—本棚のバリエーションを拝見していると、斉藤さんにとって「60年代」がひとつの基点のような気がします。
斉藤:そうですね。1945年に戦争が終わって、50年代の終わりからジェームス・ディーンみたいな人達が大人に反抗する若者を表現しはじめたのをきっかけに、若者文化が誕生したんですね。それまでは若者は学校に行って真面目に勉強するのが当たり前だったのに、60年代になると若者の文化が爆発して、それを大人たちが抑えきれなくなった。メンズファッションが生まれてロックスターが次々と誕生した60年代は刺激的でした。
ーそれ以降の時代は斎藤さんはどのように過ごしたのでしょうか。
斉藤:70年代はヨーロッパへよく足を運びました。ロンドンは街を歩けばパンクの子たちやスキンヘッズがたくさんいましたね。当時たまたまロンドンにいるときに「ヴィヴィアン・ウエストウッドの新しい店がオープンするから行こうよ」って誘われて「セディショナリーズ(SEDITIONARIES)」のオープニングに行ったこともありますし、イタリアに行けばサルトリアの頂点みたいなスーツを手に入れることが出来た。色々なことが起こりはじめた興味深い時代でしたね。そうやって海外に行った時に新しくて面白い雑誌を見つけては日本に持ち帰ったりもしましたが、その頃は海外と日本では5年ぐらいタイムラグがありました。
—斉藤さんの場合、現地も訪れるし色々な本から情報を吸収しているので、情報のタイムラグがなかった、と。
斉藤:そう。だけど菊池武夫さん(編注:〈TAKEO KIKUCHI〉創始者)とか川久保玲さん(編注:〈Comme des Garçons〉創始者)とか当時から海外によく行ってる一部の人達には面白さが伝わるけど、一般の雑誌やマーケットには伝わらないので、あまり有効ではなかったですね。もうひとつの転機は75年頃ですかね。『CHEAP CHIC』の刊行が75年で(編注:日本語訳版は77年)で、『POPEYE』の創刊が76年かな。ここは日本にとって大きな転換点で、高価な服を買わなくてもお洒落が出来るんだっていう衝撃が大きかったですね。ただ、僕は既にその頃はイタリアに傾倒してサルトリア仕立てのスーツを着ていました。イタリアでは同じ時期に『VOGUE UOMO』が創刊になって〈ジョルジオ アルマーニ(GIORGIO ARMANI)〉や〈ヴェルサーチ(VERSACE)〉といったブランドが出てきたんです。こうして考えてみと、何十年に1回、かならず大きなムーブメントが来るんですね。