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Special Articles on RUNNING SHOES スポーツシューズ評論家・南井正弘による「ランニングシューズ」についての寄稿文。

2014.06.13

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スポーツシューズ評論家としても知られ、「楽しく走る!」をモットーに、ほぼ毎日のランニングを欠かさないフリーライターの南井正弘。そんな彼がファッションとしてではない、パフォーマンスシューズとしてのナイキランニングの魅力を、自らの体験談とともに綴る。

Photo_Kengo Shimizu
Text_Masahiro Minai
Edit_Hiroshi Yamamoto

VOL.1_1970年代後半。南井少年、ナイキに出会う。
ナイキというブランドを知ったのは今から37年前の1977年のこと。当時小学5年生だった自分は、近所の書店で「ゴング」と「別冊ゴング」を立ち読みするのが日課だった。プロレスが大好きだったのである。そんなある日「POPEYE」と英語で書いてある雑誌を手に取ったことが、現在の自分自身の職業へと誘うとはそのときは思わなかった。その頃の「POPEYE」に特集されていたのは西海岸のライフスタイル。フリスビーやテニス、サーフィンといったスポーツを特集しつつ、ダウンジャケットやワークブーツのような当時の日本ではあまり一般的でなかったファッショングッズも紹介していた。

そんななかで筆者の目を釘付けにしたのはカラフルなジョギングシューズ。アディダス、プーマといったドイツ勢の存在は子供ながらに知っていたが、ブルックス、ニューバランス、サッカニーといったアメリカンブランドは「POPEYE」で初めて知った。そしてなんといっても自分を魅了したのはナイキというブランドだった。独特なサイドストライプと斬新なカラーコンビネーションは小学生の自分にも特に魅力的に映ったのである。こうなると授業中も「ナイキ」のスニーカーのことが頭から離れない。夏こそ脳内の半分くらいはクワガタムシに奪われたが、「ナイキ」を始めとしたスニーカーが欲しいという気持ちは日々高まっていった。

そうこうするうちに中学へと進学。毎日の部活動の練習や男女交際に忙しくなると、一時は「POPEYE」が紹介するアメリカンファッションスタイルへの興味は薄れた。それ以前に5桁のプライスタグは地方の中学生が入手するには絶望的な価格設定だったのもその理由で、手頃な価格で自己主張できた「CREAM SODA」や「PEPPERMINT」のようなロカビリーファッションに手を出したのは今となっては懐かしい思い出である。

というわけで中学時代はしばらくスニーカーのことは忘れていたが、中学3年の夏に部活動を引退すると暇ができ、雑誌を買ったり読んだりするようになった。そのとき愛読したのは「POPEYE」よりも「HOT DOG PRESS」のほう。後者のほうが地方在住者には内容が易しく、ブランドブックのような特集が当時は大好きだった。「HOT DOG PRESS」を読んでいると再び「ナイキ」への興味が沸いてきて、高校に入ったら絶対に買うと決めた。

実際に高校では持久力をつけるために外を走ることも多く、ちゃんとしたランニングシューズは必携と聞いていたことも購入へと背中を押してくれた。「部活動で必要だから!」最初は値段を聞いた時点で親は却下したが、数週間に渡る交渉の末ようやく許可を得た。他の部員はナイキよりも安い「アシックス モントリオールIII」や「アシックス カリフォルニア」といったシューズを買っていたが、ナイキを買えば普段でも履けるからと説得したのである。

購入したのはレザーコルテッツ DX II。厚手のミッドソールを配した構造は着地の衝撃を吸収してくれ、10km走のようなときにはそれまで履いていたゴム履物メーカーの運動靴とは比べ物もないくらいに走りやすく、ヘリンボーンのアウトソールは土のグラウンドでもコンクリートの上でもしっかりとグリップしてくれた。オリジナルのレザーコルテッツと比較すると軽量化を図るためにアウトソールの発泡度を上げたために若干耐摩耗性に欠けたが、当時のスニーカー購入者必携のシューグーという液体状のゴムをあらかじめ塗っておくことで長持ちさせようとした。グレーとレッドを組み合わせたウルトラマンのような配色は斬新で、街で履くと注目を集めたが、そんな目立つ配色が事件を起こしたのは皮肉なもの。

とある高校に部活動の新人戦の試合に行ったときのこと、主催者校の明らかにツッパリがガンをつけてきて、「イイ靴履いてんじゃねえか?」と因縁をつけてくる。試合前ということでさすがに暴力沙汰にはならなかったが、試合を終えて着替えようとすると、自分のナイキが盗まれている。そのとき真っ先に頭に浮かんだのは、自分たちは安い衣類や靴しか買っていないのに、息子のために1万円近いお金を出してくれた両親の顔だった。「取り返すしかない!」

犯人はすぐにわかった。「今朝因縁をつけてきたアイツだ!」そして彼がA社のネイビーのエナメル製ボストンバッグを持っていたことを思い出し、更衣室でそのカバンを見つけると、少しの罪悪感を抱きながらファスナーを開ける。「あった!」特徴的なカラーリングのレザーコルテッツが現れた。取り返したナイキを持って当該校の顧問に事情を話すと、その先生は平謝り。そのコルテッツを履いて帰ろうと体育館脇を歩いていると、例のツッパリが前からこちらに向かってきた。そして自分の足元を見た瞬間の彼の悲しそうな涙ぐんだような顔が印象的だった。
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奇抜なカラーリングのナイキ レザーコルテッツ DX IIは日本製。スニーカーの保有足数の少なかった高校当時、これ1足で部活の練習から街履きまで活躍してくれた。
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