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フイナムテレビ ドラマのものさしSEASON5 私たちはデート(日付)を生きている 『デート 恋とはどんなものかしら』

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私たちはデート(日付)を生きている
『デート 恋とはどんなものかしら』(フジテレビ・月曜21時~)
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画像は公式HPより引用
11月16日、午後12時。この日、谷口巧と藪下依子は、2人にとって人生初のデートを横浜・山下公園でスタートさせた。

35歳の巧(長谷川博巳)は10年以上、外界との関わりを絶ち、絵画教室を営む母親(風吹ジュン)のささやかな稼ぎに頼って好きな文学やマンガや映画にどっぷりな暮らしを送ってきた。客観的に見れば働けるのに働かない単なるニートなのだが、本人は高尚な生き方を自ら選んだ「高等遊民」を気取っている。ちなみに、巧のキャラクターは『へうげもの』で知られるマンガ家・山田芳裕のデビュー作『大正野郎』の主人公(大正浪漫と芥川龍之介をこよなく愛する大学生)を思わせる。29歳の依子(杏)は、東大でミレニアム問題の研究に没頭した後、内閣府経済総合研究所に入所した理系エリートで、生活のすべてを整合性や合理性にのっとってこなそうとするサイボーグのような女性。天才的数学者だった母(和久井映見)はすでに亡くなり、離れて暮らす公務員の父(松重豊)がいる。同性の友人はいないらしく、自分にだけ見える亡き母がたびたび話相手になっている。

巧は、体調が芳しくない母の様子を見て、もし母が亡くなってしまったらこんな暮らしは続けられなくなる、新たな寄生先を見つけるべく誰かと結婚するしかない、と考える(自分で働く気はさらさらない)。一方、依子がふさわしい相手を見つけて幸せになることが妻に先立たれた自分に残された仕事だと考える父を安心させるためにも、そして国の少子化対策に貢献する必要性からも結婚を考える依子。

結婚相談所を介してはじめて会うことになった2人は、しかし相手のことを異性として好きな訳ではないし、そもそも恋愛をする気もない。依子は巧のプロフィールの数値が「すべて素数だった」ことにときめき、巧は東大出の国家公務員・依子を「安定した収入があり、かつ勉強ばかりしてきた恋愛経験のない女性」と予想し、寄生するには最適と白羽の矢を立てる。結婚とは合理的な契約であると割り切っている点では価値観が一致している巧と依子だが、ニートであることを隠して登録していた巧の嘘はすぐにバレ、さすがの依子もそんな相手との契約履行には至らない。

というのが物語の導入で、果たしてこの「お互いを好きではない2人が本当に結婚するのか、できるのか」を回を重ねて追っていくことになる。普通の恋愛ドラマであれば、「好き」→「恋愛に発展」→「結婚」というプロセスを辿るところを、この2人の場合、まず「必要に迫られた結婚」という前提があり、そこからどう相手を「好き」になっていけるのか、という逆のプロセスを辿ることになる。

やれ「草食を超えて絶食だ」などといわれる若年層の恋愛離れがとりあえずの事実だとして、そんな時代に恋愛ドラマをどう成立させるべきか、物語の作り手たちは頭を抱えていることだろう。いや、「男と女がいれば恋愛に発展して当り前」という前提がそもそも正しいのかという問いもある。同性同士のコミュニケーションすら難しいのに、ましてや異性とそう簡単に親しくなれんのかよ!という気分が共通認識としてあり、とはいえ決して恋愛したくないわけではない、という人たちが多数派なのではないか。

近年、恋愛経験値の低い童貞(実際に童貞かどうかではなく童貞的な、という意味での)を主人公にした少年・青年マンガは多く、一方、恋に奥手の女性がなぜかイメケンに言い寄られるというのは少女マンガからレディースコミックに至るまで定番のシチュエーションになっているが、いずれも共通しているのは「恋愛するのが困難な時代において恋愛の成立をどう描くのか」という点だ。「そもそも他者と関わるのってしんどいっす」という気分がまず日常のものとしてあって、その前提を何かのきっかけで突き崩す非日常の出来事として恋愛という装置がある、という構造は、同じ月9枠で放送された『失恋ショコラティエ』や、2014年末のヒット作『今日は会社休みます』にも共通する。それを不倫で表現したのが『昼顔 平日午後3時の恋人たち』だろう。

『デート』は、「恋したいけどできない」男女の話ではなく、「そもそも恋に向かない」「恋愛に意味を見出せない」2人が出会う物語だ。依子は無駄なことは極力排除する合理性のかたまりのような女性だが、そういう人からすれば恋愛というのは非合理の象徴のようなものだろう。さらに働かずに本や映画やマンガに埋没する暮らしをしてきた巧のような存在は言ってみれば無駄の象徴のようなもので、およそ理解できるはずもない。ところが、巧とすったもんだするうちに「数値や合理性では割り切りない何か」に触れることで、依子は自分に欠落していたものに気づき始めるのだ。

巧の幼馴染・宗太郎の入れ知恵で広末涼子の『大スキ!』をバックに繰り広げられるフラッシュモブによる「僕と結婚して僕を養ってください」という前代未聞のプロポーズをぶちかます2話、「帰って『カリオストロの城』を見る」という何気ないフリが、巧の姫(依子)救出によって見事に回収される3話、実は母親思いのやさしさを持つ巧が子どもの頃クリスマスプレゼントとして母に贈った「肩たたき券」という名の愛が図らずも依子に届く4話、カウントダウンパーティーでサイボーグ009のコスプレをした巧のもとに003のコスプレをした依子がさっそうと現れる(巧の世界に歩み寄る)5話…と各回がピークともいえる見せ場の連続。軽薄なフレーズでまとめれば「文系ニートとリケ女、恋愛不適合者の恋」などとなるところを、ある普遍的な「人が人を思う気持ちの質量」についての物語に昇華されているのは、脚本の古沢良太(『鈴木先生』『リーガルハイ』など)の功績のみならず、各俳優の芝居や演出、撮影、美術などによる総合力の賜物だろう。

3話で、心理カウンセラーの毒牙から依子を救出しようとして巧が顔を殴られたことで、依子のしていた眼帯が巧に手渡される。眼帯によって片方の眼がふさがれる状態は、「結婚前は両目を開いて見よ。結婚してからは片目を閉じよ」というトーマス・フラーの有名な格言を思い起こさせる。

第6話は、依子が巧を新年の藪下家に招待し、父や親戚に紹介する話だったが、ここでは亡き母の残したお雑煮の味がキーポイントになっていた。12歳で母を失った依子は、母の残したレシピを忠実に再現して父のためにお雑煮をつくるが、完璧に再現された味によって母を思い出して泣きじゃくる依子を見て、父はこっそりレシピの数値を変えておく。以来、毎年「美味しいけれど母の味そのものではないお雑煮」を依子はつくり続けることになるが、「一度数字を見たら絶対に忘れない」依子は、実は父の数値改ざんを知っていて知らないフリをしていたのだということが後に分かる。

依子は巧を父に気に入ってもらえるよう、藪下家のお雑煮のつくり方を巧に伝授する。巧が再現した亡き母の味そのもののお雑煮に父と娘は涙するのだが、ここで依子は改ざんされる前の本来の母の味を巧に教えてつくらせたのかもしれないし、巧は改ざんされた数値通りにつくったものの微妙にさじ加減を誤り、それが偶然母の味になってしまったのかもしれないし、親戚のペットである白蛇の太郎が誤って鍋に入り瀕死の重傷を負ったことでいい出汁が出てしまったのかもしれない。

真相は定かにならずに終わるが、重要なのは、母が依子に託したレシピが、依子→巧の手を通してふたたび父に届くことだ。これは、4話における、幼い巧が母に贈った肩たたき券という愛がめぐりめぐって依子に届くエピソードの反復でもある。つまり、誰かが誰かのことを思って届けたものが、また別の誰かを思う気持ちになって循環していくことの美しさと尊さが描かれているのである。実に気の利いた形で。

依子のそばには事あるごとに亡き母が現れ、あれこれ意見をしたり嫌味なことを言っては依子の気持ちを逆なでする。数学者として母の研究を継承できなかった依子にとって、母は常に超えられない壁として依子の前にあり続ける。若くして結婚して子どもを生んだ母は、依子にとって自分に欠けているものをすべて持ち合わせた、いわばオブセッションの象徴なのだろう。物事を合理的に割り切ろうとする依子にとって、幽霊の存在など真っ先に否定されてしかるべきだが、なぜか母親は当たり前のように出現することになっている。母と会話する依子は、はから見ればひとり言を言っているちょっとアブない女ということになるが、実は依子なりに科学的な根拠があるらしいことが後に判明する。母が亡くなり意気消沈する父を慰めるべく、12歳の依子は言う。「お父さんに教えてあげる。量子力学によると万物はすべて量子によってできているのよ。つまり死とは、その人を形づくっていた量子が気体という姿に変形するにすぎないの。お母さんの量子は存在しつづけるわ。お母さんは、ここやそこに居つづける」

数学や物理学は究極的にはとてもロマンティックなものだ、ということは、たとえば日本人初のノーベル物理学賞受賞者の湯川秀樹や夏目漱石の師匠である寺田寅彦などの著述を見るとよく分かる。『デート』は、恋愛に向かない2人の姿を描くことによって結果的に見事な現代の恋愛ドラマに仕上がっている。恋愛とは、宇宙の神秘の別名である。byシン・サクライ。などとうそぶいてみたい気にもなる。

ところで、「デート/DATE」とは、男女が日時を決めて会う、いわゆる逢引きの意味とともに「日付」の意味もあることを思い出してほしい。巧と依子がはじめて会った11月16日午後12時から、2人の日々は始まった。最終的に巧と依子が結婚するのかどうかは現時点では不明ながら(しないという結末はあり得ないと思うものの)、もし結婚することになれば、11月16日午後12時以降、2人の身に起きた出来事は、後になって振り返ると、すべてかげがえのない思い出になっているだろう。思い出すたびに、笑いながらいつの間にか泣いているような、そんな思い出に。

各回、「〇〇まで〇日」と日付が示され、ラストに表示される「依子の誕生日まであと〇日」のカウントダウンも、これすべてデート(日付)である。私たちは、日付を生きている。かけがえのない誰かとともに。