ーそれにしてもいいところですね、この辺りは。
菊地流架(以下菊地):まぁ、そうですね。広々とはしてます。ここで作業するときには、それなりに大きな音が鳴るんですが、田舎の人は仕事の騒音には寛容なので、何も言われません。とにかく「仕事が一番大事」という考えがあるんです。いかに朝早く草刈り機のエンジンを回すか、というか(笑)。僕も朝4時ぐらいに回してたら、「働き者だね~」って言われたことありますから。
ーこのあたりは農家が中心なんですか?
菊地:見渡す限り田んぼなのでそう見えるかもしれませんが、兼業がほとんどだと思いますよ。専業はほとんどいないんじゃないですか。いわゆる米所ではないので。
ーとはいえ、近くに大きな川もありますし、土地としては米作りに向いているんでしょうか?
菊地:だと思いますね。というのも、この川の上流に日本で一番おいしい米と言われている銘柄があるらしいので。
ーなんていう銘柄なんですか?
菊地:いや、よくわからないです(笑)。なんか関東のお寿司屋さんとかが仕入れているらしいですけど。
ーなるほど。さて、そろそろ本題に(笑)。こちら(岡山県瀬戸内市)に工房兼自宅を構えてどれくらいになるんですか?
菊地:ここは3年前からです。その前は岡山県の総社市というところでやってました。そこが実家です。元々はウチの親が真鍮のアクセサリーを作っていたので、それをたまに手伝ったりしていたんです、だいたい4年間ぐらいですかね。ただ、それをそのまま引き継ぐのもなにか違うなと。自分はアクセサリーというよりは、今やっているスプーンとかそういうカトラリーの方が好きだったんです。
ーもうアクセサリーは作ってないんですか?
菊地:今でも昔からの付き合いの人からの頼みであれば、作ることもありますよ。
ーアクセサリーの方も、〈Lue(ルー)〉という名前でやってるんですか?
菊地:そっちは特に名前とか付けてないです。倉敷の美観地区ってわかりますか? その川沿いでヒッピーがアクセサリーを手売りしてたんです、道ばたで。ウチの親もそんな感じだったみたいです。最初は針金で名前をかたどったようなブローチとかを売っていて。そこから少し手の込んだものを作るようになって、という流れです。
ーお話を聞く限り、お父さんもヒッピーだったんですか?
菊地:そうですね。そんな感じでした。
ーそもそも、お父さんのお手伝いをする前に、今につながるようなことを何かしていたんですか?
菊地:いや、とくにしてないですね。ただ、知り合いのお蕎麦屋さんを手伝ってたことがあって、そこは夜に懐石みたいな料理を出すところだったんです。そのお店が、手の込んだ作家ものの器をたくさん使っていたんです。そういうのを見てたら、面白い世界があるんだなと思うようになったんです。それと、自分で料理をするのも好きだったんで、器に入りやすかったというのもあります。そのときぼんやり「器とかを作って食べていけたらいいな」と思ったことは、今やっていることにつながっているかもしれませんね。
ーそれではとくに余所で修行をして、というわけではないんですね。
菊地:はい。技術は父親から学びました。誰かの弟子についたとかそういうのはないです。だから、気楽なんですよね。
ーところで、〈Lue〉を始めてからは何年目になるんですか?
菊地:24歳くらいからやっているので、7~8年目ですね。
ーえ! 今31歳ですか? 若いですね!(笑)
菊地:よく言われます。だいたい30代後半ぐらいに見られますから(笑)。
ーブランド名の由来は、流架(るか)というお名前からとられた感じですか?
菊地:そうですね。ウチの父親がクリスチャンだったんです。で、キリスト教の使徒の中にルカという使徒がいたんです。あとは家族とか友達とかにも「ルー君、ルー君」なんて呼ばれていたので、その辺もあるかもしれないですね。
ー最初に作ったのは、どんなプロダクトでしたか?
菊地:ティースプーンだったと思います。
ー難易度的にトライしやすいものだったんですか?
菊地:それもありますし、ものとしてお客さんに手に取ってもらいやすいかなというのもありました。最初はそれだけ作って、お店に持って行きました。それでお店の方から、「カレースプーンみたいなものがあってもいいんじゃない?」とか「もう少し丸っこいものがいいな」なんて意見をもらったりしながら、少しずつ増えていきましたね。
ー最初のお店は、岡山のお店ですか? 今もホームページの取り扱い店舗の欄を見ると、岡山のお店が多いかと思うのですが。
菊地:はい。最初に持って行ったのは、倉敷に昔からある民藝屋さんでした。岡山で3件くらい取り扱いが決まってから、千駄ヶ谷の「プレイマウンテン(Play mountain)」に自分で持って行ったんです。そしたら、気に入ってくれて取り扱ってもらうことになって。そのうち、ヒース(〈ヒースセラミックス(Heath Ceramics)〉)にも持って行ってくれたりして。
ー「ランドスケーププロダクツ(Landscape Products)」はその辺、本当にフットワークが軽いですよね。
菊地:そうですね。そのおかげでか、海外での取引先はアメリカが一番多いですね。向こうのディストリビューターがいるので、ギフトショーのようなものに出展しているんです。国内の話でいえば、岡山って民藝がすごく盛んなんです。「倉敷民藝館」という日本でも有数の規模の民藝館があるぐらいなので。なので、そういうものづくりをしている人もこの辺には多いですね。
ーということは、このあたりの土地の気風が、菊地さんを民藝やクラフトの方に興味を向かわせたんでしょうか。
菊地:うーん、そういうことなら話もきれいにまとまるんでしょうが、それがそうでもなかったんですよね(笑)。最初は全然興味がない、というか知りませんでした。ウチの親も民藝っぽい器を使っていたんですが、すぐに興味を持ったというわけではなくて。最近でこそ、自分で色々買うようになって、好みなんかもわかるようになってきましたが。
ー民藝でいえば、どんなものが好みなんですか?
菊地:うーん。。民藝ってすごく難しいところがあるなって思うんです。というのも、民藝でないといけないというような風潮がなんだか僕は肌に合わないというか。例えば「健康的でないといけない」という考え方が民藝にはあるんですが。。
ー心が清くないといけない、とか?
菊地:はい。自分が無になって作ったものが至上のもの、というか。根底にそういう概念があるのはいいと思うんですが、どっぷり浸かっているものというのは、ちょっと。。僕はそういうものに囚われないで作ったものの方が好きなんです。それに、昔からあるものは民藝と呼んでも差し支えないと思うんですが、今作られているものは、民藝好きが作っている器という風に呼ぶべきじゃないかなと。
ー確かにご自宅のリビングを見ていても、民藝好きだろうなと思いつつ、色々雑多な感じもします。
菊地:そうですね。〈ババグーリ(Babaghuri)〉やら、北海道の作家さんのものやら、色々持ってるし使ってます。とにかく民藝でないといけないとか、クラフトじゃないといけないとか、そういうことには囚われないでものづくりをやっていきたいですね。