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AMRICAN EAGLE OUTFITTERS®と考えるアメカジのイロハ。 vol.26

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日本でアメカジはどう消化されてきたのか

さて、30回連載の本企画もいよいよ終盤。ここまでジーンズのこととかアイテムのこととか、アメカジのキーマンとか映画とか、いろんな角度からアメカジを切ってきたのだけれど、実際どういった変遷を経てアメカジが今まで日本で育ってきたのかを整理してみたいと思う。こうやって改めてその流れを見てみると、結構興味深い。日本人はアメリカ人よりもアメリカンファションを知っている何て言われているけれど、実際そうかもしれない。これを一度振り返れば、「さて、これからどうアメカジを楽しんでいこうかな」っていうことにも結構役に立ちそうだ。

<60〜70年代:アイビー、そしてヒッピー>

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戦後、アメリカ文化が日本に流入して本格的に日本の文化に結びついたのが1960年代。最初に目立ったムーブメントとなったのが、アメリカでも流行っていた『アイビールック』だ。ネイビーの3つボタンジャケットにボタンダウンシャツ、コットンスラックスにローファー。そんな出で立ちで銀座のみゆき通りに集まっていた若者達を当時は「みゆき族」と言っていた。アイビールックというのはアメリカ東部の伝統ある大学に通っていた家柄の良い学生達が好んでいた着こなしのことなのだけど、実際日本で流行っていたのはそれを崩したスタイル。あまりに「みゆき族」がたむろして風紀が乱れたもんだから、警察が一斉補導を実施。それから徐々に消滅していった。

そして1970年代に流行ったのが『ヒッピースタイル』だ。ざっくり言うとヒッピーとは、愛と平和とセックスを愛し制度に縛られず自由に生きる若者達の総称。その発端となったのは正義なきベトナム戦争への反発だ。ベトナム戦争がいかに悲惨で壮絶なものだったかは割愛するけれど、それに反感を覚えたアメリカの若者達が愛と平和と自由を訴え、このムーブメントは起こったというわけ。文明や制度に反発する彼らのスタイルちは多く民俗風習、部族の衣装の特徴を用いたもので、フォークロアファッションと呼ばれている。ビートルズがそのスタイルを実践していたことも流行の一因だ。合言葉は「LOVE&PEACE」。

<80〜90年代:プレッピー(渋カジ)、グランジ>

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1980年代中盤頃からは、再びキレイめのアメカジに注目が集まる。ブレザーにポロシャツ、ローファー、ニットの肩掛け。いわゆるプレッピースタイルだ。プレッピーとはアメリカの名門私立学校に通っている金持ちの学生達の総称。いわゆる日本でいうお坊ちゃんだよね。シンプルで飽きがこないアイテムをスマートに着こなす感じなんか、今の日本のトレンドに通じるものがあるような部分もあって面白い。

そして1990年代に入って流行ったのがグランジファッション。ご存知グランジロックから派生したファッション。モヘアのニットやカーディガン、古着のネルシャツ、ボーダーのカットソー、ボロボロのジーンズ、スニーカー。はっきり言ってプレッピーとは真逆。でもこのスタイルに衝撃を受け、新しいファッションの洗礼を浴びた人も多いはずだ。そのアイコンとなるのがカート・コバーン。この連載のVol.12で彼について触れているから、それものぞいてみてほしい。

<00〜10年代:ちょっとウエスタン、洗練されたアメカジ>

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2000年代に入って目立ったのはウエスタン系。ネイティヴアメリカンジュエリーが流行り、オンスの思いジーンズにチェックシャツ、ベストなどを着る人も多く見られた。で、足元はレッドウィングなどのワーカーブーツね。このへんになってくると、ちょっとリアリティを感じられる人も増えてくるんじゃないかな。

そして近年のアメカジ。アメカジの源流が一通りなぞられた後で、より東京的に洗練されたアメカジに成長した。アメリカの受け売りではなく、きちんと自分たちでそれを消化してファッションへと落とし込むブランドも増えた。そしてそれが世界にも発信されるようになった。そしてアメカジは今もマイナーチェンジを繰り返しながら、現代に至る。

こうやって改めて俯瞰でアメカジを見てみると、いかに日本のファッションの礎を築いてきたかがわかる。無難という側面もあれば鉄板という考え方もあるし、進化が絶えないとても挑戦的なものにも見える。アメカジってやっぱり面白いのだ。

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