中村あゆみから、グレイトフル・デッドへ。
ー10周年、おめでとうございます。
田中裕高(以下、田中) :ありがとうございます。ただ、ぼく自身それほど意識していませんでした。記念的な何かも思いつかないまま2017年も終わろうとしています。
ーこれまでほとんど媒体に露出されませんでした。
田中 :鼻の高い金髪ならいいんでしょうけど、普通の日本人ですからね。ブランドとしてどこかミステリアスなほうがいいだろうという思いもありました。SNSばやりでなんでも赤裸々になるいまならなおさら。ただ、あまりに地中深く潜りすぎていた。要は少しは知ってもらったほうがいいでしょうとスタッフに背中を押されたわけです。
ーブランド名からしてミステリアスです。
田中 :よく聞かれるんですけど、ほんとうに意味がないんです。コストコ、テキスコ、ペトコ…アメリカで成功している企業に倣ってお尻に “CO” をつけること。英語圏の人が聞いておかしくないこと。そしてアドレスの入力に負担にならない文字数に収めること。このお題でいろいろと並び替えてしっくりきたのが「PUEBCO」でした。
ー参考にした企業はアメリカなんですね。
田中 :今年44歳になりましたが、この世代の子どものころって外国=アメリカだったんです。中学でスケボーにハマって伝説のスケートボーダー、マーク・ゴンザレスのモデルを手に入れました。捨てずにとっておいたらいい値で売れたはず。惜しいことをしました。千駄ヶ谷にあった「ストーミー」の教室にも通ったので服にまでお金が回らない。地元の西葛西で猛威を振るっていたストーンウォッシュのジーンズが千駄ヶ谷では通用しないことは間もなく分かりました。
高校はバイクにつぎ込み、ローンと事故った弁償代のダブルパンチでバイトに明け暮れ、卒業してふらふらしていたところを先輩に誘われてアパレル会社に。ここで音楽の世界に開眼します。一発目はニール・ヤング。初めて買ったCDが中村あゆみの『翼が折れたエンジェル』ですからそれはもう衝撃でした。もっとも心酔したのはグレイトフル・デッド。いまもプリントTシャツは大切にとっています。コレクターではないんですが、これだけは特別。そうしてアメリカへの想いが募っていきました。
ーそこからどのようにこの業界に。
田中 :インテリア会社の社長を叔父にもつ先輩がいました。おそらく後継者にしたかったのでしょう。うちで働けといわれた先輩は「じゃ、アメリカへいかせてくれ。ついては連れていきたい奴がいるからそいつも」って。それがぼくのことでした。社長は帰国後働いて返すことを条件にポンとお金を出してくれました。11ヵ月のカリフォルニア生活で得たのは誰も知らない世界では自分から動かないとなにもはじまらない、ということでした。
放任主義の会社だったこともあり、営業もデザインも見よう見まねで覚えていきました。入社して7、8年経ったころでしょうか。カタログをつくろうと思い立った。それまでの業界のカタログはチラシに毛の生えたようなもので、ものの良さがまったく伝わらない。「現物をみてもらえばわかるんですけど」が当時営業の口癖でした。予算もないから写真も自分で撮りました。一冊つくろうと思えばトータルで2万カットを超える。50日会社に泊まり込んだこともあるし、店の隅で撮影しながら除夜の鐘を聞いたこともあります。逃げ出さなかったのはひとえに期待されていたから。社長には「この業界にカタログの重要性を意識させたのはお前だ」っていってもらいました。
いまも刷り上がったカタログをいの一番に届けるのはその社長です。飯食ったか、歯磨いたか、さっさと寝ろ……まわりの大人が同じことしかいわないなか、社長はまるで違った。とにかく一緒にいて楽しかったし、たくさんのことを学ばせてもらいました。
かわいい、じゃなくて格好いい。
ー「プエブコ」の映えある一発目の商品は鳥のオブジェ。
田中 :メガネかけてギターを弾いている鳥の土産物をアメリカの観光地でみつけて閃いたんです。剥製のような仕上げで手頃な価格帯のオブジェがあったら面白いぞ、と。およそ1年かけて商品化にこぎつけました。
営業先はもっぱら服屋。いまでこそ珍しくありませんが、インテリアの人間にとってアパレル業界は未開拓の地。前の会社に後ろ足で砂をかけるようなことをしたくなかったのもありましたが、きっとうまくいくと信じていました。
2年半かけてリストアップした20軒すべてに卸すことができました。営業力は20代に鍛えられましたからね。11回門前払いを食らったお客さんに12回目で買ってもらったこともあるんですよ。売れたらまた仕入れての繰り返しで、鳥とキャンドルでスタートして、そこから少しずつラインナップが増えていきました。
ー改めて、「プエブコ」とは。
田中 :白髪をラフに結わいて、清潔感のある白シャツに、最低限のアクセサリー。そういう海外の女性のような大人の格好よさを表現できないかなと悪戦苦闘しています。
ー一見ファニーな鳥のオブジェもほんものの羽根をつかっていて男心にぐっときます。
田中 :大切なのは、テクスチャー。近ごろは素材から考えることが増えましたね。かたちありきで素材を探すとどうしても妥協しなければならないときがあって、これがストレスになっていたので。
ーリサイクル、リユース素材の多さも目を惹きます。全体の70%に達するとか。
田中 :新しいところではパラシュート生地のバッグやテント生地のエプロン。インドの軍モノの払い下げです。プラスチックひとつとってもそうなんですが、昔のそれは圧倒的に存在感がある。たとえ耐久性が劣るとしてもその魅力には抗えません。
ープラスチックといえばこのバスケットもそうですね。
田中 :ええ。まさに昭和の時代にあったバスケットです。かつては黄緑やピンクなどけばけばしい色をつかっていましたが、これをモノトーンに。ルーツを辿ればチープなものですが、がらりと印象が変わりました。
ー「プエブコ」は真面目に会議室で打ち合わせていたら間違いなく商品化されないようなアイテムがそこかしこにあり、かつ洗練されたライフスタイルに溶け込ませるブラッシュアップが見事です。
田中 :大手がやらないようなことをやることがひいてはブランドの個性、強みにつながると思っていますから。
ー新作の投入サイクルも面白い。シーズンで区切っていないんですよね。
田中 :無数の試作が同時進行していますが、半分以上はドロップします。納得がいくものだけをリリースするので、どうしても不規則になってしまいます。
ーそして、まさに良心的なプライス。
田中 :この業界はロットが大きいからその分を価格に転嫁せざるを得ない。そこは知恵と行動力です。
ーそれにしてもアイデアが多彩です。枯れることはないのでしょうか。
田中 :年に10カ国はまわっていますからね。蚤の市めぐりのほか、工場や卸先との打ち合わせもあるのでインプットのチャンスには事欠きません。
ー海外のお店でも扱われているんですね。
田中 :ええ。いまは30カ国ほど。輸出が売上げの半分を超えました。
ー10年経ってますます深みを増しています。
田中 :インディーズがメジャーになると途端につまらなくなるのはファンに媚びるから。ぼくはお客さんが欲しいものじゃなくて、お客さんに喜んでもらいたいという観点でものづくりをしてきました。この考えはずっとぶれていません。