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1969 full version 揺るぎない個性。そしてアメリカ。強烈な「個」を生み出した、1969生まれのセンパイに訊く。

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「街ですれ違う誰か」が着ていないものを求めて。

—そもそも古着の道に進もうと思ったのはなぜなのでしょう?当時、古着屋さんは多かったんですか?

中島:数でいうと、俺とかウッチーが18の頃なんて、東京の古着屋は一日あったらまわれたよね。

内田:(古着屋さんは)当たり前にあったけど、今思うとすごいマニアックな世界で。世間はバリバリのDCブランドブームですから。

ーそうですよね。〈ビギ(BIGI)〉とかね。

内田:明治通りなら、だいたい裏通りか2階か地下みたいな場所が古着屋で。

中島:まぁ、たかが知れてましたよ。

内田:古着好きなひと同士、ほとんど顔なじみでしたね。

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中島:デザイナーズブランドとかの服も着たんですけど、街を歩いてるとやっぱりおんなじ服を着てる奴がいるわけです。僕らは天の邪鬼ですからね。古着って、人と被らなかったりするのが面白いわけで。僕はもともと古いものが好きなので、やっぱりそっちに行っちゃいましたよね。「なんでそんなボロボロの着てるの!」って親にはよく怒られましたけど。

—69年世代だからこその天の邪鬼が育つものなんでしょうか。

秋山:ブランド物は人気があると、みんながワーっと買っちゃうから。

—同世代と言われる数も圧倒的に多いから。

秋山:街ですれ違う数も尋常じゃない。

—ですよね(笑)。

秋山:この人さっき見た!みたいな。またすれ違ったぞ!っていう(笑)。

中島:今と比べれば、洋服の選択肢も少なかったと思う。デザイナーズか古着か。あとはアメカジの新品くらいか。だからまぁ、洋服に興味を持ち始めた男ならだいたいアメカジとか古着だと思うんですけどね。

秋山:渋谷でいうと、中島さんの「メトロゴールド」から内田さんの「サンタモニカ」に行って、真ん中あたりに「ゲンジ」とかありましたっけ。

中島:「ゲンジ」とか、「シカゴ」とかね。

—秋山さんはバイイング自体はやられてなかったんですか?

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秋山:俺はそのときはまだしたことない。当時は「ハリウッドランチマーケット」にいてね。でも、ただ古着が好きだ!と。中島さん・内田さんと知り合っておくとこれは得なんじゃないか!と(笑)。

内田:でも秋山さん、あの時代のランチを体験してるってすごいよね。

秋山:そうですね、あれはすごかったです。

ーへええ!

内田:あれはもう、このあとないよね。

中島:名所だよね。

内田:お客さんの回し方、在庫の回し方、たぶんすごいと思う。それを体験したんだもんね。

秋山:そうですそうです。

内田:フィッティング7人とか、ひとりでやるんすよ。

ー7人同時!

秋山:全然足りなくて外に折りたたみ式のフィッティングルームをつくったりしました。

内田:7つを接客するってすごいよね。いまじゃありえないよね。

ーそんなに来てたんだ…。

秋山:裾上げ1日200本。

ーマジですか!すごい…。

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