通常展開されるアイテムとは別に、この日のためにマーク自身の手でペイントされたシューズも展示。これらはすべて一点物で、11月8日(日)までの期間限定で開催される英国ショッピングウィークの一環として、「ドクターマーチン青山店」、「ドクターマーチン原宿店」で抽選販売の受付を行っている。

コラボラインでは、シューズのみならず、アパレルやアクセサリーといったフルコレクションで展開される。

まずは、今日のライブペインティングで描いた作品のテーマを教えてください。

“今自分がいる場所”を描きました。現在アジアツアーを廻っている最中で、昨日は韓国にいたからアートワークの設定は韓国。そして今日は日本なので、東京を舞台にしたわけです。東京タワーと遠くに見える富士山、ファッションでは原宿といった東京なりのモチーフを選んでいますが、特に原宿からインスパイアを受けました。ロリータ、パンク、ダンスミュージックといった様々な種類のカルチャーが混在していて、まさに私が大好きな都市です。この後は香港、シンガポールと続くので、それぞれの都市からインスピレーションを受けて、私なりの都市を描きたいですね。

今回のコラボレーションはどういう経緯で実現したんですか?

〈ドクターマーチン〉には、1980年代から付き合いがあるクリエイティブディレクターがいるんです。当時の私は、ロンドンのクラブシーンを音楽を通じてドキュメントするアーティストの一人でした。私のアートスタイルは、ビジュアルを使って、ロンドンやNY、東京といった色々な都市のファッションとアンダーグラウンドが交わるナイトクラブシーンを描き出すことだったといえるでしょう。ちなみに初めて東京を訪れたのは1988年で、以降20回くらいは来ていると思います。「P・PICASSO」という西麻布のクラブでもペイントしましたし、旅行をしながら大阪、名古屋、九州各地のクラブを廻ったこともありました。そんなアートスタイルを〈ドクターマーチン〉は、「自分たちに似ている」と捉えてくれていたのかもしれません。なぜなら、私たちに共通するものはサブカルチャーだからです。私はパンクロックを聴いて育ちました。こう見えて、若かったときはパンクロック一色だったんですよ(笑)。パンクは私にとって“Do it yourself”、“Create your own culture”でした。そして〈ドクターマーチン〉もパンク、スカ、スキンヘッズといった音楽、カルチャーに深く根付いていましたし、それらのファッションはとてもクールでした。

初めて〈ドクターマーチン〉のシューズを手にした時のことを教えてください。

1974年、14歳の時に母親が買い与えてくれたオックスブラッドの赤いブーツが、私にとって初めての〈ドクターマーチン〉です。とても欲しかったのと同時に、どうしても手に入れる必要がありました。というのも当時の〈ドクターマーチン〉はリアルな“ファッションステイトメントでしたから、学校に履いて行かねばならなかったんです。わかるでしょう?(笑)

当時はどういう着こなしに合わせていましたか?

当時のスタイルはスキンズではなく、ハイウエストのバギーパンツに綺麗に磨き上げたブーツを合わせるといった、いわゆるスウェイのようなスタイルでした。その後はグローブシューズを手に入れたのですが、ちょうどツートーン・スカが流行し出した時だったので気に入ってよく履いていましたね。なので、80年代にクラブに出入りしていた時も〈ドクターマーチン〉のシューズを履いていました。そして今では、自分のペイントがプリントされたシューズを履いています(笑)。

〈ドクターマーチン〉とは、あなたにとってどんな存在なのでしょうか?

実は私と〈ドクターマーチン〉は同じ歳なんですよ。ブランドは1960年に始まって、私も今年55歳ですからね。年齢や場所を問わず〈ドクターマーチン〉のシューズをずっと履いてきたので、常に変わらない私の定番といえます。履きやすくて、もちろんスタイリッシュでもある。そして様々なファッションやトレンドを共に歩んできたパートナーです。

そんな〈ドクターマーチン〉が今季テーマとして掲げたのが“BUFFALO”。いまいち全貌が掴みにくい集団ですが、実際にそのメンバーと関わったことはありますか?

私は当時『ID Magazine』で、ナイトクラブで人々のポラロイド写真を撮って寄稿するという仕事をしていたのですが、その時にBUFFALOのメンバーであったミュージック・ビデオメーカーのジェームズ•ルボンやネナ・チェリー、レイ・ペトリといった面々に出会いました。特にジェームスは、彼のミュージック・ビデオのためにアニメーションのイラストを描くなど、一緒に仕事をしたこともあります。また彼は、ロンドンのSOHOにあった私が経営するクラブ「brain club」でフィルムを撮ったこともありました。1989年だったかな?もちろんこのクラブの壁面をペイントしていたのは私なので、私のアートワークがジェームズのフィルムにバックグラウンドとして映り込んでいるんですよ。

彼らの写真集をご覧になったことはありますか?また、その写真集から影響を受けたことがあれば教えてください。

もちろん読んだことはありますよ。レイ・ペトリのスタイリングは、『ID Magazine』と『FACE Magazine』でも見ていましたし。ジャマイカのルードボーイのようなスタイルと、レターを切り貼りした“KILLERハット”のようなパンクをミックスしたテイストは誰もが一度は目にしたことがあるんじゃないですか。『BUFFALO』のスタイリングはミックスとアンマッチに尽きると思います。ポストパンクとして誕生した全く新しいスタイルで、とてもスタイリッシュであると同時にどこかダークな印象も受けました。当時発売された音楽『バッファロー・ソルジャー』からその名をとってきたんじゃないかと私は思っているんですよ。メンバー内では、アーティストのニーナ・チェリーが中心となって音楽と関わっていたんですが。とにかく“BUFFALO”は、一時代を築いた素晴らしい集団でした。

今回のコラボコレクションには、どのような形でBUFFALOというテーマが表現されているのですか?

BUFFALOの活動時期は、自分が雑誌の仕事をしていた頃とちょうど重なっているんです。レイ・ペトリは少し年上だった気がしますけど、同世代ということもあってよくロンドンのナイトクラブで会っていましたし。彼らと同じく私も作品を通して1980年代のサブカルチャーをミックスしていて、そういう意味で“BUFFALO”のクリエイションと今回のコレクションが重なる部分は多いんじゃないですかね。

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ドクターマーチン・エアウエア ジャパン
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