衰退する職人事情、そしてカバン産業のため。
〈マスターピース〉の工場が居を構えるのは、古くから“カバンのメッカ”として知られる大阪は生野区。一人の職人さんの家を拠点としていた前身「ファクトリー大阪」を経て、2008年に「BASE大阪」としてスタートを切りました。
そもそも、多くのブランドが生産を外注に頼る中、なぜ〈マスターピース〉は自社工場を持つに至ったのか?きっかけは、以前は全く別ブランドの生産を請け負っていたこの工場が廃業したことに遡ります。
当時は〈マスターピース〉も多分に漏れず、その生産の大部分を外注していたそうですが、機械化と高齢化により衰退していく職人事情、そして東住吉のカバン産業に一石を投じるべく、廃業した工場を買い取って自社工場として蘇らせたことに始まります。
地域の職人を積極的に雇用することはもちろん、若い世代を育てるという将来を見据えたコンセプトの下で、設立当初は5,6人だった従業員の数も今ではここ大阪で40人、もうひとつの拠点である兵庫工場も合わせると70人に。年齢にして25~81歳。ここまで幅広い年齢層の職人が集う工場というのは、東住吉区全体を見渡しても非常に珍しいのだとか。
そして生産の全てを自社工場で完結させるのではなく、一部を付き合いのある近隣工場に依頼するサイクルを築くことで、地域との共存、ひいてはカバン産業全体の底上げを図る現在の姿となったわけです。
“ファッション好き“が作るバッグ。
現在は工場長として40人もの従業員をまとめあげる鶴川さんも、この「BASE大阪」で職人としてのキャリアをスタートした一人。
「バッグを作り始めて8年くらい経ちますね。きっかけは、大手アパレル会社で普通に商品管理をしていた時、〈マスターピース〉のホームページにあった『自社工場作りました』という記載を見たんです。一応販売員募集の枠で募集していたようですが、面接の時に『工場見てみる?』と言われて(笑)初めはミシンを踏んだ経験すらなかったんですけど」。
全くの未経験者から、この工場と共に育ったとも言える鶴川さん。いちユーザーとして、そして今ではそのバッグを作る側に立った彼から見た〈マスターピース〉のバッグの魅力とは何なのだろうか。
「うちぐらい凝ったものを作っているブランドは、国内でもなかなか無いと自負しています。自社工場を持っているからこそできることってたくさんあると思うんですよね。実際に他の業者とかミシンメーカーが見学に来ても、みなさん『こんなことやってるのか』と驚かれるほど。わかる人にしかわからないレベルなんですけど、昔ながらのアナログな手法で制作している分、ベテランさんの技術も如実に出ているんです」。
そう語る一方で、前ページでも触れた通り若い職人が多い点こそ「BASE大阪」の特徴。と同時に、最大の強みでもあります。
「元々の目的が“職人を育てること”だったので、若手は積極的に採用しています。技術面はもちろんベテランの方々が指導しているのですが、新しい技術や機械に関する知識を逆に若手が教える場面も少なくありません。仲良く教えたり教わったり、うまくその間でバランスがとれていますし、それができる関係が築けているのもいいですよね」。
「あとは若手が多い分、ファッションに興味がある人間が多いのも特徴。他の工場はどちらかというと“職人”が集まっているのですが、うちは“ファッション好き“が集まってカバンを作っている。作業としてやるのか、自分たちの好きなものを追求するのか。ファッションに対する興味があるのとないのでは、ニュアンスが全く変わってくるじゃないですか。「BASE大阪」の場合は、企画から上がって来たものに対して職人たちが「こっちの方がかっこよくない?」と戻すのも日常茶飯事で、たとえ技術的に難しくて縫いにくくとも、作業効率よりファッション性を優先しています」。
もしもここがベテランばかりの工場であれば、これほどまでにファッションアイテムとしての情熱をバッグ作りに注ぐことは難しいはず。彼らの熟練の手仕事と若手の感覚が見事に融合して、〈マスターピース〉のバッグは生まれています。
もう一段上がるためには、若い子たちの力が必要なんです。
そして、「BASE大阪」に欠かせないもうひとりのキーパーソンが、この道65年のキャリアを誇る藤田さん。その腕前は幾度と業界誌に掲載され、時には技術を伝承しに海外へ赴き、国からの表彰も受けていると聞きます。工場長の鶴川さんも「この地域ではすごい有名人なんですよ」と語るほど。
「昭和25年に大阪に来て、それ以来カバン一筋。他はやったことがありません(笑)。カバンの歴史はわかっているけれど、素材や技術は日々進歩しているしデザインもどんどん変わっていくので、いまだに勉強することばかり。それが楽しくもあるのですが」。
そう語る藤田さんの目にもまた、「BASE大阪」の未来は明るく映っているようです。
「職人が減っている中で、私たちみたいなベテランが働いていると同時に若い子もたくさんいる環境というのは、大阪でもかなり珍しいんです。ベテランの職人が多いだけに腕は確かなので、あとは若手をどんどん入れて育てつつ、トレンド性のある商品を自分たちの力で生み出していく。今までの積み重ねも確かに大切ですけど、これからはもう一段上がっていかないといけない。そのためには、あの子たちの力や感覚が必要なんです。そういう意味では、今の流れがこのまま続けば安心してまかせられますね」。