北海道根室市
古川広道(以下古川)はい。2011年の7月に初めて根室を訪れて、その年の11月には移住していました。
古川一番大きな要因は東日本大震災です。それまではずっと自分のことだけをやっていたし、自分のために生きてきたんですが、震災があってから、こうした災害はまた起きるだろうし、このままだと未来永劫こうしたことの繰り返しだなと思ってしまったんです。それがもう嫌になってしまって。
古川それでいろいろなところに行ってみようと、屋久島に行ったり、富士山に登ったりしていたんです。そんななか、たまたま趣味の釣りで根室に来たときに、この土地だったらいままでやってきたことが活かしつつ何かができるかもと、直感的に思ったんです。だからまず住んでみようと。誰も知り合いはいませんでしたが。
そのときが初の根室ですよね。根室のどこにそこまで惹かれたんですか?
古川一番は光ですね。光が全然違いました。光が変わると、ものの見え方が全然違うんです。それで面白いものができるなっていう予感がありました。あとはやっぱり圧倒的なこの自然です。とにかくかっこいいですよね。俗っぽい言い方をすると、景色が北欧っぽいんです。仲良しのカメラマンが根室に来てこの景色を見たときに、「ラップランドとフィンランドを足して2で割った感じだね」って言われました。
移住して6年で、根室にまつわる活動をたくさんしていると聞きました。
古川根室市文化推進協会会長に始まって、根室市移住アドバイザー、根室市移住交流推進員リーダー、根室市エネルギー策定委員などなど色々やっています。実際に根室に住んでみたら、いろいろできることがあったし、それがどんどん増えていくんです。だから、もっと多くのひとたちに根室のことを知ってほしいですね。
もはや、ただのジュエリーデザイナーではないですよね。
古川でも自分のなかでは繋がってるんです。ジュエリーを作っていたのも、自己表現という側面ももちろんありますが、僕が作ったジュエリーをつけたひとが幸せになってほしいというのが大きな目的だったんです。そんななか震災があって自然が崩壊していくさまを見ていたら、人間の生活をなにかしらの形で変えていかないといけないって思いました。自然とより密接に暮らしていくことで、今後はものづくりのアイデアを生み出していこうと。ジュエリーを作るということの単位が大きくなって、街づくりとか、野菜作りとかになってきたという感じです。ファッションだけだと狭い世界だから、もっと開けた世界のひとたちに伝えたいんです。ただ、何をしていても、ジュエリー作りは自分の中心にあります。
ここで一回、古川さんの過去のお話を聞かせてください。もともとはパリでファッションを学ばれていたとか。
古川はい、ファッションを勉強するならパリでしょという感じで、高3のときには行くのを決めてました。英語の授業のときに、イヤホンをつけてフランス語を勉強してました。それでパリでファッションの学校に行きました。
どのタイミングで、服ではなくジュエリーに移行したんですか?
古川5年間みっちり服作りを学んだんですけど、どうも性に合わなかったんです。当たり前なんですけど、服はチームワークで作るので、胸を張って「自分の服です」って言えないなと思ってしまって。ジュエリーなら自分一人で完結できるし、なにより自分の手の中からできていく気がするんです。金属を溶かしたり、鉄成分の隕石を混ぜたりして、素材も自分で作ったりします。そんなわけで、学校の最後の試験で、服ではなくて指輪を作ったんです。
古川そうです。一応、本は読みましたよ。“初めての彫金”とかそういうの。でもまぁ、切って、くっつけて、溶接して、でしょ?っていう。
古川そうかもしれないですね。パリの学校でファッションイラストの授業があったんですが、僕、先生より絵がうまかったんです(笑)。それで2年後には自分が講師になってました。
つまりファッションイラストの授業を教えながら、他では生徒として授業を受けていたということですか?
古川そうです。完全実力主義ですよね。僕のほかにも、何人か講師やってましたよ。講師の報酬で、学費はほとんど免除でした。助かりました。
それで、パリから帰国されてからすぐに〈アーム〉を立ち上げます。
古川最初の展示会が帰国してから3ヶ月後だったんですが、そのときに「ドレステリア」のバイヤーさんが、全型買ってくれたんです。本当にありがたかったですね。当時はもっとデコラティブなシルバージュエリーが全盛だったので、あるバイヤーさんには、「柄を表に出してくださいよ」とか言われたりして。「それならほかのブランドで見つけてください」とか言ってましたね。
ちなみにブランド名の〈アーム(AVM)〉ってどういう意味なんですか?
古川いろいろな意味を込めています。サンスクリット語で聖音、英語では腕、フランス語だと精神とか魂、それらを合わせての造語です。スペルもけっこう考えましたね。
〈AVM〉って、どこか神聖な雰囲気がする字面ですよね。ブランドのイメージは設立したときからあまり変わっていないんですか?
古川そうですね。素材はゴールドとシルバーが基本で、デザインもおおまかな路線は変わりません。ずっと作っている定番のアイテムもあります。
せっかくなので、作業風景を見せていただきながらお話しを伺いました。
古川これはシルバーです。シルバー950、つまり95%がシルバーの素材です。先ほども言いましたが、切って、溶接して、叩いて、という作業です。ただ、こうして一つずつ作ってるひとはあんまりいないと思います。みんなだいたい型を作って、そこに材料を流し込んで作るわけです。そのやり方なら、同じものが100個でも200個でも量産できます。
古川さんのように手作りだと、どれくらいの生産量なんですか?
古川多いときは月産50個くらいは作ってましたね。かなりハードでした。いまは、自分のブランドしか作っていませんが、他によそのブランドの仕事をしていた時は、サポーターとかテーピングとか巻いてやってました。こう見えてけっこう力がいるんです。
古川まぁ長年やってますからね。10年前に作ったものと比べると、いまの方がやっぱり腕があがってるなと思います。世の中は、時間をかけたものづくりをありがたがる傾向にありますが、もの作りは早くできるのであれば、早い方が絶対いいに決まってます。
確かにそうですね。ついつい、作るためにかかった時間を盲目的にリスペクトしてしまいがちです。
古川早くものを作る方がずっと難しいわけですから。そこはきちんと言っておきたいですね。ちなみに、ここから“磨き”に入るんですが、これにはすごく時間がかかってしまいます。
古川このバングルが、根室に来て初めてできたものです。鯨の骨がイメージソースなんですが、この形を手に覚え込ませるために、ずっと手で触っていました。その感触だけを頼りに作ったものです。こういうのはなかなかできないですね。自分では一番好きなモデルです。根室に来たら、東京にいた時より絶対いいものを作らなきゃというプレッシャーがすごくあったので、これができてよかったです。見た目もいいし、触ってもいい。どこか宇宙感があって、おすすめです。
古川リズムのフランス語で「リトゥム(rythme)」です。すごく人気があります。シルバー製で9万円、ゴールドだと60万円です。
古川それでも安いほうだと思いますよ。原料のゴールドがものすごく値上がりしているので。僕が仕事を始めてから一番安いときと比べると、いまは6倍くらいになっています。自分でも欲しいんですが、どんなに安く作ろうと思っても材料費だけで何十万もかかるんです。なので、自分で作れるのになかなか手が出ないんです(笑)。
よそのブランドなら倍以上するかもしれませんね。〈アーム〉も18年もやっているわけで、当初に比べたら値段は高くなってるんですか?
古川いや、値段はほとんど変えていません。それも根室でやってるからできることですね。東京ベースだと絶対無理だと思います。根室にいると、そもそもの支出が少なくなるので。
なるほど。他にはこっちに移住してできたものはありますか?
古川この蝦夷鹿の角を使った指輪もそうです。浜辺を散歩していたら角が落ちてて、拾ったらけっこう固そうだし、いけるかもなと。それで角の根元をちょこっと切ってポケットに入れて、2年くらいとっておいたんです。ずっと触り続けて素材と仲良くならないとできないなって。
古川こっちに来て2~3年くらい経ってからようやく、ですね。シルバーとかゴールドは18年間毎日触ってたものだから、なんとなく感覚的にできるんですが、鹿の角となるとそうはいかないので、時間がかかりました。
捨てられたものに再び命を吹き込むって、つまりはリサイクルですよね。正直よく聞く話ではありますが、この指輪がほかとちょっと違うのは圧倒的に美しいところ。理念と造形美が一緒になってるのが素晴らしいと思います。
古川そうした普段のくらしの営みからものが生まれるということがまず尊いし、それがこっちに来た理由の一つでもあります。最近、アイヌのひとにもよく会っているんです。なにか一緒にものづくりできないかなって。
ものづくりのモチベーションはまったく衰えないですか?
古川ジュエリー作りには全然飽きませんね。そもそも手で何かを作ることが好きなんだと思います。料理が好きなのも同じ理由ですね。あとは長くジュエリー作りをやっていると、お直しのオーダーがけっこう来るんです。
古川自分が作ったものに責任を持ちたいですし、けっこう複雑な作りをしているので、自分にしか直せないんです。なので、自分の手が動く間はジュエリー作りは続けると思います。なによりリペアの依頼が来るのはうれしいですよね。長く使っていただいている証拠なので。
古川さんが文字通り、ひとつひとつ手作りでこしらえた〈アーム〉のジュエリーは、どれも尋常ならざる美しさを湛えています。友人知人からのオーダーも引きも切らないそうです。一生ものという言葉を軽々しく使うべきではありませんが、〈アーム〉のジュエリーはその言葉を冠してもいいように思える、稀有なアイテムです。
アトリエでの取材後、古川さんの知り合いのお店「guild Nemuro」にも伺いました。
古川このお店をやっている中島孝介くんを含めて、僕の周りでこれまで5人が根室に移住してきました。街を案内しただけなら、300人以上はいると思います。根室はものを作る環境としてはすごく恵まれています。とくに、受け身ではなく能動的に動けるひとにはすごくいい場所ですね。
古川東京で暮らしていると、とにかく情報に溢れているし、それを取捨選択して行くのにエネルギーを使います。そんななか、いろいろなものを吸収しようとアンテナを立てて暮らしているとすごく疲れてしまうんです。それが根室だと、存分にアンテナを伸ばしながら生活できるので、そこにストレスがないんです。アーティストとかデザイナーとしての感覚を持ちながら生きられるというか。あとは根室のように手付かずの自然があるような場所にいると、動物的な勘とか第六感的ななものが強くなりますね。
釣りが信じられないぐらい上手いことや、視力は悪いのにどこになんの獣がいるとかすぐ見つけるというのは、そういう感覚が研ぎ澄まされているからなんですね。
古川関係はあると思います。あとは自分の住んでいる土地のことを知るというのがすごく大事だと思っています。その土地ありきのものづくりがしたいんです。東京にいながらにして、地方になにかを作らせるというのは、違うんじゃないかと思ってて。もっといえば、搾取のようなものだと自分は思います。そうではなくて、ここに住んだことで出てくるアイデアで、ものづくりをしたい。それが地方が活性化していくことの一つだと思うんです。
地方再生とかよく聞く言葉ですが、やっぱりその土地に根を下ろして、実際に住むことが必要なんですね。
古川住まないとダメですね。とくに北海道のひとは、俺らは俺らでやるからっていう思いが強いので、自分たちのやっていることを発信する、輸出するのは難しいんです。外野からあんまり言われたくないっていうのがあるんだと思います。
北海道って食も自然も桁違いに素晴らしいわけですが、住んでいるひとはその価値に気づいてないのかもしれませんね。
古川それはありますね。道外に出て初めて、自分たちの故郷の魅力に気づくんです。余談ですけど、『思い出のマーニー』っていう映画があったじゃないですか、スタジオジブリの。あれ作中では釧路から根室に行く途中の湿地で起きた話なんですけど、この話知ってました?
古川ですよね。それをうまくPRするだけで、けっこうなひとがくると思うんですよ。
『あまちゃん』のときは、岩手県の久慈市に観光客が押し寄せましたからね。
古川そういう不器用さがありますよね。まぁ遡れば、本州が江戸時代のころ、北海道はまだ狩猟をしていたわけですから、生活習慣やら気風とかは全然違うのも当然だとは思います。
そんな根室に腰を下ろして、この先はどんな活動をしていこうと思っているんですか?
古川今、来春発売予定の本を書いています。もちろん根室についての本です。仲良しのカメラマンとイラストレーターが背中を押してくれて、出すことになったんですが、かなりの文字数があるので、けっこう大変ですね…。
その本が出たら、根室に興味を持つひとが増えそうですね。
古川そう思います。いまはオリンピックを控えて、これから日本が盛り上がっていますが、オリンピックが終わったら、必ず閉塞感が出てくるというか、揺り戻しがくると思うんですよね。そうなると地方、二拠点生活、移住、そういうキーワードにより注目が集まるはずです。それは地方の活性化の切り口になりうるし、それまでにいろいろ整えておきたいんです。
ということは、本の出版以外になにか計画していることがあるんですか?
古川まだ計画段階ですが、宿泊施設を作りたいと思っています。根室の自然をダイレクトに感じられる場所で、雨雪を体感できるような。結局、ホテルに泊まっているだけではわからないことって多いと思うんです。夜に散歩して、星を見て、とそういう体験をしてもらうだけで全然違いますから。
そうなってくると、市や行政も巻き込んでいかないといけないですね。
古川まさにその通りで、だから冒頭で話したような、市の活動をいろいろしているんです。とは言っても、はじめはただのよそ者ですから、信用してもらうまではすごく大変でしたね。
古川とにかく飲み歩きました。スナックやらなんやらを毎晩朝まで。「自分東京から来たんですけど、こういうことやりたいんです」みたいなことを方々で言い回ってると、「そしたら◯◯さんに言えばいいんじゃない」「あ、紹介してください」と、これをひたすら繰り返してきました。
古川そうですね。縁もゆかりもない土地に移住してこんなことをやってるので、ロマンチストとかファンタジックとか言われるんですが、自分のなかではすごくリアリストなんですよ。たまに「自分の好きな場所で好きなものを作って暮らせていいですね」って言われるけど、そんなに甘いものじゃありません。僕は僕で未来に対して戦ってますから。
古川夢見がちなことやひとはあまり好きじゃないですね。「原発反対!」とか言うだけなら簡単です。でも、実際に物事を変えるなら小さいことからじゃないと無理なんです。そういう意味では根室市の2万人っていうのはちょうどいいと思うんです。根室が変われば、道東も変わるし、北海道が変わる可能性もある。そっちのほうがよっぽどリアルだと思いませんか?
志を持ちながら、継続的にことを起こしていくという話ですね。
古川どうすれば自分たちのくらしがもっと楽しくなるか、どうしたら美味しいものを食べれるかということをつねに考えていたいんです。貪欲になって暮らさないと。いまの現状に危機感を抱いているひとたちと街づくりをしていけば、きっと子供たちが安心して暮らしていける社会になるんじゃないかって思います。