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1969 full version 後編 揺るぎない個性。そしてアメリカ。強烈な「個」を生み出した、1969生まれのセンパイに訊く。

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何もなかった頃から暮らし始めた中目黒のアパート。ひとつ屋根の下で。

秋山:そういえば今、20代くらいの女の子が注目してる町が中目黒らしいですよ。

中島:あら。

秋山: しかも「中目黒の古着屋さん」らしいです。中目黒の古着屋さんで買い物することがステイタス、みたいな。

—へぇ~!

中島:中目黒の話しちゃうとさ、ウッチーと俺は、いつだっけあれは。

内田:96~97年。

中島:そう、90年代終わり。オレは世田谷の実家近くのアパートにいて、ウッチーはあの頃八雲?

内田:俺は八雲だね。世田谷。

秋山:たまたま二人とも部屋探してたんだ。

内田:俺はね、犬オッケーの部屋探してたの。で、やっちんに聞いたら、あるよって。

中島:いわゆるいまの僕のお店の上の建物なんですけど。二人で見にきたんだな。俺がウッチーのハーレーの後ろに乗って。

内田:そうだった。

中島:そうだよ。渋谷のサンタモニカから乗ってさ。

秋山:歴史が生まれる瞬間。

—そうっすね!

中島:そしたらたまたまあのビルの2階と4階が空いてたんだ。なあウッチー!オレは2階で。

内田:オレは4階。

中島:そっからですよ。別に中目黒でなんかやろうとかではなかったもんね。

内田:20年くらいになるね。

—そんな歴史があったんですねえ。そのときは「住む場所としての中目黒」だったんですか?

中島:その物件の不動産屋が俺の先輩で、今も大家さんなんだけど、よくしてくれてね。

内田:なにやってもいいって言ってくれたから、内装もできたんですよ。その頃内装いじれる賃貸なんてないから。色んなシュミレーションはできたよね。

中島:もう20年経っちゃったのかあ。この通りはまだなんにもないときですよ。ねぇウッチー。

内田:なにもないけど、なんでこんな人いるんだろうっていつも思ったり。

—そのとき秋山さんはどこに住んでたんですか?

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秋山:ずっと別のところに住んでたんだけど、中島さんたちの物件が空いたと聞いて俺もそこに引っ越したんです。

—え、じゃあ3人が同じマンションだったんすか?

秋山:そう、内田さんの向かいの部屋に(笑)。

内田:それぞれ4階、4階、2階。で、3階が大家さん。

—すごいマンションだな(笑)。

中島:あんまり同じビルのなかに友達がいることってないじゃないですか。

—ないですよね。そんな状況ってけっこう憧れです。めっちゃ楽しそう。

秋山:家に帰ると、内田さんの犬がいたり中島さんの犬がいたりっていう(笑)。

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中島:あれは2000年くらい?

秋山:2000年ちょい前くらい。

中島:だからウッチーとオレが中目黒に来たときは、人は普通にいたけど、オレらみたいなお店は全くないエリアだった。

内田:ないね。全く無い。

中島:向こう側はあったかな。それこそ「トールフリー」さんだったり。

秋山:でも「トールフリー」ぐらいですよ。

—この目黒銀座商店街は本当に昔ながらの感じなんですね。

中島:そう、本当に商店街。まだお風呂屋さんもあったしね。八百屋と魚屋もありましたよ。

内田:あったね。

中島:この商店街の並びだと、うち(エバーグリーン)の建物がたぶんいちばん古いんじゃない?

秋山:そうですね。あとみんな建てなおしちゃって。

内田:あとは、レコード屋ありましたよね。

—へー!レコード屋があったんですか。

秋山:内田さんの、ジャンティークの前。

内田:ウッチーのところも、もともとレコード屋だったんですよ。

—今あればいいのに!

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