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フイナムテレビ ドラマのものさし『昼顔 平日午後3時の恋人たち』

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『昼顔 平日午後3時の恋人たち』フジテレビ 木曜22時
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公式HPより
禁じられた色彩が妻たちを誘う。
上戸彩が不倫する人妻を演じて話題となった『昼顔 平日午後3時の恋人たち』が、9月25日で最終回を迎えた。

大ヒットドラマ『半沢直樹』で演じた主人公を明るく支える「嫁の鑑」のような役柄とは真逆の、許されない恋愛に走ることで家族や周囲の人たちを不幸にしていく主婦を上戸が熱演。初回視聴率13.3%とまずまずのスタートを切り、不倫がバレそう、いよいよ修羅場か!?というタイミングの第8話では15.6%に、最終回も16.5%をマークするヒット作となった。後半から尻上がりに視聴率がアップするケースは珍しく、主婦層を中心に「あれ、ヤバいらしいよ」などと噂が広まったものと想像される。どうやら録画して平日の昼間にひとりでこっそり見ている主婦も多かったらしく、その辺も加えると実際の視聴者数はさらに増加するのではないか。

「平凡な日常に退屈している不倫願望アリの主婦」ではない筆者のような人間も、毎週前のめりの姿勢で見続けていたのは、なにより冴えた演出によるところが大きい。メイン演出を手掛けたのは、昨年公開されヒットした映画『真夏の方程式』(福山雅治の『ガリレオ』シリーズ)も記憶に新しい西谷弘。脚本の井上由美子とはドラマ『白い巨塔』で知られるタッグだ。

第1話の冒頭、マンションのベランダでぼんやりアイスを食べる紗和(上戸)の視線の先には、川向こうで発生した火事の赤い炎がある。まさに「対岸の火事」を他人事のように眺めている紗和は、その後自身に「恋の火の粉」が降りかかることを、まだ知らない。

紗和はスーパーでパートをする結婚5年目の主婦だが、ある日、商品の口紅を出来心で万引きしてしまうことによって、平凡な日常にわずかな亀裂が入る。やがて、高校で生物を教える教師・北野(斎藤工)との不倫という禁断の世界に足を踏み入れてしまうことになるのだが、万引きした口紅の色にはじまり、「赤」が禁じられた色彩の象徴としてドラマ全体に配置されている。川向こうに引っ越してきた利佳子(吉瀬美智子)は、日常的に不倫を繰り返す悪妻なのだが、赤い車に乗り、赤いカーディガンを羽織り、「このまま女を捨てて一生終わってもいいの?」と紗和を挑発する。「3年も経てば夫は妻を冷蔵庫同然としか見なくなる。ドアを開けたらいつも食べ物が入ってると思ってる。壊れたら不便なのにメンテナンスなんてしたことない。でもね、外で恋愛すれば夫にも寛大になれるわ。機嫌よくパンツも洗える。」と持論を展開し、紗和を不倫の世界へと手招きする。紗和が口紅の赤に誘われて手をつけてしまったことが、罪への入口だったのだ。

そして、紗和が住むマンションと利佳子の住む家、北野が住むマンションが川を隔てた向こう側にある、という位置関係も重要なポイントだろう。川にかかる橋を渡り、「むこう側」に行くのか、それとも引き返すのか、紗和は選択を迫られることになる。象徴的なのが、紗和と北野が昆虫採集に行く森へと続く木の橋だ。いわば、この橋が禁断の森へと足を踏み入れる渡り廊下の役割を果たしている。ふたりは橋を渡り、森へ入り、はじめてキスを交わす。「ああ、ついにふたりは引き返せない場所へ行ってしまった」ということが、橋を渡る行為で明確に表現されている。このシーンでは、紗和の「男の人はいつもずるい。ドアを叩くくせに自分では開けようとしないで、女が鍵を開け、『ここだよ』とやさしく声をかけなければ、何事もなかったふりをして通り過ぎてしまうのです。」という印象的なモノローグがかぶさる。「きっかけはフジテレビ」じゃなくて、きっかけは女から、というのが結構リアルだ。

そして、第6話で、紗和と北野が「もう会わないほうがいい」と別れ話をする場所は橋の下なのだ。川のほとりで背中合わせに座るふたりは、やがて橋へと向って歩き出すが、ついに一緒に橋を渡ることはなく、北野は横に逸れて歩道橋へ向かい、紗和ひとりが橋を渡る。もう一緒に橋を渡る(向こう側に行く)ことはできないということを示す象徴的なシーンだった。

このシーンを見ていて、映画監督の塩田明彦の著書『映画術 その演出はなぜ心をつかむのか』を思い出していた。この本の中で、成瀬巳喜男監督の映画『乱れる』(1964年)を例に演出の方法論を解説するくだりがあるのだが、「ひとつ屋根の下で暮らす男女が、越えてはいけない一線を越えるかどうか」という物語を視覚的に表現する要素の一つが「橋」だと塩田監督は指摘する。義姉の高峰秀子に恋心を抱く弟の加山雄三が一緒に橋を渡ろうとして、高峰秀子が急に立ち止まって反対側に走っていくことで「橋を渡る=一線を越える」ことを拒む心理を描いている、というのだ。

西谷監督はじめ演出チームがこの本を読んでいたのかどうかは知らないが、不倫を描くドラマの中で橋と川のモチーフが効果的に用いられていたことは確かだ。そして、最終回のラストシーン、紗和と北野の決定的な別れを描くシーンでは、引っ越しのトラックに乗った北野と自転車を押す紗和が橋の途中ですれ違うのだが、紗和は後ろから来た消防車に気をとられ、北野の乗る車に気づかない。そして、紗和はひとりで橋を渡っていくが、そこを禁断の色の象徴である赤い消防車が追い越していく。初回の冒頭、ベランダ越しに紗和が見ていた橋を渡る赤い消防車が、ここで反復される。実は、紗和の中の恋への欲望の火はまだ消えていないのでは、と思わせるザワザワする演出だった。その前には、ご丁寧にも紗和が自宅に火を放ち、初回では他人事として眺めていた火事の当事者になるというシーンも用意されているのだが。

というように、色や背景に着目すると、この古典的ともいえる不倫ドラマがより深みを増して起ち上がってくる。全編を通して、オレンジ色に包まれる夕暮れのシーンも多かった。赤の欲望に引き寄せられながらも真っ赤にはなれないオレンジという色が象徴するもの。それが、紗和と北野のゴールのない恋だったのかもしれない。

それにしても、実生活でも人妻となった上戸彩が妻のいる男との不倫に溺れる主婦を演じる、と聞いた時には、さぞかし艶めかしいシーンが…と前傾姿勢になったものだが、ソッチ方面は主に吉瀬美智子と北村一輝のこってりカップルに託され、紗和&北野は昆虫採集に興じたり動物園デートをしたりと、今どきは中学生でもしないような純朴ぶりで、もちろん濃厚なベッドシーンもナシ。上戸のふくよかな胸の谷間が垣間見れる眼福は一度たりとも我々には与えられなかった(エンドタイトルで一瞬だけ映る)。

そして、ことさら「不倫は薄汚い欲望」「罪深いもの」という価値観が上戸のナレーションによって強調される。「不倫を推奨するとはけしからん」という世間の声に対するエクスキューズなのかもしれないが、ラストシーンの紗和は、明らかに「あ、懲りてない、このひと。またやらかしそう」と思わせる描き方をしているので、「不倫ダメ、絶対!」の警鐘は昨今のコンプライアンスを意識した建前なんだろうか、という気もする。とはいえ、不倫の恋が盛り上がりそうな場面で、突然雨が降ってきたり、庭のホースで窓ガラス越しに水をかけられたりと、火に油ならぬ水を注ぐことで「ちょっと奥さん、冷静に!」と無言の忠告をしていたような気もするが、考え過ぎだろうか。

地味なポロシャツにメタルフレームのメガネをかけた高校教師・北野は、昆虫や動物の話になると雄弁になるオタク体質で周囲から浮いているが、ギラついたところやチャラいところがないせいか、不倫をしていてもどこか純愛の風が吹いてしまう。紗和の夫・俊介(鈴木浩介)は、ふたりの間に子どもがいないことを気づかって紗和のことをあえて「ママ」と呼び、嫁よりペットのハムスターを気にかけ、マザコン気味の美容にこだわる中性化した男で、結婚してからは紗和を抱こうとしない(嫁が上戸彩でセックスレスはあり得ないが)。紗和から「他に好きなひとがいる」と打ち明けられた衝撃のあまり突然『森のくまさん』を歌い出すようなこれまた妙な男なのだが、とはいえ、学校の放送室に立てこもり、紗和と生徒への別れのメッセージを一方的に演説してご満悦の北野先生も大して変わらない変人ではある。紗和も、夫を裏切って不倫をしたのだから、せっかくなら夫と真逆のタイプの男を選べばいいものを、と考えるのは男側の論理だろうか。北野と俊介はふたりとも生き物好きだし、同性の友だちもいそうにないし、こんな立場でなければ似た者同士で案外仲よくなっていたのかもしれない。

一方、利佳子とデキてしまう鳴かず飛ばずの絵描き・加藤(北村)は、仕事で訪れた出版社のトイレからトイレットペーパーをくすねたり、ホテルからちゃっかりビールを持ち帰ったり、生活に困窮している様子が描かれるにも関わらず、なぜか悲壮感がない。しかも描いた絵は盗作という、才能もあるんだかないんだかよくわからない男なのだが、乞食王子(by吉田健一)の佇まいというか、男から見てもヘンに色気があるキャラクターだった。利佳子にとっては、夫が編集長を務める雑誌で仕事をする加藤と付き合うことは、夫に対する反逆の象徴だったのかもしれない。

このドラマにハマっていた女性視聴者の多くは、紗和と北野がくっついてハッピーエンドになることを期待していたようだ。もし、不倫→修羅場あり→でもハッピーエンド、だったらかなりアナーキーなドラマになっていただろうが、もちろんそんなことにはならない。かといって両方元サヤに戻る訳でもない。かなりモヤモヤした終わり方のようにも見えるが、赤い消防車を横目にひとりで橋を渡っていく紗和の表情はどこか清々しく、ある意味これもハッピーエンドに思える。一方、男性陣、特に北野の表情には「あきらめ」がにじむ。一生嫁に頭が上がらず、言いなりになって生きていくのだろうか。こんなことなら、もっと紗和ちゃんと〇〇しておけば…と後悔しても遅いのである。

もともとこのドラマは、フジテレビの情報番組『ノンストップ』で放送された「朝、旦那と子どもを送り出して平日の3時~5時に不倫する妻」を採り上げた「平日昼顔妻」特集が原型になっている。「昼顔妻」とは、貞淑な妻がマゾヒスティックな欲望にかられて娼婦になるルイス・ブニュエル監督の映画『昼顔』(1967年)に由来するのだろう。昼顔の花は、地表できれいな花を咲かせるが、地中では根が複雑にからみあっていて、一度増えると駆除が難しいという。この辺も不倫の泥沼感を象徴しているようだ。

カトリーヌ・ドヌーブが演じた不貞をはたらく人妻のキャラクターは、紗和ではなく利佳子に投影されているが、いま「昼顔」でネット検索すると、ブニュエルのほうではなく、まずこのドラマが表示される。もはや日本において昼顔といえばドヌーブではなく上戸彩になってしまったのだ。続編や劇場版があるのかどうかは今のところ分からないないが、このヒットを局がそのまま放っておくはずはないんだろうな。

※2014年9月30日公開