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AMRICAN EAGLE OUTFITTERS®と考えるアメカジのイロハ。 vol.13

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戦争に翻弄されるチノパンの物語

チノパンの起源はちょっとややこしい。『チノパンの“チノ”はフィリピン語の「chino=中国」だから、中国由来じゃないの?』と思っている人、惜しい。それでは由来の途中までしか遡っていないのだ。ちょっと長くなりそうだけどせっかくの機会だし、諸説あるところも踏まえて、なるべく簡潔に整理してお伝えしたいと思う。

ちなみにチノパンとは?
チノクロスと呼ばれる綾織りの“ツイル”生地を使ったパンツのこと。横糸が縦糸を二本ごとに飛び越して織られるのが特徴で耐久性が高い。

フェーズ1:インドからイギリスへ

イギリス東インド会社がインドを制圧していた18世紀後半。綿花栽培が盛んなインドはイギリス産業の原料供給地だった。同社はインドから木綿を買い付けてイギリス本国に輸出。それは産業革命で発展していた綿織物工業の原材料となった。この時、また“チノクロス”とは呼ばれていないツイル生地も大量に生産された。

フェーズ2:イギリスから中国へ

大量にツイル生地の生産ができるようになったイギリスだが、国内だけでそれを消費するには限度があった。そこでアヘン戦争(〜1842年)で負けた中国(当時はまだ清だった)に大量に輸出されることになる。この生地はすっかり中国に定着して、ポピュラーな素材として親しまれたみたいだ。ただ“チノクロス”と呼ばれるのはまだ少し先のこと。

フェーズ3:中国からフィリピンへ

長い間スペイン領だったフィリピン。そこで働いていた中国人農民が着ていたパンツが綿ツイル製のものだった。

フェーズ4:フィリピンからアメリカへ

1898年に米西戦争が勃発。フィリピンはその戦地だった。アメリカはその戦争に勝利し、フィリピンを支配下に置く。当然多くの米兵がフィリピンに駐屯するのだが、そこで中国人農民がはいていた綿ツイルのパンツを知ることになる。丈夫で快適なそのパンツは米軍の間でも人気に。中国はスペイン語でチーノ(chino)。ここでついにそのパンツは“チノパン”と呼ばれるようになった。

フェーズ5:アメリカから世界へ

で、その“チノパン”はその後の二つの大戦でも米軍の正式なユニフォームとして採用され、ますますメジャーな存在に。それがトラッドスタイルに取り入れられ、アメカジとなり日本へと流れ込んできたというわけ。

インド→イギリス→中国→フィリピン→アメリカ。こうやってみるとかなり壮大なチノパン物語。もちろん今も進化を続けて常にリアルクローズのど真ん中にいる。ワードローブには必ず一本スタンバイしておきたい、男のマストアイテムだ。

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