だが穀物飼料では消化のメカニズムを発揮することができず、さまざまな病気にかかるようになり、さらに障害がおきないように薬剤が使われるようになる。

「そんな牛乳が美味しいのだろうか? 断じて否ですよ」

いま我々は牛の怨念で真っ黒になった牛乳を飲んでいます、そう語る中洞さんの著書『黒い牛乳』(幻冬社経営者新書)を買って読んでみると、ページの最初にこんな記述があった。

 

 占領国であったアメリカは、将来の市場創出を目論んで戦略的にパンとミルクの援助を行ったともいわれている。多くの日本人が、戦後の学校給食を通じて牛乳とパンを受け入れ、やがて巨大なアメリカ産穀物の消費市場をつくりあげる原動力になったからである。現在における日本の酪農の形態も、ほぼ同様の目的でアメリカの穀物戦略に組み込まれ、戦後に導入・普及が進んだものである。戦後の酪農はアメリカで生産されるトウモロコシの消費の受け皿として、アメリカ型酪農を手本として出発した。このため日本で飼われている牛は、トウモロコシを主食とする家畜になっている。この傾向は、その後さらに強まり、現在では牧草地で草を食む乳牛は、きわめて例外的な存在になっている。(『黒い牛乳』

 

牛乳を考えたらまたしてもアメリカに突き当たってしまう。国産ものの穀物飼料では値段が高すぎてコストに見合わない。そのためアメリカに依存する形の酪農しか成り立たないというのは理にかなった話ではあるが、それで狂牛病をはじめとする奇妙な病気が蔓延するというのでは理不尽な話である。そんな理不尽な牛乳を知らず知らずのうちに僕らは日常的に飲んでいるというのはなぜなのか。この奇妙なねじれから脱却するにはどうしたらいいのだろう?

 

私は、戦後に形づくられた酪農のあり方がついに見直されるべき時期に入ったと考えている。その具体策として挙げられるのが、牛に草を食べさせる放牧酪農である。国内では広い牧草地を確保できないと考える人がいるが、日本には広大な面積の山林がある。こうした山林は林業の衰退とともに、放置された資源になっている。これを活用した放牧酪農は十分可能なのである。これを行うことは、年々進む山林の荒廃を防ぐ手だてになるばかりか、中山間地域に人や産業を取り戻す手段の一つになるとも考えている。そして牛たちはきわめて低コストに、おいしく安全な牛乳をもたらしてくれる。さらには、家族数名が数頭の牛を飼って暮らすことができる健全な小規模酪農を取り戻すことができる。これは机上の空論ではなく、これまでの私自身の牛飼いの人生を通じての結論である。政府が進めている大規模化や集約化だけが酪農の手段ではないということを本書を通じて読者の皆さんに知っていただきたいと考えている。(同書

 

アメリカ依存型の酪農から脱却するには中洞さんのような誠実に仕事をしている人の牛乳を飲むしかない。興味のある人は中洞さんの牛乳をGANORIで一杯飲んでみるといいだろう。市販の牛乳とはちがった健康的なさわやかな味わいを堪能できる。

オープンが終わり落ち着いたら、僕も中洞さんの牧場を一度見学しに行きたいと考えている。

 

GANORIがすべきこ

いま食べ物を考えていくとさまざまな問題が見えてくる。TPP(環太平洋連携協定)に関しても自分では関係ないと人ごとでいたが、店をやってみれば人ごとでなくなってくる。これからの時代は当事者意識を持って洞察しておかないとダメだろう。それにはまずなにかしら作ってみる、やってみるのが良いのかもしれない。何事も片足を突っ込んでみれば、真剣に考えるようになるのだから。

オープンまでの数ヶ月、日々思索していくうちにGANORIのコンセプト、GANORIが為すべきことがだんだんと見えてきた。我々は単なるアメリカのグラノーラを売りたいわけではないのだ。また流行にのったファッション感覚で食品を売りたいわけでもない。日本のグラノーラを売ってやろう、そう思えてきたのである。一見するとアメリカのグラノーラだが、すべて日本製の、ナショナルイメージを偽装したグラノーラを作ってやろうと考えたのだ。馬鹿げているかもしれないが個人の対アメリカ戦略、そんなことを裏テーマとして笑いながらスタッフと決めた。ラーメンがいまアメリカで流行り出したように、味で巧妙な"仕返し"をしてやれたら痛快ではないか。

こうしてGANORIチームで開発したのが、そばの実や乾燥ごぼうを使ったこれまでにない日本的なグラノーラだ。現在市販されているグラノーラのほとんどがアメリカ的なグラノーラなのだが、それはそれで美味しいが我々はもう少し先に進みたい。そこでさまざまな意見を出し合い、生まれたのが日本の食材を使ったグラノーラであった。僕らはこの商品を主力におきつつ、今後も日本のグラノーラなるものを開発していきたい。

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店長と今後の動き

そんなGANORIの店長を誰にやってもらおうか、と考えたときに、川添智史氏にお願いすることにした。川添は坂本龍馬と親交のあった明治の元勲、後藤象二郎の流れを汲む名家の生まれで、お爺さんは飯倉のキャンティを作ったすごい人。中国茶に博識で、食通として知られる若き彼の噂は以前から聞いていたので、彼ならGANORIをキャンティのような素晴らしいサロンに仕上げてくてるだろうとお願いし、快諾頂いた。乾燥ごぼうのアイデアも川添氏のものだ。

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puer川村実季さんお手製グラノーラも販売する事になったのも素晴らしい。彼女のオリジナルグラノーラはなかなか斬新。こうしたグラノーラを作るのが好きな人にGANORIを使ってもらえるのはありがたい話だ。

事業の今後を考えると、GANORIをコンセプト・店・デザインごとパッケージで力のある企業と業務提携、または売却した方がいいのかもしれない気になる方は一度東京ピストルまでご連絡頂きたい)。近日店ごとネットサイトで販売しても新しいだろう。

まだまだ僕のグラノーラ研究はまだはじまったばかり。


では明日より開店です!

GANORI
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