作品に触れて、自分の話を語りだすひとたち。
本日は、家族をテーマにされているおふたりが対談をしたら、どんなことになるんだろうなということで、この場を設けさせて頂きました。
ええ。ただぼくは、昨日から寝られなかったんです。というのも、おふたりとも、それぞれの作品を知らないとのことだったので……。
植本わたしも、面白くなかったらどうしようと思ってたんですよ。でも、『て』はすごいよかったし、『ヒッキー・ソトニデテミターノ』も面白かったです。
岩井ぼくは、まだちゃんと読めていないんですけど……。
岩井ぼく、本を読めないんですよ。文字を読む機能が非常に劣っていてですね。昔から本を読まないで生きてきたので。
岩井うん。なんかね、演劇も観るのはまったく好きじゃないんですけど、つくることは好きなんですよ。これまで本って読んできてます?
岩井あ、そっか。じゃあ、量としては結構読んでるんだ。
岩井すごく本が好きな人の書く文章ってあるじゃないですか。そういうのがダメなんですよ。
岩井違う違う、そうじゃなくて。いや、読めなかったのは単純に時間が足りなくて読めなかったんですけど。なんていうの、重心というか。その人が書きたいことが切実かどうかというか、その切実さを言葉にするっていうのが正しい順序だと思うんだけど、切実さそのものよりも、その切実さを飾るほうに意識が行ってる人の文章って本当に、すぐ捨てたくなるから。
岩井本当にもう、いやになっちゃうの。「歌い踊り始めてるんじゃねえよ」みたいな。
植本最近、鉄割(アルバトロスケット)がすごい好きなんですよ。戌井さんがツイッターをフォローしてくれて。何かの間違えだと思ってDMを送ったら、「いやいや本を読んでいるし、好きですよ。この前の公演も観に来てましたよね?」って言われて。それで初めて、戌井さんの本を読んだんですよ。それね、すごい面白かった。鉄割っぽい部分もあって読みやすい。わたし、小説って読まないんですよ。
植本エッセイ、ノンフィクション、ドキュメント。つくりものが苦手なんですよね。
岩井ぼくは松尾スズキさんがすごい好きなんだけど、何が一番好きかってエッセイが一番好き。そう、エッセイは読めますね。確かに。なんとなく今日、聞きたかったのは、植本さんの本を読んだ誰かと直接会って話したことありますか?
岩井対談も含めて、ふつうに生きてる人っていうか、読者とどういうことを話してきたんだろうって。
植本えー。でも、いろいろですけどね。励まされたとかもあるし。でもね、すごい攻撃してくる人もやっぱりいますね。「いままですごいファンだったけど、わたしはこんなお母さんにならなくてよかった」みたいなことをメールでバーッと送られてきたのが、一番強烈かな。やっぱりトークショーとかでは、いいことしか言われないので。
植本そうそう。あれ、しなくなりましたね。エゴサーチ。
岩井なるほどね。それはそうか。でも、その人が反応したところって多分、子どもを叩いちゃったとかっていうのを含めて、誰でもちょっと反応する部分なんだろうな。
ぼくは、これまで自分のことを書いてきて、意外とみんなに受け取ってもらえるなって思って。じゃあ、ほかの人もできるってことで、俳優や一般の人たちを集めて、自分の身に起きたことで一番ひどい目に遭った話を聞いて、演劇作品にする『われわれのモロモロ』っていうシリーズをやってるんですね。
例えば……長崎でやった、すごく仲の悪いお父さんと娘の話。娘さんがワークショップに来てたんだけど、お父さんがひどいアル中で、ずっとマウンティングされて育った。娘さんは、大人になって社会に出て、しばらくたってから結婚することになって、あいさつだけでもしておこうと実家に行ったら、お父さんはやっぱりへべれけで相手にもしてくれなかった。
「頼むから結婚式のときだけは酒を飲まないで来てくれ」と言ったら、「ろくに帰って来なかったやつがなに、急にえらそうに言ってるんだ」みたいにされたから、とうとうキレて「いままでわたしはずっとがまんしてきた」みたいなことや、今まで言えなかったようなキツいことをお父さんに言ったんですって。そうしたら、その日の晩かな、お父さんが家に帰らなくなって。
後日、近所の奥様方が井戸端会議をしてたら…そこは佐世保の海のそばで、海につながる側溝があるんですよ。そのふたのところどころ空いてるところを、寒い冬の朝に何かスーと流れていったんですって。海のそばなので満ち引きがありますよね。なにかが、行ったり来たりしている、と。
「あれっ?」 て見たら「誰々さんちのお父さんいる~」となって、発見された。それで、いなくなった日の晩の防犯カメラに、コンビニでワンカップを買った映像だけ残ってて。そのあと、酩酊してただ落ちてしまったのか、娘さんは、自分の言ったことが少なからず影響しているんじゃないかって。ほかの参加者の話がそこまでヘビーじゃなかったんで、ぼくも「どうなのか、でも聞いちゃった手前しょうがない」と思って、明るい感じで「はい、じゃあいまの話を演劇にします」って。
岩井「30分渡すんで、2チーム作ってください。片っぽは当事者がいるチーム。片っぽは当事者がいないチーム」でやったときに、まあ、両方とも凄まじく面白い作品ができた。ケンカのシーンからして、やたらリアルで、ぼくも含めてみんな泣いたりしながら、どうしても下水のところは工夫しなくちゃいけないから、片っぽのチームは16歳くらいの男子がお父さん役だったんだけど、そいつが最後一生懸命、こう脚だけ動かして床を行ったり来たりとかして。
それですげえ面白いんだけど心配になって、チラッと話した本人を見たら、ゲラゲラ笑ってて。そのあと居酒屋に行って話した時に「自分の中では、間接的にお父さんの死を後押ししてしまったんじゃないかってことがずっと残っていたから、ほぼ誰にも言えなかった。別にそれが変わったわけじゃないんですけど、すごく楽しかったです」みたいなことを、ボツボツ話してくれて。そういう記憶って、ちょっと言い方は悪いけど、あとで何か違う意味合いを足せるみたいなのが、演劇とかぼくがやってることの意味じゃんじゃないかと思って。
例えばその過去が自分にとって罪一色だったのが、すげえ若いやつがお父さんの役をやって、床の上を必死に滑ったとか、みんなが必死に当時の様子を聞いてきたりとか、外から引っ張り出された経験が足されたりすることで、自分が罪としか思っていなかったことが多角的になっていくことがすごく面白いことだし、意味が強いことなのかな、みたいな気がしていて。
例えば『て』をやったときに、観たお客さんがいきなり自分の過去を話し始めたんですよ。それまでは、どんだけ演劇として面白いかみたいなことを考えてたんだけど、実際に生きている人たちが、自分の視点でしか見てなかった人生について「あれ、あの時、じゃあ相手はどういうつもりであのこと言ったんだろう」っていうことに思いを使う時間のほうが、すごい豊かというか。
だから植本さんの本も、読んだ人が自分の人生とか、自分の現実をどうやっても振り返らざるを得ない機能がすごい強い気がしてて。
うちの姉が昔、「わたしだって本当に泣き止まなくて、(子どもを)テレビに投げつけたいと思ったことがある」って言ったんですよ。すごいことを言うなって思ったんだけど、それを聞いて初めて、子どもを育てる時に母親はそこまでの状態になるんだって、やっと思えたっていうか。嫁もそれは「あ、でも確かにそこまでの感じにはなる」って言ってたので。
そこまでのことって、聞いた瞬間にワッて思っちゃうから、表に出すなって暗黙のうちに言われてるんだけど、どっちかっていうと、そういう状態にもなり得るから「じゃあ、それどうしてだ」って思ったりする時間のほうが意味が強いみたいなことを思ってて。なんか……そんな感じです。
岩井だからね、こういう(植本さんの本)のはいっぱい書いてくださいね。本当にね。