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なりたかった大人になれなかったすべての人たちへ。『海よりもまだ深く』是枝裕和監督 Special Interview

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是枝裕和 Kore-eda Hirokazu
1962年生まれ。早稲田大学卒業後、テレビマンユニオンに参加。テレビドキュメンタリー作品を経て、95年『幻の光』で映画監督に。『誰も知らない』(04年)では主演の柳楽優弥がカンヌ国際映画祭で史上最年少の最優秀男優賞を受賞。『歩いても歩いても』(08年)『空気人形』(09年)『奇跡』(11年)など多彩な作品を生み出し、福山雅治主演の『そして父になる』(13年)ではカンヌ国際映画祭審査員賞をはじめ国内外の賞に輝く。『海街diary』(2015年)はカンヌ国際映画祭コンペティション部門に正式出品され、日本アカデミー賞の最優秀作品賞・監督賞を受賞した。

ー『海よりもまだ深く』を拝見しましたが、見事な「団地映画」でした。

是枝裕和(以下、是枝):あ、それは良かった。

ー是枝監督は本作の舞台となる清瀬市の旭が丘団地に19年住んでいたということで、いつか団地の話をやりたいと考えていたそうですが、それと今回の離婚した夫婦の話は最初からセットで考えていたんですか?

是枝:脚本の1行目に「みんながなりたかった大人になれるわけじゃない」という言葉を書いたんですけど、すべてが思うようにはいかず、「こんなはずじゃなかった」と思っている男の話と団地の姿が重なったということですね。いまや団地がそういう場所なんだ、と。

ー実は、映画を観てから旭が丘団地へ行ってみたんです。

是枝:それは、わざわざ遠いところまで(笑)。

ーかつて団地は人々の憧れや夢の象徴のような場所だったと思うんですが、いまや老朽化して、子どもが減り、高齢化も進み、「夢のあと」のような印象がありました。

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是枝:そうした団地のありようと、「なりたいものになれなかった大人たち」の姿を重ね合わせたかったんです。実は『空気人形』(2009年)の時も団地で撮影しようとしたんですけど、棟に住む全員に許可をもらわないといけなくてあきらめました。今回も、全く撮影を許可してくれる団地がなくて、最終的には自分が育った団地で撮れることになって、結果的に良かったですね。脚本は自分の暮らした団地の間取りに基づいて書いているので、「登場人物がここからここまで移動する間にこれだけの台詞を言う」と想定していた尺が、実際に撮ってみたらぴったりでした(笑)。

ー阿部寛さんは、『歩いても 歩いても』やテレビドラマの『ゴーイング マイ ホーム』と同様、今回も役名が「良多」ですが、『海よりもまだ深く』は良多史上もっともダメな男ですね。ここまでダメな男でも、阿部さんならチャーミングに演じてくれるはずだという読みがあったわけですよね?

是枝:ですね。今回の良多は、たとえて言うなら成瀬巳喜男の映画に出てくる男ぐらいのダメな感じ。溝口健二でもなく、今村昌平でもなく。

ー小津安二郎でもなく。

是枝:小津だとちょっと偉くなってしまうので。今村昌平とかではない、その手前くらいの感じ。一応、家庭を持とうという意識はあって、どこかにまだ常識もある。そのくらいのところに落とし込めればいいなと思ったんですけど。

ー是枝監督にとって阿部寛さんという俳優は、これだけ何度も一緒に組まれているということは当然、愛着があるわけですよね。

是枝:愛着。そうですね。

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ー良多というキャラクターは監督の分身のようでもあり、ご自分を重ねつつ、それを阿部さんに投影する部分があると思うのですが、良多=阿部寛さんは是枝監督にとってどういう距離感なのでしょうか?

是枝:完全に同心円になってしまうと、それはそれでたぶん笑えなくなるんでしょうね。笑えるくらいの距離は保ちつつ、批評性を持ったうえで造形していく感じだと思います。

ー今回の良多は是枝監督そのものなのかというと必ずしもそうではないと思うんです。もちろん、要素はあちこちに入っているとは思いますが…。

是枝:入ってますね。

ーとはいえ、本作の良多のような「15年前に文学賞を取って以来パッとしない小説家」と、20年にわたる是枝監督のキャリアがそのままイコールで結ばれるわけではないと思うんですが。

是枝:でも、僕も決して「なりたかった大人」になれているわけではないですよ。

ー日本アカデミー賞の最優秀作品賞・監督賞も取られて、傍から見ると、いまや日本映画界の頂点に立つ存在だと思いますが、それは社会的な枠組みとしてであって、内面の部分では全然そこに到達していないということなのでしょうか。

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是枝:全然全然。それは父親としても夫としてもそうですけど、まるでちゃんとやれていないなと思いますよ。…実は僕、27歳の時に会社(テレビ制作会社、テレビマンユニオン)をしばらく休んで書いた脚本があって、それを「テレビシナリオコンクール」に出して奨励賞をもらったことがあるんです。

ーそれはまさに清瀬の団地に住んでらっしゃる頃ですか?

是枝:そうそう。それで、もうこんなつらい仕事は辞めて、脚本だけで食っていけないかなとちょっと思った瞬間があるんですよ。ADの仕事がつらくて、会社も休みがちになって家でゴロゴロしていたら、それを見た母親がすごく心配したんです。「そんなあなた、一つ賞を取ったくらいですぐに食べられるわけじゃないんだから」と言って随分たしなめられたんです。

ーそうだったんですか。

是枝:あの時の自分がそのままだったら、たぶん僕はこの良多みたいになってましたね。

ーじゃあ、あり得たかもしれないもう一つの姿というか、どこかで何かが間違っていたらこういう人生だったかもしれないという。

是枝:そう、あり得たかもしれない人生。この良多とは、そういうリンクの仕方をしています。

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