編集の仕事を始めた二十代中盤。この道に導いてくれた先輩から香港に誘われた。香港特集を担当した直後で、また行きたいから付き合えと。
前日夜、打合せからの流れで未明まで飲み、帰宅したのは午前3時過ぎ。10時の飛行機まで時間はあると仮眠したのがまずかった。箱崎での待合わせの時間を大幅に過ぎ、8時になっても現れないぼくに電話してきた。こちらはまだ夢のなかである。
慌てた顛末とその後のドタバタを書くとスペースが足らないので、それはいずれ。ともかく日個連のタクシーを飛ばして20分前にチェックイン。なんとか間に合った。もうひとりの参加メンバーも入稿が間に合わず、翌日から合流と、どいつもこいつも状態の珍道中となった。
現地では先の取材のコーディネーターが案内してくれた。この先輩が野良犬に歩み寄り、かわいいなんて喉をゴロゴロしていたら、それはダメという。衛生面? ではなく美味しくないからだそうだ。カルチャーショックな80年代なのであった。
尖沙咀(チムサーチョイ)のネイザンロードにロレックス専門店があった。たぶんまだあると思う。そこで〈ロレックス〉のエクスプローラー1が売っていた。当時のレートで換算すると11万円くらい。いまこのモデルの中古が100万円近くするというから隔世の感。
しかし、当時20代の若者にとってその金額はさらりと乗り越えられるものではなかった。佐藤康光棋士並みの長考が必要な買い物である。
夜は潮州料理店で名物という太極スープというほうれん草と鶏肉のスープを楽しんだ。スターフェリーニで何度も香港島を往復したり、アンティークマーケットに行ったり。でも心のなかに引っかかりはずっとあった。
2泊の滞在を終え、帰国した。ロレックス? もちろん投了である。
そして東銀座での普段の仕事に戻った数日後、Mさんという先輩編集者が香港へ遊びに行くという。そして帰ってきたばかりのぼくにどこが面白いのと聞いてきた。
行ったお店やコーディネーターが紹介してくれたところを説明したりした後、やはりどうしても諦めきれず先輩に頼んだ。ネイザンロードにある時計店で買ってきてくれませんか。
地図を書き、だいたいこのへんとあたりをつけ、店名を書いた紙切れを渡した。
数日後、先輩が出社してきた。
いや全然店がわからなかった。お前が書いた店名の店はなかった。時計屋は確かに何軒か並んでるけどそんな名前の店は見当たらない。何度もあのあたりをうろうろし、もしかしてここだろうという店に入ったらたまたま売ってたから買えたという。
それは申し訳ないことをした。地図がちょっと違っていたのかもしれない。でもブツはちゃんと受け取れた。
横でそんなやりとりを聞いていた副編が頭の上の電球が灯ったような顔で聞いてきた。
それ、なんていう店?
ズーリックです、とぼく。
しばらく考え、そしてニヤリとしながら、それもしかしてチューリッヒじゃない? スペルはZから始まってさ。
手元のワランティにも確かに“Zurich”とハンコが押されている。
あ、これでチューリッヒなんだ、と足元の〈ビルケンシュトック〉を見ながら、これで香港歩いたななんて思い出していた。