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フイナムテレビ ドラマのものさし

2014 April-June vol.01

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2014 April-June vol.01
4月スタートのドラマについて、4月半ばには第1弾を書くはずが出遅れてしまったのは、何を採り上げるべきか今ひとつ決めかねていたからだ。『モテキ』『まほろ駅前番外地』の大根仁が脚本・演出を務めるテレ東深夜の『リバースエッジ 大川端探偵社』、前シリーズも面白く見ていた小泉今日子・中井貴一共演のドラマの続編『続・最後から二番目の恋』の2本はすぐに決まったのだが、あと1本が難しい。とりあえず、ほぼすべてのドラマの初回をチェックしたが、ドラマとしては面白く見たものの、ここでわざわざ掘り下げるべき何かが足りない気もしつつ、2話、3話と回を重ねていくうちにこんな時期になってしまった。
視聴率的には、朝ドラ『花子とアン』も絶好調だし、『半沢直樹』の池井戸潤原作、杏主演の『花咲舞が黙ってない』(日本テレビ・水曜22時)も好成績、『半沢』と前期朝ドラ『ごちそうそん』の余波はいまだに続いているようだ。あるいは、「脱のだめ化」に苦戦している感のあった上野樹里主演の『アリスの棘』(TBS・金曜22時)も、私怨をはらすために組織内部に入り込み復讐を目論む主人公という、これまた『半沢』路線と言うべき設定で高視聴率をマーク。
が、当初から宣言している通り、ここで採り上げるドラマは視聴率の高さや話題性というよりは、語るべき意味のある(と思われる)ドラマについて語ることを旨としている。「俳優の〇〇さんかっこいいー」「続きが気になるー」といった見方こそが純粋なドラマの楽しみ方なのかもしれないが、時には深読みをしたり、裏の意図を読み解いたり、ディティールを楽しむこともまたドラマ視聴の醍醐味でもあるのだから。
といったことをひっくるめて、今期は次のようなラインナップになった。結果的に、数字も評価もそれなりに高いドラマになったのは偶然ではなく、今のテレビドラマの充実ぶりを示す証拠だろう。
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公式HPより
『リバースエッジ 大川端探偵社』金曜0時12分~ 1~3話
むかし食べたワンタンの味が忘れられず、どうしてももう一度食べたいと願うヤクザの組長。昭和50年代ごろ、浅草界隈にあったという「鏡越しに隣の部屋のセックスが覗けるラブホテル」を探している変態夫婦。自分を指名するものの一切プレイはせず、ある日いきなりプロポーズをしてきたエリートサラリーマンの身辺調査をしてほしいと言うデリヘル嬢......。
東京・浅草、隅田川沿いに事務所を構える「大川端探偵社」には、普通の探偵社や興信所にはまず来ないであろう、一癖も二癖もある依頼者が日々おとずれ、奇妙な依頼ごとを持ちかける。
脚本・演出は深夜ドラマ界で異彩を放ちつつ、2011年の『モテキ』以降は映画にも進出している大根仁。(※大根監督にこちらでインタビューをしているので、ドラマのお供に、ぜひ)。
裏社会に精通しているらしい所長(石橋蓮司)は持ち前の情報網を駆使し、調査員の村木(オダギリジョー)はひたすら街を歩き聞き込みをする。受付嬢のメグミ(小泉麻耶)はセクシーな衣装でウロウロし......いや、依頼者にお茶も出すし、時には調査のサポートもする。
事務所のメンバーはこの3人のみ。「お互いのことは干渉しないことにしている」と所長が言うとおり、彼らにどのような背景があるのかは、ほぼ描かれない。かつて所長が裏社会に人脈を持つきっかけになった仕事に就いていたらしいことや、メグミが探偵社の仕事の他に夜は風俗嬢をしていることが分かるくらいだ。その代わり、依頼者の側の奇妙で、おかしくて、そして哀しい人生が色濃く起ち上がってくる。主役はむしろ依頼者側と言っても良い。
しかし、一通り調査が終了し、EGO-WRAPPIN'が奏でるメロウなエンディング曲が流れる頃には、依頼人の人生が、所長や村木、メグミという3人を通して切り取られ、一瞬だけあぶり出されていることに気づく。この3人なくして、この話は成立しなかったのだ、と。『探偵ナイトスクープ』でいえば、依頼の内容も重要だが、誰が調査するのかもまた重要なのだ。
第1話の「最後の晩餐」は、原作コミックではFile.06にあたるが、この話を初っ端にもってきたところに、大根監督の「このドラマはこういう話です」という意図を明確に感じる。
浅草に進出した関西の大規模なヤクザ組織に、もはや組長と組員2人きりになった地元の弱小組が殴り込みに行く。その最後の晩餐にどうしても忘れられない味のワンタンを食べたいと組長は願う。
ところが、そのワンタンは、高級食材を駆使したものでもなければ一流シェフの手によるものでもなく......おっと、ここから先はオチになるので避けるが、そのワンタンこそが『リバースエッジ』というドラマの象徴であり、深夜ドラマのありようだといえる。絢爛たる高級感で勝負するわけではないのに、人々の記憶に残るフックのある味わい。
さらに、巨大組織にたった2人で殴り込みをかける組長と組員の姿は、プライムタイムに対する深夜ドラマの立ち位置そのものではないか、などと深読みすらしたくなるのだ。
プライムタイムの枠組みから解き放たれたオダギリジョーは、大根監督が用意した世界を実に気持ち良さそうにたゆたっているように見える。所長を演じる石橋蓮司の含蓄ある物言いにもシビれるし、小泉麻耶ののびやかな肢体はドラマに躍動を与えている。各話のゲストも絶妙な配役がなされ、申し分ない。
深夜ドラマのひとつの到達点を示す快作だ。
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公式HPより
『続・最後から二番目の恋』木曜22時~ 1~3話
2012年1月期に連続ドラマが放送され、同年11月には単発のスペシャルドラマとして復活、この度めでたく続編の放送がスタート。この流れからしても、本作がいかに数字的にも内容的にも好調なのかがわかるだろう。連ドラの初回から欠かさず見ていた筆者も、続編決定の報を知り小躍りした。
設定としては「アラフィフの恋愛ドラマ」ではあるものの、多種多様な登場人物のすったもんだが繰り広げられるため、幅広い世代が楽しめるつくりになっている。脚本は、『ビーチボーイズ』や『ちゅらさん』、最近では『泣くな、はらちゃん』も記憶に新しい岡田惠和、演出は『風のガーデン』などの倉本總ドラマの演出や『それでも、生きてゆく』『最高の離婚』などで知られる宮本里江子(ご存じのひとも多いだろうが脚本家・山田太一の娘である)。おそらく、このドラマの発想の原型はビリー・クリスタルとメグ・ライアンが出演した映画『恋人たちの予感』(1989年、ロブ・ライナー監督)だと思うが、エピソードを重ねることで、もはや別の次元に辿り着いていると言えるだろう。
テレビドラマのプロデューサー千明(小泉今日子)は、仕事仕事で生きてきて、気づいたらアラフィフのおひとりさまになっていた。「老後」なんぞも頭をよぎり、憧れの鎌倉の古民家でひとり暮らしを始めることにする。隣家の長倉家には、鎌倉市観光課に勤務する堅物の長男の和平(中井貴一)、寂しそうな女性を見るとつい相手をしてしまうことから「天使」と呼ばれる次男の真平(坂口憲二)、コミュ障気味の真平の双子の姉・万里子(内田有紀)など、個性的な面々が暮らしている。アラフィフ同士の千明と和平は顔を合せれば口論ばかりだが、どこかシンパシィを感じ合う同志のようでもある。
というのが物語の入口なのだが、とにかく千明と和平の減らず口合戦が最高におかしい。中井貴一と小泉今日子だから成立するであろう小気味いい掛け合いのテンポ、アドリブではないかと思われるフレーズの応酬など、たかが「おとなのけんか」がエンターテインメントに昇華されていることに毎度感心させられる。
続編の第1話でも、初っ端からおよそ15分にわたって千明と和平の口論が描かれていた。
結婚が決まった真平の引き出物を決めるために本人の代理で千明と和平が式場を訪れる。名前入りの鎌倉彫はもらっても邪魔になるし実用的じゃないと文句を言う千明に、「思い出であり、縁を再び結びつけるもの」と主張する和平。裏に名前が掘ってあるからこそ、もらったひとは何年もしてからその結婚式のことをなつかしく思い出すのだ、と。あるいは、仕事に疲れたサラリーマンが引き出物を下げた集団とすれ違う。そうか、今日は日がよかったのか。大安かな。俺はこんなに疲れてるけど、今日幸せな日を迎えた人がいたんだ......。「そういうささやかなことが日本人のもっている情緒なんじゃないですかね」と鼻息を荒くする和平に、「向田邦子か!?」「昭和を懐かしむ、ちょっといい話のエッセイかっつってんですよ」とツッコむ千明。
このやりとりがおかしいのは、小泉今日子自身は向田邦子ファンを公言しており、かつて向田ドラマの演出で知られる久世光彦作品にも出演したことがあるからだ。こんなセリフをキョンキョンに言わせるとは、なんという皮肉!
続編では、千明は管理職となり、現場から離脱。和平は鎌倉市が世界遺産登録を逃した懲罰人事(?)で観光課と市長秘書を兼任させられるハメに。前シリーズでは45歳だった千明は48歳に、50歳だった和平は52歳となり、もはやふたり合せて100歳になってしまったわけだが、登場人物が時間の経過とともにきちんと歳を重ねていくところがこのドラマの良さでもある。もちろん、視聴者も彼らと同じように歳をとっているわけだが。
第1話では、千明のこんなモノローグもある。
「人が大人になるということは、それだけ多くの選択をしてきたということだ。何かを選ぶということは、その分、違う何かを失うということだ。大人になって何かを掴んだよろこびは、ここまでやったという思いと、ここまでしかやらなかったという思いを同時に知ることでもある。だからこそ、人は自分の選んだ小さな世界を守り続けるしかない。選択が間違っていると認めてしまったら、何も残らないから」
大人になることで、何を得て、何を失ったのか。アラフィフでなくとも、思わず自分の胸に問い掛けてしまう言葉ではなかろうか。このドラマでは、時おりこちらの人生を問うようなシリアスなモノローグが聞こえてきてハッとさせられる。
第2話で、かつて千明をポストイットに書いたメモ一枚でフッた男・涼太(加瀬亮)が千明の前に舞い戻ってくる。千明が務めるテレビ局の脚本コンテストで大賞をとったものの、その後はくすぶっている「書けない脚本家」だ。千明をサポートしたい一心で脚本家になる決意をした万里子ともども、彼らにまつわるエピソードは明確なドラマ論、ドラマ脚本論になっていて興味深い。ドラマが「ドラマづくり」を描くなると、ともすれば内輪受けというか楽屋落ち的になりがちなところ、そこは岡田惠和、物語の中に実に巧みに持論を落とし込んでいる。
第3話では、千明の隣の班が進めていた次クールの連ドラが主役の都合で飛び、その空白を千明たちが埋めることになる。放送日が迫っているため、企画、役者ゼロの段階で急遽つくらねばならず、急場の仕事ゆえ、管理職の千明がプロデューサーに復帰。何やら最近実際にあった件を連想させるエピソードでもあるが、事故処理みたい形でつくらなければならないドラマも実際にあるんだろうな。
千明が脚本に抜擢したのは、涼太と万里子だった。ふたりを前にして千明は言う。
「万里子は構成力があってストーリーを緻密に組み立てるのが得意。いろんな意見を臨機応変に採り入れてつくり上げる力がある。ただ、最初から現場に必要なホンを提供してきたから自分から発信したことがない。高山涼太は、ゼロから自分の書きたいものを書いて認められたひと。でも、それだけ。最初は書きたいものがいっぱいあったけど、これは嫌だ、こういうのは好きじゃない、ありがちだ、くだらない、大衆に迎合し過ぎだと言って、やりたくないものが増えて、何が書きたいのか分からなくなってしまった。ドラマは、万里子的なものと高山涼太的なものの両方がないとつまらない」
千明が、自分から逃げて行った涼太をふたたび受け入れ、仕事に抜擢したのは、過去の痛い記憶を新しい思い出で塗り替えようという意志の表れでもあった。ツラい、痛い過去の記憶を上書きすることで、それを克服しようとしているのだ。
ところで、高山涼太がコンテストで大賞をとった脚本のタイトルが『絶望の国の恋人たち』で、その後自分で何が書きたいのか分からなくなったという設定は某脚本家を連想させもするのだが、考え過ぎだろうか。
しかし、本筋とは関係がない部分でのくすぐりもまた、このドラマの魅力だ。たとえば、第3話では、和平がなかなか昼飯にありつけない様子が繰り返し描かれていたのだが、あれはサラリーマンの昼飯を取材する番組『サラメシ』(NHK)のナレーターを中井貴一が務めている前提があってのことだろう。こうした遊びを入れる余裕があるのも、ドラマづくりがうまくいっている証かもしれない。
クレイジーケン バンドの横山剣が作詞・作曲し、小泉今日子と中井貴一がデュエットする『T字路』をバックに出演者がミュージカル風に踊るエンドタイトルも実に楽しい。
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公式HPより
『BORDER ボーダー』 木曜21時~ 1~4話
今期もあいかわらず刑事物、事件物のドラマは多く、若干食傷気味な視聴者も多いかもしれないが、丁寧に見ていけば、そうしたカテゴリーの中でもちょっと変わったことをやっていたり、「お!?」と思わず前のめりになるドラマもあるからあなどれない。今期でいえば本作がまさにそう。テレ朝の木曜21時という鉄板の『相棒』枠で「あたらしいこと」をやろうとしている感がビシビシと伝わってくる。
原案・脚本は作家の金城一紀。直木賞受賞作『GO』は2000年に窪塚洋介主演で映画化され、当時の映画賞を総なめにし、ここ最近ではヒットシリーズになった『SP 警視庁警備部警護課第四係』の原案・脚本を手掛けたことでもおなじみだ。
メイン演出は、ドラマ『相棒』シリーズや映画『探偵はBARにいる』などの橋本一が手掛けている。第1話から、予定調和的ではない練られたセリフとモノローグ、映像の緊張感でグイグイと物語を引っ張っていく。
ある事件で犯人に銃で撃たれたものの、奇跡的に命をとりとめた刑事・石川安吾(小栗旬)は、これをきっかけに死者との対話ができるという不思議な能力が備わってしまう。果たして本当に石川には死者の声が聞こえているのか、はたまた頭に撃ち込まれたままの弾丸が脳の何かを刺激して幻覚を見せているだけなのか、真相はわからない。
1話では、殺された一家と対話することで速やかな犯人逮捕に成功した石川だったが、2話では石川らに踏み込まれた監禁殺人事件の犯人が目の前で自殺、石川の前にだけ死んだ犯人が姿を見せ、まだ殺していない被害者がいると挑発してくるというトリッキーな展開となる。
死者と対話ができるということは、殺された被害者に「あなたを殺したのは誰ですか」と直接聞くことができるということに他ならない。だったら話は早いでしょ、すぐに犯人を捕まればいいんだし......と考えるのは性急過ぎる。もちろん確固たる証拠がなければ逮捕には踏み切れないし、「証拠はないけど俺には犯人がわかってるんです」と周囲に訴えたところで頭がいかれたと思われるだけだ。ここから、石川のジレンマがはじまる。
死者と対話ができるようになって以来、最短距離で犯人を逮捕したい一心の石川の捜査は、怪しげな情報屋やハッカーなど、裏社会に生きる者たちに接近するヤバいものになっていく。死の恐怖を目の当たりにし、そこから再び生還したものの、頭に弾丸を抱え、いつ死ぬかもしれない恐怖と隣り合わせの石川にとって、人の命を奪う者は何があっても許さないという純粋な正義が芽生える一方、その手法はダークサイドに足を突っ込む違法なものになっていくという矛盾が面白い。生と死のボーダーをさまよった男が、善と悪のボーダーをもさまようことになるのだ。
ともすれば、警察の活躍をヒロイックに描こうとするあまり、段取り的に次から次へと人が殺されていく刑事ドラマがはびこる中、本作が異色なのは、殺人という絶対悪を死者の無念を通して掘り下げようとしている点だろう。「人が人を殺すというのはどういうことなのか」「人は死んだらどうなるのか」という大前提を、一見トリッキーな設定の物語に落とし込むことに成功している。
「個人的にはあまり親切に何でも説明し過ぎるのはどうかと思うんです。観終わった後に異物感が残るというか、ドラマを見てベッドで眠りに落ちるまでストーリーに描かれなかった部分をずっと想像してしまうような、余韻のあるラストを残しておきたい」と金城一紀は番組公式サイト内の「BORDERの作り方」で述べている。単に「はい殺人事件です、はい警察が活躍します、犯人捕まりました、めでたしめでたし」という勧善懲悪とは一線を画す、まさにボーダーを行き来するスリリングなドラマだといえる。
2話から登場する石川が捜査の協力を仰ぐ2人組のハッカー、サイモン&ガーファンクルのキャラクターもユニークだ。演じるのは浜野謙太と野間口徹(お互いをサイ君、ガー君と呼び合う)。サイモン&ガーファンクルのアルバム『ブックエンド』でお馴染みの黒のタートルネックを着用し、事務所にはジャケットを模した2人の写真が飾られていたりする。
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金城いわく、「ハッカーっていうと、美少年か太っているか、みたいな定番があるじゃないですか。それはやめようと」(公式サイトより)ということだが、確かに銀縁メガネのいかにもオタク然としたハッカーというステレオタイプを覆すキャラクター設計だ。こういう細かいディティールが予定調和的ではないところも好感が持てる。
他にも特別検死官・比嘉ミカ(波瑠)は沖縄出身で祖母はユタ(巫女)という裏設定などもあるらしい。だから、比嘉だけが石川の死者と対話できる力に唯一気づいていて、しかもどこか羨ましくも思っているのだという。こうした物語上では直接描かれない背景がしっかりあるからこそ、各々のキャラクターに厚みが出るのだろう。
「また刑事物か」と言って見過ごすには実に惜しいドラマであることは間違いがない。

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