歌うことって、どういうこと。 ハナレグミ×小池アミイゴ 『だれそかれそ』の歌とアートワークをめぐる ぽつんと優しい音で紡がれた町の景色の話し
2013.07.09
-タイトルの『だれそかれそ』というのは、黄昏のもとになった言葉ですよね?
永積: 黄昏時に「誰かな?あいつかな?」っていうぐらいの距離感、薄ぼんやりとしてるんだけど、むしろ逆にその人の中心にたどり着けるような気がする。その人を本当に知るには、もしかしたらイマジネーションってものがとても重要で、実際の会話で知る以上に、「どうして、その言葉を言ったのかな?」というようなことだったり、そうやって想像することで、その人がより近くに感じられるのかもしれない。だから秋口になって陽が伸びて、影がバーンと道端に伸びて、少し乾いた風が吹いて、そういうときに急に立ち表れてくる切なさとか孤独。そういうものってすごく快感っていうか、自分も誰なのかが分かんなくなる瞬間って、なんかやっぱり快感なんです。自分はそういう感覚を大切にして、やっぱりこの先も何かを創りたいなぁと思います。
小池: 俺たちが生きてる社会っていうのは、切なさとかそういうたくさん曖昧なものに溢れている。だからJ-Popみたいに「大丈夫だよ、明日に向かって」ばかり言ってるとどこかで破綻してしまう。だからどこかで、しょうがないなぁ誰だか分かんないな、今日やってみようか、やっぱやめとくかみたいな、そういう曖昧なとこで、自分を感じて、人を感じるんだよね。で、その足りない部分に崇くんの歌がある。
永積: キリンジの『エイリアンズ』とかも、今、こういうこと歌ってたんだなぁと改めて感じて、そしたらアミイゴさんがそれを打ち合わせのときに言ってたことを思い出した。「ブルースは地方都市の風景の中にあるって、日本の大半の景色がそういうことなんじゃないか」って。都会なんてのはある一部分、限られた場所にしかなくて、ほんとは田んぼの真ん中にいきなり高速道路があったりとか、日曜にみんなで行くとこがショッピングモールで、みんなショッピングしてっていう。それが日本の大半の景色じゃないかって。そう言われて、キリンジの歌詞を歌ってるとき、エレキギターにエフェクターかけてバーンって長いディレイ飛ばしたら、突然その異様さが立ち上がって来て、シティポップな雰囲気じゃなくて、殺伐とした町の中で、自分を見失ってる人たちの恋物語。モノの間で暮らしてるカップルの景色が見えて来て、なるほどなぁっと思った。
小池: キリンジって、すごくキレイでプロフェッショナルなアレンジとメロディーなのに、どこかにドロンとしたものがある。だったら、それを思いっきり抉ったらって感じで、あのカバーは見事だったなぁ。あれが最後から2番目にあることでアルバムがすごくしまってるし、すごいねアレは。ほんとに、ショッピングモールに向かう白い軽ワゴンの列っていうのが日本の風景なんですよ、今。そこで子どもにゲームソフト買ってあげるのか、輸入雑貨を買うでもなく見るのかっていうのが幸せだったりする...。そういう人たちのためのBGMってねぇーじゃん!みたいな。妹がそういう生活してて車の中で聞いてるのはK-POPだったりしてダンスミュージックなんだよね。だったら今回の『オリビアを聞きながら』とか軽ワゴンの中で、子どもがギャーギャー泣いてる中で聞いて欲しいなとか思った。
永積: アハハハ(笑)
小池: 「出会った頃はぁ♬」とか「幻を愛したのー!」って大声で歌ってるとか、でも、渋滞してるとかね。で、最後に地獄に堕ちるみたいな、『エイリアンズ』かかる。(笑)
永積: で、急に車内がシーンとなるみたいな...。
小池: 自分の思惑とか破綻してしまった方が、必要な歌は際立って聞こえてくるよね。そんな中で、あらためて永積崇って人の歌を発見してもらえたらだね。
永積: PV作るときも、お互い同じものを言い合わないようにしようといつも言ってて、ずっとそれはアミイゴさん最初から変わらず言ってて、歌い合っちゃうとたぶんストーリーが非現実っぽくなるっていうか、一個一個の絵って、その、こういう言い方が合ってるか分からないけど、一瞬のことで、誰しもが通り過ぎていくような何でもない瞬間を切り取ってると思うんですよ。だから、それをあんまり歌っちゃうと何でもなってしまったら、たぶん違うんだと思うんですよ。で、僕もPVのときに歌のスピードとかをこういう感じどうかな?とか言ったら、アミイゴさんが「あんまりシンクロしちゃうと歌の距離感が変わっちゃう!」
小池: もともと同じ方向を向いてるけど、黄昏時だからみんながどこを向いているか分からないみたいな感じでやれたらいいんじゃないかなって...。
-今回カバーをこれだけやってみて、改めて曲を作りたい気分になりましたか?
永積: すごく思います。あぁなんか次のアルバムを早く作りたいなって気持ちになってる。なんだろう?自分で作ると、歌詞書いてメロディ書いていくと、その間に何百回って、作りながら歌ってる状態。こうやってパッと歌にだけ集中して、ストーリーもどっかの部分ではもちろん繋がってるけど、僕は女性でもないし、でも、女性詞を歌うことで、どっかの国に行って旅行してるような、この町に住んでる自分をヨソから想像してるような、なんかそういうような感覚。で、ほんとに音楽で遊んでる感覚。旅してるような感覚、気持ちの中でいろんな人になるような...。なんか早くもっと自分の言葉を紡ぎたいなぁという、言葉とか、メロディーとか、そういう感覚にすごく今なってますね。