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interview with Paul Vincent from S.E.H KELLY .S.E.H ケリーの確固たるアイデンティティー。

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サヴィルロウでしか使えない素材・技術に違和感を感じた。

―まずは、ブランドを始めたきっかけを教えてください。

パートナーのサラが昔、サヴィルロウで働いていたんです。そこでやっていた仕事というのが、工場や生地屋とコンタクトをとってプロダクションを円滑に回すというものだったのですけど、それを横で見ながらいつも「なんでサヴィルロウでしか使えない工場、生地があるんだろう」と疑問に思っていました。いわゆる“カジュアルブランド“はそれらを使えない状況だったので。そこで、上質な生地や技術をデイリーウエアに落とし込みたいと思って〈S.E.H ケリー〉を立ち上げたんです。

―ポール自身のキャリアも教えてください。

実はITやコンピューターサイエンスの勉強ばかりしていて、ファッションとは全く関係ないキャリアを歩んでいました。マンチェスター出身で、2002年にロンドンに引っ越してきてからも、その分野の勉強をずっと続けていたんです。でもファッションは常に頭の中にありました。例えば、学校で座っていてもジャケットのことばかりを考えていたりとか(笑)。その頃から色々なお店で働いてはいて、シューズショップのマネージャーだったこともあるくらい。つまり、サラはモノ作りのバックグラウンドを持っていて、僕はコンピューターとセールスのスキルを持っていたわけです。お互いの得意分野が異なっていた分、いいコンビネーションを築くことができました。

―ということは、2人の役割分担ははっきりと分かれているんですか?

当初はサラがプロダクションを担当して、僕はマテリアルやサンプルの手配、WEBサイトの立ち上げを担当していました。顧客と話をしたり、時にはサイトに載せる写真を撮るためにフォトグラファーになったり(笑)。でも5年くらい経った頃にはお互いが両方をやるようになっていて、今ではファクトリーも一緒に行きますし、デザインも一緒にやっています。

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―ブランドとしては、流行云々というよりも一貫してトラディショナルなコレクションを発表し続けていますが、元々個人的な嗜好もそういったジャンルだったのでしょうか?

そういうわけではないんです。過去にはヨーロッパはもちろん、日本のデザイナー物を好んで着ていた時期もありましたし、色んなジャンルを通ってきました。でも、いざ自分たちで作るとなったときに決めたコンセプトは、「毎日自分たちが着たいもの」。たった2人だけのブランドで明確なブランディングもないので、例えばサッカーを観に行くとか市内を歩き回るとか、そういう時に気兼ねなく着られて、自分に馴染む服をベースに考えています。

―シーズン毎に何かから影響を受けてコレクションをつくるようなこともないのですか?

はい。周りからの影響はあまり受けません。今までは色んなお店や場所を回ってインプットしていたんですけど、キャリアを重ねるにつれてあまり見ないようになりましたね。というのも、あまりにインプットが多すぎると、自分の中のコアがブレてしまう気がして。コアをピュアな状態に保ちつつ、その周りに少しずつ付け加えながらモノ作りをするのが、自分なりのスタンスなんです。

―〈S.E.H ケリー〉の魅力として頻繁にクローズアップされるポイントといえば、“純英国諸島製“であることです。やはりこれがブランドのアイデンティティなのでしょうか?

もちろん一番大切にしているルールではあります。ボタンやバックルといったパーツ類、あとは生地もすべて英国のもの。ちなみにジップは一切使っていないのですが、それも英国製のジップがないから。他にはコットンやリネンも英国産のものがすごく少ないんですけど、選択肢が少ないからこそピンポイントでフォーカスできて、結果的に品質の良い物が選べると考えています。全然見つからないからといって他国の素材を混ぜて同じプロダクトを作っても見栄えは違うものになるだろうし、〈S.E.H ケリー〉らしさもなくなると思います。さっきも言ったように本当に2人だけでやっているので、パリの展示会や生地の見本市に行かないといけないというのが無いし、電車でマンチェスターに行って、そこからスコットランドに渡って島々を周り、お茶を飲んで良い生地を見つけて戻ってくるというのが、僕たちの日常的な服作りの過程なんですよ。

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ー日本でも最近“地産地消”というか、ローカルを盛り上げようとする動きが大きいのですが、英国製にこだわるのはそういう理由もあるんですか?

古いファクトリーと一緒に働いているので、彼らを持続させたいという思いはとても大きいです。ブランド創設から付き合いのあったメーカーが閉鎖したのも見てきましたし、彼らを盛り上げて行くのはすごく大切なことだと思っています。毎シーズン作っているトレンチコートなんかも、〈バーバリー〉サヴィルロウで50年以上働いていたパタンナーのおじいさんと一緒につくっています。メンズウエアですごい技術を持っているファクトリーというのはひとつやふたつしか無くて、どこかのファクトリーに行けば「それはあの人、これはあの人」とどんどん繋がって行く小さい世界なんです。彼は10年前にリタイアしていたのですが、今でもその技術を求められていて、週に2回はファクトリーにいるそう。その時にそこを訪れて、一緒にモノ作りをしています。

―古いファクトリーやデッドストック・ヴィンテージの生地にこだわるというのは魅力的である反面、リスキーな部分もありますよね。無くなったら終わりというか。

生地に関して言うと、実はそんなにデッドストックのものが占める割合は大きくなくて、コレクションの中でのエクストラな面白みとして位置づけています。あとは一から織ってもらった生地もありますが、それは確かに「工場が潰れたらどうしよう」という危機感は常にあります。ただそれをリスクと考えるのではなく、彼らと一緒にモノ作りすることに価値があると思っているから続けているんですよね。もちろんブランドとしても常に新しい生地の開発は念頭に置いていて、例えばベンタイル生地でも、ベンタイルキャンバスのような新しいものを作って使用しています。

―新しい生地をつくる時のインスピレーションはどこから来るのですか?

ネイビーだったりナチュラルカラーだったり、いつも〈S.E.H ケリー〉が使う色は偏っているから、工場の人たちも僕らが好きな色をわかってくれているんです(笑)。でも最近だと、スコットランドにいるおもしろい女性に出会いました。たったひとり山奥の小さな小屋でリネンを使って生地を作っている方で、彼女にアプローチしてリネン素材でツイードの生地をつくれないかと相談したんです。クレイジーなおばちゃんで、普段はカラフルな糸をたくさん使っていたらしいのですが、何回もミーティングを重ねて、〈S.E.H ケリー〉らしい色味の生地を作ってくれました。彼女は遠くに住んでいるから運賃もかかるし、トータルのコストを考えたら決して安いものではないのですが、どうしても「リネンでツイードを織ってみたい」という想いがあったので、その女性と協力して作り上げたんです。

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他にも、この“ミリタリーコットンリネン”という、主にソファーなどの家具に使うコットンをストックしているファクトリーで見つけたものを使ったり。それでシャツを作っているのですが、今まではシャツといえばオックスフォードコットンやポプリンなどのプレーンなものしかなかったので、テクスチャーのあるものが欲しくなったんです。顧客の方にはよくオックスフォード生地で作ってもらいたいと言われるんですけど、やはり〈S.E.H ケリー〉らしさを表現したいんですよね。この生地も通常の織りより柄が大きいのがポイント。それでいて、快適に着られるところに惹かれました。

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これからも2人で、毎日コツコツと。

―ポールの以前のキャリアを考えると、デジタルな分野でのブランディングのアイデアについてもたくさんのアイデアを持っていそうだけど、今後の展望についてはどう考えているんですか?

規模を大きくするというのは全く考えていなくて、これからも2人で続けて、毎回クオリティーが上がっていけばいいかな。10年後に同じアイテムを出したときに、見た目は同じなんだけど、ディテールのひとつひとつがレベルアップしている、そういうモノ作りを目指しています。毎朝自分でコーヒーを淹れて飲んでいて、12,13年もやり続けていると、ミルクの分量や温度調節を少しずつ改善することで、前の日よりもおいしくなるんですよね。細かい積み重ねでプロダクトをより良いものに仕上げるのも、それと同じだと思っています。今はまだパーフェクトには程遠い。毎日WEBサイトにコメントしたりSNSにポストしているのですが、「もっと良い言い方があったんじゃないか」と思って前日の投稿を修正してしまうし。その点でサラは僕とは真逆で、既に販売しているジャケットを僕が「あそこが気になるから作り直したい」と言っても、「え?別にいいよこのままで。その代わりに何か新しいものを作ろう」という感じ。

―そうやって意見がぶつかった時は、どちらの意見が優先されるんですか?

サラは僕よりも断然マネージメント力があるんです。お金のことも時間のことも、もちろん技術的なことも。だから、「構造的に無理」と言われると、僕が折れるしかないんですよ(笑)。逆に僕はアイデアの方で主張することが多いので、お互い違うカテゴリーで持っている力を発揮できています。でも一度だけ彼女に内緒でパターンを直してそれが見つかったときは、大問題になりました(笑)。

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