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AIR MAX95 20th anniversary

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今年、「エア マックス 95」は20周年を迎えます。言わずと知れた伝説的スニーカーですが、「どのように生み出されたのか」を知る人はそう多くないことでしょう。一人のデザイナーの確固たるアティチュードに基づいて生まれた一足のシューズは、スニーカーという枠を超えて、デザインの新しい可能性を切り開きました。その遺伝子を受け継ぐ2つのニュー・モデルと併せて、20年のストーリーに迫ります。

Edit_Taiyo Nagashima

伝説のスニーカー「エア マックス 95」はどのように生まれたのか?

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エア マックス 95 デザイナー セルジオ・ロザーノ氏

1994年。ナイキバスケットボール全盛の時代において、エアマックスのニューモデル・プロジェクトは、ランニングカテゴリに今一度スポットライトを当てるべく、“挑戦的なアプローチ”を掲げて走り出します。それまで、テニス、トレーニング、ACGのデザイナーとして活躍していたデザイナー、セルジオ・ロザーノは、キャリア4年目での自身の抜擢をこう語ります。「ランニングチームとしては新しい血を入れて、リスクを取ろうと望み、私がそのリスクそのものだったのではないかと思います」

後に社会現象化する「エア マックス 95」は、ナイキにとってはリスキーなビジネスであり、ロザーノにとってはまさに「挑戦」でした。

ある雨の日に、デザインの原型が生まれた

「エア マックス 95」の“もと”になったのは、時を経て浸食された大地の姿だそうです。「もし地中に完璧なプロダクトが埋もれていて、雨の侵食で発掘されたとしたら面白いなと思ったのです」。ロザーノは、彼ならではの視点で風景からインスピレーションを引き出し、グランドキャニオンに見られるような筋のあるシューズのスケッチを描きました。それが後に「エア マックス 95」の原型になるとは、もちろん知らずに。

すでにシューズ市場で確固たる地位を築いていたエアマックスシリーズ。ニューモデル・プロジェクトの初回ミーティングは、ロザーノにとって納得のいくものではありませんでした。彼は今までに無いユニークなアイデアを実現したいと願っており、そこで発掘されたのが前述のスケッチ。前足部のビジブルエアをドッキングさせることで、ランナーが求めるクッション性を担保しながら、革新的なデザインの原案が生み出されました。

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もうひとつのデザインソースは、解剖学の本(!)

エアマックスシリーズの生みの親の一人であるティンカー・ハットフィールドはこう問います。「良いデザインだね。それで自分の伝えたいことは何?」。ロザーノはその答えを、解剖学の本から見出します。人間の肋骨、背骨、筋肉や皮膚のインスピレーションが前述のデザインに付加されて、エア マックス 95の最初の試作品が完成しました。誰一人見たことのないユニークなデザインは、奇しくも“自然と人体”という、すべての人にとって身近なモチーフを起源としたのです。

好き嫌いがまっぷたつに分かれるデザイン

その斬新なデザインゆえに、マーケティングは難航を極めます。市場からの反応は全く予想できず、好みは極端に分かれ、社内の意見もまっ二つ。「感情的な反応を得られるということは、何かつかみどころがあったということも事実でしょう」とロザーノは説明します。

当時としては前例の無い前足部のビジブルエア、黒いアウトソール、当初はスウッシュロゴすら省かれており、反対派の声も少なくありませんでした。「全体としてナイキのシューズとすぐにわかるのだから、デザイン自体を引き立てたかったのです」。デザイン・チームは決してぶれずにプロジェクトを押し進め、その革新的なシューズはアクセントとしてのスウッシュをかかとに携えて、完成まで後一歩のところへこぎつけます。

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カラーリングに込められた三つの要素

上部に向かって明るくグラデーションになる色使いを採用した理由は、ロザーノのこの2つの発言から理解できるでしょう。「当時グレーは売れない色だと聞いていました。そこで私は挑戦することにしました」、「オレゴンでは雨の日も、トレイルでも走ります。すると5マイル(8km)走っただけでもシューズがものすごく汚くなりますから、それをなるべく目立たないようにしたかったのです」。徹底した実用主義とマーケティングの常識に挑戦する姿勢は、ここにも貫かれています。そして、象徴とも言えるネオンイエローのアクセントは、ナイキの歴史的なレース用ユニフォームに思いをはせ、まるで願いを込めるように用いられました。

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時代の象徴を生んだのは、デザインとクリエイティビティの力

幾度となく訪れる難題を乗り越え、なんとか生産にこぎつけたエア マックス 95。その後の歩みは誰もが知る通りです。リスクを取ることを恐れず自身の姿勢を貫いたセルジオ・ロザーノと、マーケティングから逸脱する大胆な試みを認めたナイキ社。90年代スニーカーブームの中心となるエア マックス 95は、マーケット主導の生産体制ではなく、「デザイン」と「クリエイティビティ」の力によって生み出された一足なのです。

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それから20年。記念すべき年に、「エア マックス 95」の名前を冠する2つのモデルが発売されます。

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