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1969 full version 揺るぎない個性。そしてアメリカ。強烈な「個」を生み出した、1969生まれのセンパイに訊く。

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1969年に生まれて。

中島:1969年ってのはそこまで意識したことなかったんだけど、大人になってから、ああ、いい年代だなって思ったりね。

—いちばん人数が多いんでしたっけ?

秋山:いちばんじゃないと思うけどね。

中島:でも子供の数は今に比べたらはるかに多い時代。小学校一年生のときは10クラスあって1クラスに40人以上いたもん。

秋山:ぼくんとこは45人いましたよ。中学校が一つできたんすよ。途中で。

—マジですか!

秋山:あと高校も途中で1個できた。

中島:いまもう、削っちゃってる時代でしょ?小学校が変な施設になっちゃったりしてるもんね。

秋山:俺そうです。高校なくなりました。

内田:なくなった?へぇ~。うちの子供の小学校は学年2つしかなくて20人くらいしかいない。だから全校で200人くらいしかいないの。俺らのときは学年で200人いたじゃないですか。

秋山:知らないひといっぱいいましたよね。

中島:そうそう、そうなの。

内田:知らないひとはいないでしょ(笑)。

秋山:見たことないひといなかったですか?

内田:そうね、しゃべったことない奴はいるね。

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秋山:オレは町田なんですけど、最近子供虐待して捕まってるやついましたよ。同級生で。ニュースみて、え!?と思って。そしたら全然知らない人だった。

内田:そういう悪いやつもいたもんね。確実にね。

中島:いたねー。また今とは違う悪さだけどさ。

内田:石投げたら必ず誰かに当たるっていう(笑)。

秋山:間違いない。

内田:だからこういうエロのお店(「カリフォルニアストア」のこと)ができるんだよ。

秋山:頭のおかしい人がたくさんいたわけですよ(笑)。でもこのお店始めたのは、内田さんや中島さんがきっかけですよ。

ーおおお。

秋山:内田さんとか中島さんと遊ぶようになって家に行くようになって、雑貨とかそっちの方をいろいろ勉強させてもらって、っていう感じ。

中島:ここにいるひとたちみんなそうだけど、時代関係なくなんでも好きだからね。

ーその頃の情報源は何だったんですか?どうやってどっぷりマニアックなほうに潜っていったんでしょう。

秋山:詳しいひとが必ずいた。

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中島:やっぱり古着屋さん。若い頃通い始めてだんだん仲良くなって、お店のスタッフさんたちのなかに知識があるひとたちがいて。年が近い人間とはそういったものの話をああだこうだ言いながらね。

秋山:買い付け行ってる人が情報もってたりする。

中島:ウッチーなんかはそうだよね。

秋山:内田さんは、ほとんどアメリカにいたから。

内田:でも、自分は出身が群馬県じゃないですか。2人とも東京ですよね。18歳で東京に来て、数少ない本とか見てたけど、そんな本は情報としてはもう間違ってるんだなってことがわかった。古着本なんて滅多になくて、これってほんとなの?みたいな感じだったんだけど、実際に現場で働くようになって、やっちん(中島さん)とかとわりとすぐに知り合うようになったら、そんな情報ってやっぱり遅いんだとわかるんですよね。

中島:あの当時の、80年代の情報って遅いよね。雑誌とか本とかね。まぁリアルにお店まわってたりとかしてたほうがね、現物見られるわけだしさ。

内田:誰かがあそこで(古着を)当てたよ、みたいな話はすぐ回ってきたよね。

—へええええ。

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