あの街のこの人

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「接客術に生きるバーテンダーの経験」

宮川 一馬

JOURNAL STANDARD 福岡店

〈ジャーナル スタンダード〉生誕の地である九州は福岡県。その中心地にある福岡パルコ店に勤務する宮川さんは、社内でも数少ない異色の経歴を持ったスタッフの一人。幼少期には家庭問題も多く抱え、波乱万丈であったという学生時代から大人へと成長していく過程で、宮川さんの人生の分岐点ともなった大きな出会いがあった。

「高校は県内でも屈指の進学校に通っていたんですが、そこで勉強漬けの毎日に嫌気がさし、高校を中退しちゃったんです。結局は母に最低限の教養を持つようにと定時制に通うよう勧められ、なんとか卒業はすることができたんですが、それから20歳になるまではしばらくフラフラしてました。そんな時にお酒と出会って、地元でもある中洲のあたりに当時の仲間とよく飲みに行ってたんです。その時にたまたま入ったバーで働いていたバーテンダーの方の佇まいにすごく感銘を受けましてね。その人の紳士的な接客や人柄を眺めているうちに僕もバーテンダーになりたいなと思ったんです」

前途あるはずの青年期に、将来に対する希望を感じられなかった宮川さんの人生は、このバーテンダーとの出会いによって大きく動きだす。一度は挫折を経験した宮川さんが再度輝きを放てる場所は、このバーだった。

「バーテンダーになりたいと思った時には、もう自然とそのバーテンダーの方に弟子入りしていました。修行の最初は、ほとんど氷作りかグラス磨きしかやらせてもらえなかったですね。結局4年近くそのお店では働いていたのですが、最後の一年だけようやくお酒作りの基本を学ばせてもらえました。でもバーテンダーとしての心得や姿勢を学べたことがなによりも大きかったなと。お酒の種類もお酒作りも独学で勉強していましたが、そうした”バーテンダーとしてあるべき姿”というのは身をもって教わらないと分からないんですよね。今でもあの頃の経験っていうのは活かせているなって感じることが多々ありますから」

その後、25歳の若さで独立して、福岡の中心地からからは少し離れた中川町という街で自身のお店をオープンさせた。念願であったバーの経営も軌道に乗ってきた頃、宮川さんに三度目の転機が訪れる。

「遊ぶ時間や寝る間を惜しんで修行してこれたのは、やっぱり独立したいという強い想いがあったからでした。あとは中学時代から付き合っていた彼女とその頃に結婚し、二人三脚で助け合ってこれたのも大きいですね。その後も順風満帆にお店を続けてこれて、借金も全額返済した頃に僕ら夫婦に初めての子供ができたんです。それがきっかけで家族を優先した生活を送らなければならないと考えるようになりました。決断するのに時間はかかりましたが、お店を畳むことにしたんです。この頃になると、もう自分自身の夢を追いかけることよりも、家族との時間をどう大切に過ごすかと考えるようになっていましたね」

そして第二の人生を歩みことを決意した宮川さんは、義理の兄の会社やバイトなど職を転々とするが、どれも長くは続かなかった。そしてある時、現職の求人を見つけて、直感を頼りにその扉を叩いたのだという。

「これまでにバーテンダーとして働きながら、身だしなみや立ち振る舞いに関しては人一倍気を使っていましたし、洋服も嫌いなわけではなかったので、やれると思ったんです。それから現在に至るまで約4年、こうして楽しく働かせてもらっていて、今では〈ジャーナル スタンダード〉の福岡県内で一番の売り上げを生み出せるようになりました。実はバーテンダーの仕事って、僕らのようなファッションアドバイザーと似ていて、お客さんが潜在的に求めている商品をどう的確に提案できるかだと思うんです。なので一度は諦めた夢ではありますが、こうして今の仕事でもその経験を生かせていることは僕にとって大きな意味を持っていますね」

Profile

宮川 一馬(みやかわ かずま)
2012年〈ジャーナル スタンダード〉入社。波乱万丈な過去と豊富な人生経験をもとに、勤務歴僅か4年でありながら福岡No.1の売り上げを誇る敏腕スタッフ。家庭では良き父として、またおしゃれ夫婦としても地元ではちょっとした有名人として知られる。

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