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FEATURE|グザヴィエ・ドランの新作『たかが世界の終わり』。 ギャスパー・ウリエルが語る、演技の裏側とディスコミュニケーション。

グザヴィエ・ドランの新作『たかが世界の終わり』。 ギャスパー・ウリエルが語る、演技の裏側とディスコミュニケーション。

It's Only the End of the World

グザヴィエ・ドランの新作『たかが世界の終わり』。 ギャスパー・ウリエルが語る、演技の裏側とディスコミュニケーション。

新世代の天才と呼び声高いグザヴィエ・ドラン監督が手がけ、カンヌ国際映画祭でグランプリを獲得した『たかが世界の終わり』が公開される。自分の死期を伝えるために12年ぶりに家族の元へと帰郷した主人公・ルイと家族との顛末は、観客にさまざまな感情を巻き起こすだろう。家族間の緊張感あるやり取りをクローズアップで切り取り、劇中歌の詩とシーンを重ね合わせるなど、ドラン監督の手腕はその若さに似つかわしくない“成熟”の顔を見せる。そしてそのベースとなったのが、俳優たちによる見事な室内劇だ。主人公・ルイを演じたギャスパー・ウリエルに、ヴァンサン・カッセル、ナタリー・バイ、マリオン・コティヤール、レア・セドゥといった名優たちとのセッションや、ドラン監督の人となりについて話を聞いた。

  • Photo_Yosuke Torii
  • Edit_Shinri Kobayashi
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ギャスパー





STORY
「もうすぐ死ぬ」と家族に伝えるために、12年ぶりに帰郷する人気作家のルイ。母のマルティーヌは息子の好きだった料理を用意し、幼い頃に別れた兄を覚えていない妹のシュザンヌは慣れないオシャレをして待っていた。浮足立つ二人と違って、素っ気なく迎える兄のアントワーヌ、彼の妻のカトリーヌはルイとは初対面だ。オードブルにメインと、まるでルイが何かを告白するのを恐れるかのように、ひたすら続く意味のない会話。戸惑いながらも、デザートの頃には打ち明けようと決意するルイ。だが、過熱していく兄の激しい言葉が頂点に達した時、それぞれが隠していた思わぬ感情がほとばしる。

成熟を見せるドラン監督の演出。

ーまずは映画全体について聞かせてください。これまでのドラン映画(『わたしはロランス』『Mommy/マミー』など)に比べて芯の部分は全然変わらないけど、どんどん作風が変化・成長していた結果、今回は大人の男の映画になっているなあと感じました。

ギャスパー:その通りだとぼくも思います。かれのフィルモグラフィーのなかでひとつのターニングポイントでしょう。この映画を機に、成熟が始まったという気がします。

成熟というのは、映画のテーマ性だけでなくて、ストーリーの語り方や演出の仕方です。例えばこれまでの作品では、もう少し誇張した演出もあったと思いますが、今回は無駄なものを削ぎ落としたソリッドな演出になっていると感じますね。

ーそれはあなたが演じた、主人公のルイにも言えることですよね。彼は主人公でありながら家族にとっての“触媒”としての役割を果たしますよね。

ギャスパー:その定義は、まさにぴったりですね。私にとって今回の役はチャレンジングでした。というのもこの映画の中でのエモーショナルな部分のほとんどは彼を媒介として起動していくという形式を取っていますから。

ルイは沈黙を貫きつつ、一方で他人の言葉や行動に対してリアクションします。言葉ではなく、表情などでね。それを最大限に表現することで存在感を残すことが求められたので、大きなチャレンジでした。

ーカメラはクローズアップを多用して俳優の細かな表情を拾っていましたが、役柄のキャラクターである沈黙や表情などは、あなたのキャラクターと重なる部分はありますか?

ギャスパー:そういう内省的な、内気なところっていうのは私の中にもあるんです。とくに若い時、子供の時はああいったちょっと内気な子でした。ルイと同じ理由ではないですけれども、すごくシャイな子供だったんですよね。

語れば語るほど逆に伝わらない。

ー今までの演技では、言葉や肉体で感情を表現するというのが主流だったと思いますが、それを抑えて演技する、伝えるという難しさというのはどういうところでしょう?

ギャスパー:例えるならば、いつもとは違うタイプのエクササイズといったところでしょうか。でも、そんなに難しいとは感じなかったんです。というのも、ちょっとした些細な表情であっても、監督はちゃんとその演技をキャッチしてくれるだろうってことがわかっていましたから、その信頼感のおかげで、おおげさに演技する必要はなかったんです。

クローズアップしてくれるから、演技をミニマムにすることで、その効果を大きくしてくれるんです。クローズアップを多用すると、この映画の室内劇の息苦しさをすごく表現できてるんじゃないかなと思います。沈黙の方が言葉よりも雄弁だと思いますね。

この映画の原作は、ジャン=リュック・ラガルスの戯曲なんですが、人間というのはたくさん喋り倒したところで、実際に本当に大切なところは生まれてこない、伝わらないっていう、そういう逆説的な内容になっているんです。本心を隠すという意味で、まさに言葉が仮面のような形で機能していると思います。

ルイ以外の人たちは、喋って喋って喋り倒すことで、空間を音で飽和させてしまうんです。そうして、ルイの発言する機会を奪ってしまったり、または場の沈黙が怖くなる、だからこそ喋る。

沈黙するってことは、自分自身と深いところで向き合わなきゃいけない。それが怖い。そういう深い淵に自分が落ち込んでしまうのが怖いから、みんな喋りまくるということになっているんだと思います。

ー映画は、まさに言葉のすれ違いや沈黙により、ゆがんだ家族愛やコミュニケーションの難しさなどが描かれていました。そういった家族像をどう思いましたか? 共感はできましたか?

ギャスパー:やっぱり観客の誰もが、この映画全体に対して自己投影するというよりも、どこかのシーンに自分を重ね合わせる、そういうタイプの映画だと思うんです。

それはジャン=リュック・ラガルスによる言葉の力であったり、この映画自体の力であると思います。そして「ああ、こういう家族の葛藤っていうのがどっかで経験したことあるな」というユニバーサルなテーマを描いるんです。自分のことで言えば、本当にたくさんの部分で「あー、これ自分だ」って思うところがありましたよ。

想定外のところまで導いてくれる名優たち。

ー役者さんの芝居のぶつかり合いも見所ですが、だからこそ「役者って面白い仕事だな」とか、実感する瞬間があったんじゃないでしょうか?

ギャスパー:仰る通り、ひとつひとつのシーンというのはやっぱり誰と一緒に演技をするか、共演者次第っていうところがあります。だから、優れた共演者だとやはりこっちも役者として興奮します。

自分もレベルアップできますしね。今回は他のひとたちが、素晴らしい名優たちばかりだったので、とても刺激的な仕事でした。本当に上手い俳優さんを前にすると、想定外のところまで導いてくれるんです。

ーこの映画は演劇的ともいえると思いますが、即興は多かったんでしょうか?

ギャスパー:ほとんどないですね。今回はジャン=リュック・ラガルスの言語・セリフっていうのを少し映画風に脚色したところもありますけども、できるだけラガルスの言語に敬意を払うように、ドラン監督からはまるで演劇の芝居をするように演技してくれっていうような指示がありました。

ーこれだけ饒舌に話してますけど、劇中の沈黙の演技は結構ストレスになったんじゃないですか?(笑)

ギャスパー:ありがとうございます。快適でしたね、ポジションとしては。観察して、みんなの演技にリアクションしてればいいわけですからね。素晴らしい俳優がこちらに投げてくれるものを、ちゃんと受ければいいということ。

さきほど自分を饒舌だって言ってくれましたけど、実は人の話をよく聞く方が多い気がします。若い時はよく言われましたよ、「なんか、ぼーっとしてるね。わかってんの?」とか「ちょっと! しっかりしなさい!」とか。だから、ルイっていう人物は僕にとってぴったりでした。

時間をかけて考えたり話すっていうのが、自分の性格ですね。一人で物思いにふけったりとか、現代社会ではそういう時間が失われてきてますけどね。とくに若い人たちは自分の内側を掘り下げずに、表層的なところで生きている感じがするんですよね。流れる情報に振り回されて、いろんなところにコネクトし過ぎてるのかなと。つながっているように見えて生身で、本当の姿で会ってないっていう。PV

ーそのディスコミュニケーションもまさに今回の映画に通じますね。

ギャスパー:原作のジャン=リュック・ラガルスの戯曲自体が、そういうメッセージを含んでますね、アイロニカルに。演劇は言葉を頼りにして、劇を作り上げていくことが多いんですけど、でも結局言葉って役に立たないねっていうことを劇作家が言ってのけるというのは、謙虚な部分でもあるなあと思いますね。

ー作品選びで基準にしてること・大事にしてることってありますか?

ギャスパー:最近になってようやく映画の内容はもちろん、自分がどういう演技を求められていて、出演することで成長できそうか。または、その映画が私を安全地帯から引っ張りだして、新しい側面を引き出してくれるか、そこを基準に選んでます。

私のキャリアはそれほど長くはないですが、時には「この企画どうなんだろう?」っていう恐怖を抱いたこともありました。それで断ることもありましたけど、今ではそんなことは大したことないなって思うようになったんです。

というのは、ネルソン・マンデラの「何かを失敗したって私は何も失いはしない。何かを勝ち取るか、あるいは何かを学ぶか。そのどちらかしかないのだ」というこの言葉が好きなんです。これを念頭に置いてますね。

心がむき出しのドラン。

ードラン監督ですが、カンヌの受賞式とかで他人のスピーチ聞いて涙ぐんじゃうような人だとお聞きしたことがあります。ものすごくエモーショナルで繊細な方なんだなと。そんな彼は現場ではどうでしたか?

ギャスパー:ウソがなくて本当に誠実な人なんです。だから涙もろいんですよ。人によってはそれがオーバーな感情表現なんじゃないの? って訝しむひともいますけど、本当なんです。たしかにあそこまで心がむき出しになってるという人は珍しいので、そういう印象を持つ人があるのも理解はできますけどね。

でも、撮影現場で毎日彼は感情っていうものを本当にむき出しにしていて、目の前で作っているシーンを見ながら涙をためているっていうのは何度も目にしました。それがドラン監督のパワーになっていると思います。妥協もしないし、腰がひけることもない。すごく研ぎ澄まされた感受性を持ちながら、100%自分の責任で仕事をしてますね。その全力の姿勢には、羞恥心なんて入り込む隙間もないですね、彼の場合。

『たかが世界の終わり』

監督・脚本:グザヴィエ・ドラン

原作:ジャン=リュック・ラガルス

出演:ギャスパー・ウリエル、レア・セドゥ、マリオン・コティヤール、ヴァンサン・カッサル、ナタリー・バイ

原題:Juste la fin du monde/カナダ・フランス合作映画/99分

配給:ギャガ

© Shayne Laverdière,Sons of Manual

http://gaga.ne.jp/sekainoowari-xdolan/

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