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CURLYが生まれるまで。 香川県さぬき市、川北縫製のものづくりに迫る。

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まずはブランドのルーツを探る。

「川北縫製」。それが〈カーリー〉を生み出している会社の名前です。1963年に手袋の産地である香川県にて手袋製造業を創業し、その後新たにTシャツ、肌着を縫うカットソー専門の縫製工場を1968年に設立。最初はショーツのような下着を作っていて、そのうち下着だけではなく“上”、つまりTシャツを作るようになったそうです。

というわけで、50年近い歴史がある縫製工場が〈カーリー〉の母体なのでした。ただ、ブランドの誕生までは山あり谷あり、必ずしも順風満帆な道のりではなかったようです。

縫製工場を設立した当初は輸出専門で、アメリカに向けたカットソーを生産。そのうち急速な円高に伴い、国内向けの生産にシフトしていき、最盛期で一日8000枚ほどのカットソーを生産していたといいます。従業員は、ここさぬき市の工場に60人強、高松にも40人強、さらに外注も入れると、およそ140~50人ぐらいはいたそう。

当時の話を少しずつ思い出しながら語ってくれたのが、先代の社長、つまり現社長のご尊父、川北 元氏です。

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川北縫製 先代社長 川北 元氏

「海外ではなく、内地に卸すようになってから、しばらくは夢中で作り続けていましたね。毎週のようにトラックが来ては大量に出荷していました。今あるこの工場ができたのは、たしか昭和50年。約40年前のことです。そこから色々なことがありましたが、自分は8~9年前に一線を引いて、息子にあとを任せています」

御歳77歳の先代。経営からは手を引いたものの、まだまだ現役で毎日現場に出ているそう。その熟練の技はあとで見せていただくとして、ここで「川北縫製」の成り立ちを語る上で欠かせない、手袋製造についても少し触れたいと思います。

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「川北縫製」から歩いてすぐの場所に、手袋製造の工場はありました。「川北縫製」の初代社長には息子さんが二人おり、代替わりをする際に、弟に手袋業を、兄にはカットソー部門を託したそう。それ以来、縫い物という共通項はあれど、微妙に違う世界のなかを生き抜いてきました。

「手袋って、歴史がヨーロッパとは全然違うんですよね。フランスなんて1200年くらいからあったらしいので。ただ、今現在、日本では手袋製造の組合に入っている企業がおよそ80社あるんですが、その数字を向こうの人に言うと驚かれます。まだそんなにたくさんあるのかと。。手袋産業においては、ここ香川は世界的にみてもかなり稀な地域のようです」と語ってくれたのは「株式会社ダイコープロダクト」の川北専務。

この「ダイコープロダクト」では、フイナムでもおなじみのブランドの手袋を製造する一方で、消防署の防火手袋やスキーの手袋、サッカーのキーパーの手袋など様々な種類の手袋を手がけています。長年の間に蓄積されたノウハウと信頼が、もしかするとこの先〈カーリー〉のようにハイクオリティな自社ブランドを生みだすかもしれません。

話をしているうちにも、工場内では作業がどんどん進んでいきます。2Fに上がると、“延反”と呼ばれる作業が始まっていました。

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機械を巧みに繰るのは、現社長の川北繁伸氏。先代曰く「〈カーリー〉を始めたことで、我々の世代がやってきたこととはまったく異なることを一から覚えなくてはいけないし、営業先なんかも当然0からのスタート。なかなか簡単に思い切れることじゃない」

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