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Vol.1 英国のストリートが生んだ、モッズカルチャー。永遠のファッションアイコン、モッズパーカ

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『さらば青春の光』(1979) 写真:Collection Christophel/アフロ

1959年、スクーター・モッズ・ルックとしてM51パーカが登場

モッズは、川のように常に流れていなければ価値が澱む、という考えの持ち主だった。ナイトクラビング、レコード店や洋服屋を覗いての情報収集。そして休日はロンドン郊外へ遠乗り。そんな彼らにとって最高の乗り物がランブレッタとヴェスパというイタリア製のスクーター。

英国には優秀なモーターサイクルがあったが、モッズは油汚れやマッチョが嫌い。ほこりまみれの大型マシンや無骨なレザー服はロッカーズにまかせておいて、彼らは未来的なストリームラインのデザインを選択した。映画『ローマの休日』に登場するスクーターにも触発されたらしいけれど、すぐにアイデンティティーを発揮。彼らはクロームメッキのミラーや長いアンテナで車体をアレンジし、デコラティブからミニマムまでさまざまにデザインを競いあう。

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『さらば青春の光』(1979) 写真:Everett Collection/アフロ

映画『さらば青春の光』では、もっともクールなスクーターに乗る者がエースとして先頭に立ち、矢じり型に編隊を組んでゆっくりと目抜き通りを流していくシーンも描かれていた。

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Mods Parka ¥39,000 + Tax

モッズがスクーターに乗るとき必ず着用していた通称モッズパーカと呼ばれたオリーブ色のサープラスコートは、ご自慢のモヘアスーツをオイルやほこりから守る目的で愛用されたのが始まり。前述の映画でも主人公のジミーがパーカやフレッドペリーのシャツをさりげなく着こなして登場した。

通称モッズパーカとして有名なこのパーカの正式名称はパーカシェルM51。数字は米軍に採用された年代をあらわす。第二次世界大戦で米軍は、世界で始めて背広型の軍服でなくM41、M43というブルゾン型の機能的なデザインを取り入れた。そして朝鮮戦争(1950から53年)に投入されたのがM51パーカ。朝鮮半島の冬は厳しい。そのためバトルブルゾンの上に羽織るコートとして開発されたのがこのパーカだったのである。

重ね着しやすいようにゆったりめに作られ、着丈は動きやすいひざ上の丈で、背中側をさらに長くカットして短いベントを入れている。この形状が魚の尾に似ていることからフィッシュテールパーカとも呼ばれていた。パーカの裾にはコードが通され、これを引き絞ることにより足を布でくるみこむようにできる機能的なデザイン。

純然たる実用目的で作られたからこそいっさい無駄がないこのパーカは、1980年代にはスカ、ツートーン・ムーブメント、さらにポール・ウェラーを支持する若者にも影響を与えている。その常に新鮮であることの秘密は、シックということではないだろうか。シックとは意外なものをコーディネートしてお洒落に見せるテクニックのこと。モッズはスタイリッシュなスーツにあえて無骨な軍用パーカを組み合わせて、当時の誰よりも格好良くシックを実践した。

袖をタイトにしたり、ライナーをアレンジしたフレッドペリーの現代的モッズパーカ。そのパーマネントな防寒着は、『新たなシックを生み出せ!』、とぼくらのお洒落心を触発しているように思えてならないのである。

〔文:遠山周平(服飾評論家)〕

お問い合わせ先

フレッドペリーショップ原宿
電話:03-5770-6920
www.fredperry.jp/

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¥39,000 + Tax