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小西康陽と曽我部恵一が語る。うた、ことば、音楽。

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「ボツにしている曲が本当の自分なのかもしれない(曽我部恵一)」

小西:もう少し聞きたいことがあるのですが、曽我部さんは曲をボツにしたりしますか?

曽我部:僕はすごいしますね。

小西:それはすごい意外!

曽我部:僕は結構自分にダメ出しが多いのでボツにしてしまうんですよね。いつも小西さんはボツ曲がないとおっしゃるので常々すごいな、と感心しています。小西さんはどんな自分でも出せる方だと思うんです。自分から出てきたもの全てを「どうですか?」と音楽で届けている。僕はまだダメですね。腹が座っていないなといつも思います。やっぱりいいところを選んでいるんだと思います。ボツにしている曲に何か鍵がある気がするんですよね。実はそれが本当は自分なんじゃないの? というのがどこかにある。いつもそれ考えるし、いつも小西さんの「自分にはボツ曲がない」という発言を思い出す。本当に毎日そのことを思いますよ「小西さんないんだよな~」って(笑)。僕も早く小西さんのようになりたいと思うんです。

小西:実は3週間前に何年かぶりのボツ曲がありましたけどね。僕は曽我部さんがおっしゃられることと全く逆のイメージを曽我部さんの音楽に対して思っていました。僕はほぼボツ曲がないのは事実なのですが、どんな曲も完成するまで作ってしまうんですね。曽我部さんの音楽を聴いていて思うことがあるのですが、ものすごく失礼なことを言っていいですか。もう、曽我部さんが怒ったらそこで終わってもいい(笑)。『My Friend Keiichi』を何回か聴いていて1曲目を聴くたびになぜか恥ずかしくなってしまうんですよ。なぜだろう? と考えるのですが、たぶん僕が学生時代に作ったデモテープでボツにした曲に似ているんですよ。曲が似ているわけではないんですが。僕が自分にダメ出ししたものがどこかさらけ出されているんです。

曽我部:確かにそうなんですよ。ボツになりかけたような曲ばっかりで。

小西:ははは! そうだったのか。

曽我部:3分30秒の曲でAメロもBメロも作って、サビと大サビも入れて間奏も作って、といろいろと作り込んでやっていくとなんだか恥ずかしくなってしまうんです。「これは本当に俺なのだろうか?」と悩んでしまうタイプなんですよ。

小西:おお。

曽我部:メモみたいにスケッチした曲をいっぱい集めてきて、マネージャーに「これ、どう思う?」と聞いてみて「いいですね」なんてやりとりをしながら、この曲とあの曲をちょっと入れてみようかな、なんていう感じで作っていて。その中であまり形にならなかったものばかりが収録されています。ボツにした曲の感覚みたいなものが自分は欲しかったのかな? 多分そういう感じで作ったアルバムですね。

小西:なるほど。

曽我部:こんなにチープな方法があるのか? というくらいにチープなレコーディングをしていて。一般的なライブハウスにある「57」というマイクがあるのですが、家にあったマイクを一本立てて、自分の部屋で録っただけなんです。ノートをパラパラパラめくりながら「あ、こんな曲もあったな」という感じで、マイクに向かって歌っているだけなんですね。

小西:ギターも歌も同録ですか。

曽我部:はい。トータルで20~30分のアルバムですけれども、自分の部屋の椅子に座ったまま1時間もかからないくらいで録り終えました。

小西:また失礼なことを言ってしまうのですが、曽我部さんの音楽って、わりとローファイなところがありますよね。それは意識されているんですか?

曽我部:あまり意識していませんね。いい音にしたいな、というのはいつもあるんですけれども。プロでデビューしたときからやっぱり自分たちが作ると籠ったローファイな音になっていくんです。最新のバンドの音と比べてみるのですが、もっとシャカシャカしていた音質で、もうちょっとハイファイですよね。僕は普通の音質にしようと注意して録っているのですが、そうならないのはなぜなのかといつも考えていました。15年くらいずっと悩んで試行錯誤した結果、これが自分の音なのだとやっと納得ができるようになった。ギターとか低音が多いと思うんですよね。

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小西:なるほど。曽我部さんの音はなぜこういう音質なのだろう? とずっと気になっていました。一度、誰か外部のプロデューサーに任せて曽我部さんの素敵なボーカルを生かしたシャカシャカしたハイファイな音でアルバムを作ってみたいと思ったりしませんか?

曽我部:いままで何度も思ったのですけれど、妄想に終わりましたね。誰か全部やるよって言ってくれる人を待っている感じです。

小西:曽我部さんの「コーヒーとアップルパイ」や「汚染水」という曲はすごくDJフレンドリーなソウル・ミュージックじゃないですか。ファンキーな音楽っていうか。こういった音楽のその先にハイファイな音楽がある気がするんです。


曽我部:いつかそういう世界観でまとめてみたいと思いますね。

小西:いまは日本でもソウル・ミュージックに影響を受けていない人がいないくらいに増えましたよね。なおかつ世界中の人がいま、自分なりのソウル・ミュージックを作っている時代になっている。僕が大学生の頃にソウル・ミュージックが大好きだったときは、もっとメジャーな音楽だったんですよ。フィラデルフィアサウンドやモータウン、アトランティックなどの立派なレーベルがあり、サウンドがあってオーケストラがいて、スターが入れ替わり立ち代わり歌って演奏をするようなゴージャスな音楽だったのだけれども、今はものすごくソウル・ミュージックがインディーなものとして存在している。たったひとりでソウル・ミュージックを作っている人が世界中にいっぱいいると思います。その感じでいちばんいいのが最近の曽我部さんの音楽だと思うんです。日本の誰よりもいい、と言えるのだけれども言っちゃうとまずいから言わない(笑)。本当に最高だと思う。

曽我部:嬉しいですね。でも、僕は小西さんの影響で音楽をやっているようなところがあるのですよ。中学生のときにアトランティックソウルやフィラデルフィアソウルを聴いてみようとか「オーティス・レディングはやっぱりいいのだろうな」と思って聴くのですが、どこか自分と距離があって。そういった流れで聴いた音楽で、すんなり自分の肌に合って心から「最高!」と思えるのがピチカート・ファイヴの音楽でした。小西さんがソウル・ミュージックを咀嚼して音楽活動をされていたことが自分の中ではすごく大きいんですね。小西さんのフィルターを通していろんな音楽を聴いていったところがあるんです。ピチカート・ファイヴや小西さんの音楽を聴いていなかったら、ソウル・ミュージックはそんなに聴いていなかったと思いますね。そうじゃなかったら、歌とギターだけで音楽を奏でる文学的なシンガー・ソングライターの音楽を聴いていた気がします。

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小西:むしろ僕が曽我部さんのファンですから。いままで集めてきたLPにサインをもらっていいですか。

曽我部:え! まじすか!(笑)。


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わたくしの二十世紀 PIZZICATO ONE

小西康陽のソロ・プロジェクト、PIZZICATO ONE。世界的評価を集めた『11のとても悲しい歌』に続くセカンド・アルバム。
市川実和子、UA、enaha、おおたえみり、小泉今日子、甲田益也子、西寺郷太、ミズノマリ、ムッシュかまやつ、YOU、吉川智子、※五十音順
produced & all songs arranged by 小西康陽