モート:ブランドの標語に”PENDLETON WOOLEN MILLS SINCE 1863”という文字が入っているように、我々は1863年に創業いたしました。そもそも私のひいひいおじいちゃんがイギリスのヨークシャー州から毛織物などを輸入したことから〈ペンドルトン〉の事業は始まりました。オレゴン州は1859年に誕生した州でして、その地で1863年に私のひいひいおじいちゃんはアメリカで初めての毛織工場を設立しました。彼はもともと繊維職人で、1900年に亡くなってしまったんですが、その頃アメリカでは毛織工場が1000ほどあったんです。その中で〈ペンドルトン〉はミシシッピ州で世界最大の織物工場を立ち上げておりました。それが現在のアメリカでは4つまで減ってしまいました。ただ、そのうち2つが我々ペンドルトンのものなのです。創始者も、彼自身が立ち上げた工場が153年間も続き、6世代にわたって継承されていくことになるとは思ってもみなかったと思います。彼が工場を立ち上げた際に、品質であったり、繊維そのものに対するこだわりを強く持っておりました。その思いは153年間一度も変わることなく受け継がれております。”PENDLETON WOOLEN MILLS SINCE 1863”︎というのは、ペンドルトン社の品質、商品を買い求めていただいたお客さんたち、関わっていく人たち、商品や会社の方針など全ての要素を守りづつけるというコミットメントにもなっているんです。〈ペンドルトン〉の歴史は永遠と話し続けられるんですが、ブランドの持つ長い歴史は変わらずに今も継承されているのだ、ということを是非皆さんにもお伝えしたいと思います。
マティ:僭越ながら簡単に僕の紹介をさせていただきますと、1964年に国際プロレスの団体を作りまして、現在の日本のプロレスラーのなかで最も古い人物の一人であると自負しております。僕の弟弟子にはアントニオ猪木や坂口征二、ラッシャー木村などの錚々たるメンバーがいます。そしてプロレスラーとして活動していくなかで、とあるきっかけでポートランドにやって来まして、現地で生活をすることになりました。そしてそこで家内が百貨店のレディースファッションのガイドとして働いていた際に、「ノードストーム」というデパートで〈ペンドルトン〉の服を見つけたのですが、あまりに高くてその時は買えなかったんです。その時に家内が私にレスリングをやめて、この〈ペンドルトン〉の商売を日本でやったらうまくいくんじゃないかと提案してきたんです。それが1967年の後半のことです。それからすぐにモートのお父さんと会うために約3年間アクションをしてきたんですが、自分の英語が拙いこともあって、なかなか伝わらず、先方からは「I don’t understand」という返答ばかりでした。しかし僕もプロでレスリングを長くやっていたこともあって、なんとか説き伏せたいという強い一心で二年半近く交渉を続けてまいりました。そこである時なんとか社長と会える機会をもらって事務所に初めてお邪魔した時に、社長から「I saw you at TV show」と言われたんです。実は僕はこれまでに全米で20近い州を周ってきて、同時にポートランドのレスリング番組にもレギュラーで出演していたので顔だけは一応日本人として通っていたんです。そんなこともあり、少しづつ交渉をできる機会をいただいていき、同時に親交も深まっていき、1980年に遂に念願であった契約まで漕ぎ付けることができました。
マティ:始めは無我夢中でほとんど意識していませんでした。北は北海道、南は九州まで日本全国を一年中歩き回って、その街の人々の生活の中に〈ペンドルトン〉がどう溶け込んでいるかをリサーチしたりしていました。そんななかでとても印象的だったのが、モートさんのお父さんを日本に招待し、案内したことがあるんですが、その時は奥さんといらっしゃってホテルオークラに泊まられていたんです。そして良いレストランに連れて行けと言われまして、僕が居酒屋が好きだったので、ちょうど近くにあった居酒屋を探して一軒の煙の立ったお店を見つけ、そこへ連れて行ったんです。お店に入ってすぐに、〈ペンドルトン〉の社長さんをこんなところに連れてきていいのかとも思ったのですが、なんとたまたま奥さんが座った席の隣にいた方が某商社の方でして、こちらの席で〈ペンドルトン〉についての会話をしていたら、突然隣にいた商社の方が「I love PENDLETON!」と話しかけてきたんです。その時に感じたのが、すでに日本ではコアなファン層がいて、そうしたファン層を今後まだまだ増やしていけるなと。そんな確信を得られた瞬間でもありました。