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FEATURE|This is Broke City Gold. ブローク・シティ・ゴールドのアイデンティティー。

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This is Broke City Gold.

ブローク・シティ・ゴールドのアイデンティティー。

ミュージシャンであるK.A.N.T.Aと、東京コレクションに参加するブランド〈COTE MER(コートメール)〉のデザイナーである佐藤紀夫によるプロジェクト「Broke City Gold(ブローク・シティ・ゴールド)」。既存のファッションの枠にとらわれない独創的な服を創り出す彼らは、どのようにして出会い、なぜ活動をするようになったのか? そして、見るものの感性を刺激する服はどのようにして生まれるのか? その答えを求めに、ふたりの活動の拠点である原宿「KANTALAND」を訪れた。

  • Photo_Daiki Katsumata
  • Text_Yuichiro Tsuji
  • Edit_Jun Nakada

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左:K.A.N.T.A
MAJOR FORCEのK.U.D.Oを父親に持ち、12歳までの幼少期をロンドンで過ごす。18歳でアルゼンチンのサッカーチームとプロ契約し、サッカー選手として活躍していたが、父親の影響で小さい頃より身近にあった音楽に目覚めて20歳で帰国。2011年、自身のレーベル「KANTALAND」からデビューアルバム 「ROYAL NEW STANDARD」をリリース。HENNESY ARTISTRYやG-SHOCK30周年の祭典でThe Pharcydeとステージを分けるなど、精力的にライブも行っている。

右:佐藤紀夫
1998年、カリフォルニアへヴィンテージジーンズとサーフィンを学ぶ旅に出た後、ヴィンテージアイテムの輸入業務をスタート。2008年よりオリジナルブランド〈COTE MER〉を展開。海外合同展示会等に出展するなかで、アーティストとの出会いが増えたことをきっかけに、国内でのキュレーション業務も行うようになる。展開している商品はすべてヴィンテージのアイテムをカスタムしており、それぞれカラーや汚れ、ダメージの具合は異なる。

Broke」は“お金がない”という意味のスラング。俺たちはそのなかの「Gold」。

「Broke City Gold(ブローク・シティ・ゴールド)」は一体どんなプロジェクトなんでしょうか?

K.A.N.T.Aぼくと佐藤さんのエナジーを、服を通してみんなに伝えるプロジェクトです。ぼくたちは服をつくっているというよりも、エナジーをつくっている感覚でいます。

佐藤服をつくろうとして活動をはじめたわけではないんです。だから「ブローク・シティ・ゴールド」はブランドでもなければ、ユニットでもない。なんというか、形ある概念ではないんです。

K.A.N.T.A言葉にするのが難しいんですが、ぼくたちの姿勢であり、フィロソフィーであり、エナジーのようなもの。そんな感じで捉えてもらえたらと思っています。

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「ブローク・シティ・ゴールド」というプロジェクト名にはどんな意味が込められているんですか?

K.A.N.T.A「Broke」というのは“お金がない”という意味のスラングです。ぼくは普段アーティストとして活動しているんですが、毎日あくせく働いているのにお金を持っていなかった。でも、いつか絶対に豊かになってやる、俺は「Broke City」のなかにいる「Gold」なんだ、とずっと思い続けてここまで頑張ってきました。そのハングリー精神を表したのが「Broke City Gold」なんです。

お二人はいつどこで出会ったんですか?

佐藤ぼくとK.A.N.T.Aくんには共通の友人がいて、その友人が我々を引き合わせてくれました。

K.A.N.T.A知り合う前からその友人に話を聞いたりして、お互いの存在は認知していたんです。インスタグラムもチェックしていて「めちゃくちゃカッコいい服つくっているなぁ」と思っていて。だから、遅かれ早かれいつか会えると思っていたんですよ。

佐藤会ったらすぐに意気投合したよね。

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K.A.N.T.Aはじめて会ったときはトークをしただけでした。それで、2回目に会ったときに、「KANTALAND」のエクスクルーシブとして〈コートメール〉のアイテムをここに置きたいという話をしたんです。それがぼくらのアイテムが生まれたいきさつですね。そしたらお客さんの反応がよくて、どんどん追加でつくってもらったんですよ。

佐藤はじめは5点くらいしかつくってなくて、ワンラックに1アイテム掛けて贅沢にレイアウトしてたんですけど、それが徐々に売れるようになって回転が早くなっていったんです。当時はK.A.N.T.Aくんがつくったスニーカーも置いていたよね。

K.A.N.T.Aそうですね。「1&0 PROJECT GENZAI ART EDITION」と言って、スニーカーをリプロダクトしたものと、ぼくがつくった音楽をセットにして販売していたんです。音楽は目に見えないものだから、それをフィジカルに落し込む方法として、スニーカーのソールに自分でいろんな柄をあしらって置いていました。スニーカーは履くだけじゃなくて飾っても楽しめるから、それをアートとして捉えたんです。そして、買ってくれたお客さんのためにその場で曲をつくって渡していました。

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K.A.N.T.Aさんは、いつもこの「KANTALAND」にいらっしゃるんですか?

K.A.N.T.Aレコーディングがないときは基本的にいます。はじめはデスクひとつでスタートして、道を歩く人は「なんだここ?」みたいな感じで気になっている様子でした。それで少しづつ必要なものを足していって、いまの状態になったんです。

具体的に「ブローク・シティ・ゴールド」という名前がついたのはいつ頃のことなんですか?

K.A.N.T.A正式には去年の8月だったと思います。ぼくと佐藤さんが知り合ったのはそれよりも前のことなんですが、「KANTALAND」でアイテムを売っていくなかで、徐々にそれが独自のスタイルに進化していったんです。それを象徴するのが、和柄の着物を縫い合わせたデニムジャケット。俺たちが表現したいものができあがった! という感覚がありましたね。

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唯一無二のプロダクトができあがったわけですね。

佐藤これが生まれたときに、ひとつのアイデンティティーとして名前をつけようとなったんです。それが「ブローク・シティ・ゴールド」なんです。

お互い一緒にいるのは、本質の部分で結びつくものが多いから。

お二人のこれまでの経歴について教えてください。まずはK.A.N.T.Aさんから。

K.A.N.T.Aぼくは2011年の4月にミュージシャンとしてデビューしました。それ以来ずっと音楽だけで飯を食ってます。それこそ大企業のCMの音楽をつくったり、メジャーな広告と関わることができて、本当にありがたいなと思っています。最近では環ROYさんのリードシングルの曲をプロデュースさせてもらったり、他に自分の音楽もつくってます。

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K.A.N.T.Aすべてに共通しているのは、全部がむしゃらにやること。そして、自分にしかできない仕事をすること。それだけです。たまに仕事で「アーティストの〇〇っぽい感じで」とオーダーがくることもあるんですけど、そういった仕事は受けません。どんなにお金がなくても、そういう依頼はすべて断って、知り合いのプロデューサーを紹介したりしています。デビューのときからそのスタンスは守ってますね。

ミュージシャンと名乗ると、すごくチャラチャラしたように思われるんですけど、ぼくはそうじゃない。純粋に自分の得意なことを糧に生活を送りたい。ただそれだけなんです。ありがたいことにぼくをサポートしてくれる人たちがいて、いまの生活が成り立っていると思っています。感謝しかないですね。

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では続いて、佐藤さんのことについて教えてください。

佐藤10代の頃からサーフィンが好きで、90年代の終わりにアメリカ西海岸に行ったんです。ちょうど18歳だったかな。当時日本はヴィンテージブームで、ぼくもそれに影響をされて古着を買っていたんですけど、アメリカでも同じようにスリフトを廻ったりとか、ディーラーのもとを訪れて好きな古着を漁っていました。

そういった生活を続けていると、次第に日本の友人たちから買い付けを頼まれるようになって、年に15回ほどアメリカと日本を行ったり来たりするようになったんです。ただ、年が経過するごとに古着の数は減ってくるし、自分ひとりで全米を廻って買い付けをするのも限界があるなと感じはじめて、ブランドをはじめることにしたんです。

ぼくが拠点にしていたのはサンディエゴの北にある「オーシャンサイド」という街で、それをフランス語に変換すると「コート・ラ・メール」っていうんですね。それがなんとなく語感がいいなと思って〈コートメール〉というブランド名にして、2008年から活動をはじめました。

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古着をリメイクしたプロダクトを〈コートメール〉ではリリースしていますよね、それははじめからやっていたんですか?

佐藤やってました。カリフォルニアにはユニークな工場があるんですよ。古着の倉庫にプリントの工房が併設された工場とか。でも、デザインが次第に複雑になっていって、依頼をしても断られるようになってしまって。それならもう自分でやるしかないということで、いまは日本で自分の工場をつくって、そこで生産しています。カリフォルニアの工場をモデルにしていて、古着の倉庫、縫製工場、プリントの工房を併設したんです。そうすることで自分の想い通りにアイテムをつくれるので。

お二人はお互いのことをどんな存在だと思っていますか?

佐藤K.A.N.T.Aくんはミュージシャンとして、すごく稀有な存在だと思います。世界中にいろんなアーティストがいるなかで、彼にしか出せない音を出している。ヒップホップじゃなければ、ロックでもないし、単なるダンスミュージックでもない。どのジャンルにも属さない音楽を彼は創造していて、耳に入ってくる音を聴いただけで「これはK.A.N.T.Aくんの曲だな」というのがわかる。アイデンティティーがあるんです、彼の音楽には。ぼくはそこをリスペクトしています。

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佐藤ぼく自身も〈コートメール〉の服をデザインするときに、そういったことを模索しているんです。ひと目見て、「これはコートメールだな」って分かってもらえるような服をつくろうと思っています。そういう部分で我々は互いに惹かれ合っているように思います。求めるものが似ているというか。

K.A.N.T.Aぼくも佐藤さんに抱いているのは同じことです。彼はオリジナリティーを追求する本物のデザイナーだと思うし、そういった人に出会えたことに本当に感謝しています。

佐藤我々がお互い一緒にいるのは、本質の部分で結びつくものが多いからなんです。それで一緒にモノをつくって、中身の濃いものに仕上げる。トレンドに流されずに、自分たちのアイデンティティーを貫く。そうすることでオリジナリティーというものが見えてくるのかなと思います。

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二人から生まれるグルーヴを大事にしている。

「ブローク・シティ・ゴールド」の服はどのようなプロセスを経て生まれているんですか?

佐藤基本的には、まずぼくとK.A.N.T.Aくんでいろんなアイデアを出し合うところからはじまります。

K.A.N.T.Aこの場所にいるとファッションの流れが読めるんです。毎日ここにいて、通りを行き交う人たちを見ているとアイデアが湧いてくる。それを佐藤さんに「こんなアイテムどうですか?」と伝えるんです。ぼくには服づくりの専門的な知識はないから、あくまでざっくりとした枠組みだけを伝えて、あとは佐藤さんにお任せしています。フレームだけをつくって、その中で佐藤さんに自由に絵を描いてもらうような感じ。

佐藤一般的なファッションブランドの服つくりのプロセスと違うのは、我々はそれを半年に一回やっているのではなく、いつも行っているということ。そのなかで実験的にいろんなことを試すんです。そこで生まれるグルーヴのようなものを大事にしているというか。

K.A.N.T.Aそうやって服をつくっていると、イメージしていた以上のものが生まれるんです。

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佐藤さんは服をつくるとき、「ブローク・シティ・ゴールド」と〈コートメール〉を、どのように棲み分けているんですか?

佐藤〈コートメール〉は取引先も増えていて、マーケットを意識している部分もなくはない。一方で「ブローク・シティ・ゴールド」は、ぼくもK.A.N.T.Aくんも生活の基盤がある上で行っていることなので、自分たちの感覚を素直に表現しやすいんです。だから、できあがるものもその日の気分によって異なります。先ほども話しましたが、そういったグルーヴやライブ感のようなものを大切にしてますね。

K.A.N.T.A最初に話したように「ブローク・シティ・ゴールド」にはハングリー精神がベースにあって、グッドエネジー、グッドバイブス、ライブ感、アイデンティティー、オリジナリティー、それらすべての要素が重なったときに生まれるんです。目では見えない感覚を服というカタチに落とし込む。それに袖を通すことで、ぼくたちセンスをフィジカルに体験できる。いまはそれがすごく楽しい。お客さんもぼくたちのことをしっかりと評価してくれるし、いろんな人に支えられてこうした活動ができているんだなというのをしみじみ感じています。

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「KANTALAND」での接客はK.A.N.T.Aさんが担当しているんですか?

K.A.N.T.Aぼくもすることがありますが、基本はロケットというスタッフがやってくれています。彼はぼくと佐藤さんを引き合わせた人物。ぼくたちの活動を後ろからみて、常にサポートしてくれているんです。そうやって見た景色、肌で感じた体験をお客さんに伝えてくれている。ロケットはぼくたちにとってなくてはならない存在です。人とコネクトするスペシャルな才能を持っている。

このあいだカニエ・ウェストが来日したときも、ロケットが彼とコネクトして、お店に連れて来てくれたんです。

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目標は美しいレガシーを築きあげること。

最後に、「ブローク・シティ・ゴールド」としての今後の目標を教えてください。

佐藤海外での認知をもっと広げていきたいです。アジアも欧米からも反応を示してくれる人たちは多いんですが、それをさらに拡大したい。基本的にはこの「KANTALAND」とウェブでアイテムを展開していますが、そこだけでは出会えない人たちもいるということに最近気づいて。もっと活動の場を広げて、新しい展開を見せられるようにしたいと思っています。

K.A.N.T.A昔、こういう質問をされたときにぼくはたくさん喋っちゃうクセがあったんです。でも、そこで話したことがいまは現実になっているし、もう多くを語る必要はないかなと思っています。ただ、ひとつだけ伝えたいのは、ぼくたちがみんなで積み上げてきたレガシーをさらに大きくしたいということ。若い子たちに届いて、影響を与えられるような美しいレガシーをつくりたい。そして最後にみんなで輪をつくって、「やってよかった」と喜び合えるような活動を続けていこうと思っています。

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