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JOURNAL STANDARD 1 in 2 - LEVI'S® VINTAGE CLOTHING デニム三賢者が語るその魅力-

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(左)
JOURNAL STANDARD バイヤー
川合邦英 Kunihide Kawai

(中)
Levi’s Vintage Clothing® セールスマーケティングディレクター
大坪洋介 Yosuke Otsubo

(右)
BerBerJin ショップマネージャー
藤原裕 Yutaka Fujiwara


LVC®を取り入れた、スタイリングはこちら

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それぞれが魅了されるきっかけとなった、デニムとの出逢い。

川合:いきなりなんですが、デニムってそもそもどんな存在なんだろうとふと思ったんです。振り返ってみるとデニムを履くようになって、デニムについて詳しくなっていくんですけど、一歩ひいてみると、デニムって結局なんだろうなと。僕らは若い頃からデニムを履くことが当たり前の環境でもあったので、ファッションなのか、時代なのかわかりませんがとにかく周りはみんな履いていました。その中で赤ミミとか色落ちとか気にするようになっていったんですよね。大坪さんの時代は違いましたか?

大坪:少し違いましたね。もう今59歳なので。初めて買った501®というのは、1967年当時に新品で売られていたものでした。皆さんがもしかしたら生まれていないときくらいの頃のものですね。その時にまずどんなサイズを選べばいいのか? とかを教えてもらって、少し大きなサイズのものを買ってお風呂場で一緒にデニムと浸かって、縮めたりしたのが初めてのデニムの思い出です。その時に買った通称”66”のデニムをとにかく履き倒して、リペアもできないくらいまでボロボロにして、最終的には裾を切ってショーツになるまで履きましたね(笑)。

川合:当時は高かったんですか?

大坪:はい。当時の値段にしても高かったですね。それでもやっぱり501®は当時から格段になにかが違いましたね。輝いてみえましたし、他と違って仰々しく目立っているように感じたんです。初めて買った501®に関しては、実はもう少しプロローグがあるんです。私自身、少し変わった中学生だったんですが、中一くらいの頃から友達と遊ばずに、かっこいいお兄ちゃん達が溜まっているジーパン屋さんに顔を出したり、骨董屋さんでお茶を飲んでばっかりいたんです。

川合:それ中一ですか?(笑)

大坪:幾分変わっていたので(笑)。その後サーフィンも始めるようになるんですが、その頃はファッションマガジンなんてものはなくて、読みたいなと思える雑誌というのは「サーファーマガジン」というサーフィンの専門誌くらいしかなかったわけ。今思うと、それが僕自身のライフスタイルやファッションへの興味の引き金となったんですね。それから1976年に初めてアメリカへ渡り、その後住み始めるんですが、アメリカ本土においても70年代後半くらいの当時は、将来501®のデットストックが何百万円の価値になるとは誰も想像もしていなかったはずです。そんな時期に僕は靴下にお金を隠して、デットストックを探しに行っては、仕入れで買い漁っていたんです。もちろん周りにそんなことをしている人は一人もいなかったのですが、僕はそれを日本に卸して生計を立てていたという時期がありました。だからお二人も相当な数のデニムを見てきたと思いますが、僕もなかなかの数を見てきたと思いますね。

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藤原:いやぁ、歴史が違いますね。

大坪:その卸しをしていく中で、もちろん検品や梱包、出荷まですべてやるので、一本一本デニムを見ていくと、シンチバックやドーナッツボタンといったディテールに気づいて、違いがわかっていくんですよね。そこからどっぷりとデニムの世界にハマっていきました。余談なんですが、当時買っていた猫を私は”インディゴ猫”と名付けていたのですが、不思議なことに一番良いデニムの上でしか寝ないんですよね(笑)

藤原:すごいですね(笑)。

川合:目利きですね。

大坪:そうそう。不思議でした。その猫みたいな、これぞというデニムを求めるDNAっていうのをおそらくこの3人はそれぞれ持っていて、初めてのデニムと出会った衝撃とストーリーというのが根底にあるんでしょうね。

川合:確かに先ほど大坪さんが言ったように、大量の501®の中から「これは違う!」というのが出てくる感覚はすごいわかりますね。他のモデルと比べて確かに501®は多かったんですけど、やっぱり目がいっちゃうんですよね。昔はヴィンテージの価値ももちろんありましたが、最初はフラップとかリベットとかのディテールにこだわるよりも人とは違った履き方をしたいって思いが強かったですね。それこそ洗い方や経年変化で差をつけようと。

大坪:いつの時代も同じだと思いますが、やっぱりカッコイイ先輩っていたじゃないですか。そういった先輩たちってやっぱり履き方もカッコイイんですよね。オーバーサイズの501®をベルトできつく締め上げて先輩が着ているのを見たときは目から鱗でしたね。自分にあったレングスやシルエットで着こなす様なありきたりな選び方ではない、確かな個性がありましたね。自分らしい表現っていうんでしょうか。そうした意味では僕は(藤原)裕さんに影響を受けたのは、Gジャンです。でかいサイジングのGジャンの着こなし方やアイテム一つひとつのディテールの違いにあわせて着こなしも変えている点は勉強になりましたね。知識はもちろんですけど、そうした着こなしの表現力は重要ですよね。

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川合:履き方って人や時代によってバラバラですよね。当時はオーバーサイズを履く人もたくさんいました。

藤原:僕も42インチとか履いていましたね。

川合:流行りましたよね? よく履いていた記憶がありますね。ベルトでいくら締め上げてもタックだらけでポケットの位置とか変わっちゃうんですよ。なのでオーバーサイズなデニムを履くときは501®はもちろん、505®とかを履く人もいました。

藤原:自分が18歳で東京に出てきたときは周りもみんなその履き方でしたね。当時はジャストサイズで履こうと思ったことは全くありませんでした。大きいサイズの方が当時は値段も高かったんです。

大坪:そうだったんですね! まぁ単純に大きい方が数も少ないですしね。

川合:僕が当時、高校2年生くらいかな、大きなサイズのジーパンが流行ったのは。あとはダメージのあるジーパンも流行っていましたね。当時はけっこうあったんですけど、今はもうなくなっちゃいましたね。

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藤原:僕も地元のカッコいい先輩に影響されて、中学生で初めて近くのジーンズショップで店員さんに勧められて、リーバイスのブラックジーンズを買ったんです。家に帰ってから母親に高いって怒鳴られましたけど(笑)。それが501®だったというのを今でも覚えてますね。そこからファッションにも目覚めて、僕の頃はレプリカが氾濫していたので入り口はそこでした。だけど、ヴィンテージデニムを履いている高校の先輩がいて、その人から色々と教わったことがきっかけでデニムにはかなり詳しくなりました。あとは今働いているベルベルジン®で、お客様から学ぶこともあります。それこそ本当に詳しい方がたくさんいますから。仕事上でたくさんのデニムと出会って思うようになったのは、やっぱりデニムは着てなんぼだなと。当然、説明などするときには知識も必要なんですが、語るよりも実際に着て格好良いなと思ってもらえるように、提案していくことが大切なんですよね。

川合:僕が高校生くらいの時は501®ブームが終わりかけの頃で、同時に517®とか646®とかなんかも人気が出てきてました。僕の場合も、先輩が1stの501®を履いて登校してきたんです。それが衝撃的なほどカッコよくて。その後すぐに2ndを買いに行って、当時XX®なんて買えなかったので”ビッグE”を履いてJORDAN 1をあわせたりしてましたね。そうしたスタイルが当時のトレンドというかブームの一つになってたんです。それからずっと501®との付き合いは続いています。

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