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FEATUREPlease Show Me Your Bookshelf|本棚からのぞき見る、あなたの人となり。第一回:斉藤久夫(TUBE)

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本棚からのぞき見る、あなたの人となり。第一回:斉藤久夫(TUBE)

本棚は頭のなかのワードローブと言える存在。本棚にどんな本をどんな風に並べているか眺めることで、その人のキャラクターや考え方のクセはもちろん、持ち主のライフスタイルや来し方行く末までを推測することができるのではないか。そんな仮定のもとに、各界のクリエイターたちの本棚とおすすめの本を紹介します。

  • Photo_Takeshi Kimura
  • Text_Shunsuke Hirota
  • Edit_Yosuke Ishii

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自身のブランド〈チューブ(TUBE)〉のデザイナーとして活躍するかたわら、大手セレクトショップや老舗ブランドなど錚々たるブランドを相手にディレクションをおこなってきたメンズファッション界の重鎮、斉藤久夫氏。その本棚は、60年代から現代に至るまでメンズファッションのみならず音楽やカルチャーまで包括しながらアーカイブされた「ファッション業界の生き字引」の名に相応しいものでした。


洋書を通じて目に焼き付けた、本当のファッション

―今回は「本棚からのぞき見る、あなたの人となり」という企画でお伺いしたのですが。

斉藤:1963年頃でしょうか、ファッションに関する記事が載っている日本の雑誌は『男子専科』や『映画の友』しかなくて、『MEN’S CLUB』もあまり印象に残っていません。雑誌に限らず、その頃の日本製のものはおよそピンとこないものばかりでした。いまでは海外のブランドが日本の服を真似をするようになりましたけど、昔は我々が思ってる以上に日本の服は品質が良くありませんでした。アメリカの雑誌で『Men’s Wear』という雑誌があったんですよ。いまはもう廃刊したと思うんですけど、1965年の時点で既に75年も続いてる老舗雑誌です。その頃はみゆき族やらで〈ヴァン(VAN)〉が流行してて、僕らも最初は〈ヴァン〉を買ってたんですけど『Men’s Wear』を観てみると「〈ヴァン〉の先生が載ってるじゃないか」、と。そんな風にして洋書を観て育ったので、僕にとって本は観るものなんです。

―日本にまだメンズファッションが根付く前の時代ですね。全く想像できません。

斉藤:65年がちょうど”メンズウェア”から”メンズファッション”になる時代。65年頃にムービースターやロックスターがバーッと出てきてメンズファッションって言葉が誕生するまで、”ファッション”ってのは女の人の言葉でした。そういう意味では『Men’s Wear』という雑誌が廃刊するのは当然の結果ですよね。ただ、こういう海外の本を通じて僕は「日本の服ってアメリカの真似だったんだ」っていう事実を目の当たりにして、アメリカのものを買うために上野のアメ横に行ったり横浜に行ったりするようになりました。

—洋書がきっかけで服飾の世界のより深い部分に目覚めたんですね。いま本棚に並んでいるのは、服作りの資料的なものが多いんですか?

斉藤:資料も多いですね。あとは写真集。60年代や70年代の音楽ライブの写真集は面白い人達が写ってるし、その時代は有名な写真家たちが育っています。洋書の文章を全部読むのは至難の技だから、ともかく写真を目に焼き付ける。観て覚えるんです。だから僕はいまだにあまり活字を読みません。変な話、文学的な本とかはおよそ読んだことが無いですね(笑)。あとは自分の好きなミュージシャン関係の本。60年代はローリング・ストーンズやボブ・ディランをはじめ色々なミュージシャンが排出されて、面白い時代だったように思います。

—本棚のバリエーションを拝見していると、斉藤さんにとって「60年代」がひとつの基点のような気がします。

斉藤:そうですね。1945年に戦争が終わって、50年代の終わりからジェームス・ディーンみたいな人達が大人に反抗する若者を表現しはじめたのをきっかけに、若者文化が誕生したんですね。それまでは若者は学校に行って真面目に勉強するのが当たり前だったのに、60年代になると若者の文化が爆発して、それを大人たちが抑えきれなくなった。メンズファッションが生まれてロックスターが次々と誕生した60年代は刺激的でした。

ーそれ以降の時代は斎藤さんはどのように過ごしたのでしょうか。

斉藤:70年代はヨーロッパへよく足を運びました。ロンドンは街を歩けばパンクの子たちやスキンヘッズがたくさんいましたね。当時たまたまロンドンにいるときに「ヴィヴィアン・ウエストウッドの新しい店がオープンするから行こうよ」って誘われて「セディショナリーズ(SEDITIONARIES)」のオープニングに行ったこともありますし、イタリアに行けばサルトリアの頂点みたいなスーツを手に入れることが出来た。色々なことが起こりはじめた興味深い時代でしたね。そうやって海外に行った時に新しくて面白い雑誌を見つけては日本に持ち帰ったりもしましたが、その頃は海外と日本では5年ぐらいタイムラグがありました。

—斉藤さんの場合、現地も訪れるし色々な本から情報を吸収しているので、情報のタイムラグがなかった、と。

斉藤:そう。だけど菊池武夫さん(編注:〈TAKEO KIKUCHI〉創始者)とか川久保玲さん(編注:〈Comme des Garçons〉創始者)とか当時から海外によく行ってる一部の人達には面白さが伝わるけど、一般の雑誌やマーケットには伝わらないので、あまり有効ではなかったですね。もうひとつの転機は75年頃ですかね。『CHEAP CHIC』の刊行が75年で(編注:日本語訳版は77年)で、『POPEYE』の創刊が76年かな。ここは日本にとって大きな転換点で、高価な服を買わなくてもお洒落が出来るんだっていう衝撃が大きかったですね。ただ、僕は既にその頃はイタリアに傾倒してサルトリア仕立てのスーツを着ていました。イタリアでは同じ時期に『VOGUE UOMO』が創刊になって〈ジョルジオ アルマーニ(GIORGIO ARMANI)〉や〈ヴェルサーチ(VERSACE)〉といったブランドが出てきたんです。こうして考えてみと、何十年に1回、かならず大きなムーブメントが来るんですね。

—お伺いする前はトラッド関連の資料が多いのかな、と想像してたのですが、実際に本棚を拝見するとトラッドや服飾に関する本はもちろん、70年代のパンクの写真集から80年代の雑誌『iD』の創刊号、最新のCDアルバムまで網羅されていて、バリエーション豊かですね。

斉藤:トラッドって実はあまり面白い本が無いんですよね。日本では〈ヴァン〉の影響でトラッドがとんでもない大きさになって持て囃されてきましたけど、変化のあるジャンルじゃないから地味なんです。確かにこうして並べると本のジャンルは多岐に渡りますね。本当はちゃんと年代やジャンルごとに分類しなきゃならないんだけど、いつの間にかグチャグチャになっちゃいました。置き場所も無くなってきて本棚のうえにも雑誌が積み上がってる状態なので、なるべく買わないようにしてますが、それでもたまに買っちゃっては「どうしよう」って頭を悩ませていますね。

—色々な人の本棚を見聞きしていると、本棚に本を入れたら完成というタイプの人と、頻繁に本棚から取り出して読むタイプの人がいるように思います。斉藤さんの場合、普段から本を取り出して読んでいるので、分類していなくてもどこに何の本があるかわかっているような気がします。

斉藤:土曜日はここに来てレコードを聴きながら本を眺めたりして過ごすので、大体どこに何があるかは把握しています。そうそう、横浜の友達の家の近所にカラオケ屋があってね、友達が「斉藤さん、面白いもん見せてあげる」って言ってその店に連れていってくれたんだけど、そこのオヤジさんに曲名を言うとどこにレーザーディスクがあるか全部わかってて、瞬時にパッと出してくれる。それに近いものがありますね(笑)。たまに本棚を眺めてると「あの本、あんなところにあったのか」なんてこともあるし、「あの辺に30万円ぐらいするブルース・ウェーバーのサイン入り写真集があるはずなんだけど、取り出せない」なんてこともありますけど(笑)。

—なにか本を買うときの傾向はありますか?

斉藤:まず表紙。たとえばカントリー&ウエスタンのライブの写真集を観て「表紙の男が着てるウエスタンシャツを作りたい」とか。誰がこんなの買うんだ、って話なんだけど。権威ある写真家の作品かどうかとか、コンセプトがどうだとかには興味はありません。そのまんま、見たまんまが好き。「イメージをこんな風に作って」ってのが嫌いなんです。

—60年代から現代まで、実際に当時の先端のシーンをリアルタイムで見てきているからこその、説得力のある言葉と本棚だと思います。僕らの世代では当時のことは雑誌や話で追体験するしか方法がないので、羨ましい限りです。

次のページでは、フイナム読者に向けた斉藤さんおすすめの3冊をご紹介
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