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初来日を果たしたUMIT BENANにインタビュー!

2011.12.22

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Umit_Benan_main.jpg

〈トラサルディ 1911〉のデザイナーに就任、自らの名を冠したブランドも数多のセレクトショップで買い付けられるなど、いま最も注目されるデザイナーのひとり、ウミット・ベナン。11月某日、ユナイテッドアローズの招待で初来日を果たした彼に、ブランドスタートの経緯やファッションに対する考え方などパーソナルな部分についてのインタビューを敢行してきました。時間の関係で深い部分までは迫れていませんが、それでも充実の内容になっていますので、ぜひご一読ください。

Photos_RINTARO
Edit_Ryutaro Yanaka

〈UMIT BENAN〉誕生の経緯。

―〈UMIT BENAN〉の1stシーズン(2009年秋冬)をアメリカのGQ.COMで拝見して、セレクトショップのバイヤーに「見ておいでよ」なんて話をしたら、ブランドのベースはイタリアだったという経緯があったのですが、アメリカで立ち上げたのには何か理由があるのですか?

ウミット・ベナン(以下ウミット/敬称略):アメリカでブランドをスタートさせたわけではありません。ブランドの始動はイタリアだったのですが、ファッションシーンがとても閉鎖的だったために、なかなか受け入れてもらえませんでした。もちろんイタリアの雑誌も私のブランドを取り上げてはくれなかったのですが、逆に『インターナショナル ヘラルド トリビューン』のスージ・メンケスや『ニューヨークタイムズ』などが取り上げて、記事を書いてくれました。だからスタートさせたイタリアより諸外国で盛り上がっている感じで、アメリカでの方が認知をされていたからだと思います。

―では、1stシーズンからイタリアでスタートしていたのですね。

ウミット:でも、あまり知っている人はいませんでしたけど...。

Umit_Benan_sub01.jpg

―まずは基本的な質問ですが、デザイナーを志したキッカケを聞かせてください。

ウミット:父親がテキスタイル関係の仕事で成功を収めており、自分はその息子としてよく知られていました。しかし、親の七光りではなく、自分自身がリスペクトしてもらえるような仕事を、と17歳のときに考えました。その当時、高校で写真の勉強をしていたので、フォトグラファーの道も思いついたのですが、それ以上にファッションやテキスタイルに関心を持ち、デザイナーを目指すことにしました。

Umit_Benan_sub02.jpg

両腕にはコンセプチュアルなタトゥーが。

―自然な流れだった感じですね。

ウミット:じつは、サッカーとテニスもいい線いっていたのですが、高校を卒業してからプロになるのは遅いと思い、それも諦め、決心しましたね。それからは計画的にファッションの学校に通っています。

―僕自身もいくつかアイテムを購入してみて、テキスタイルの選び方にセンスを感じるのですが、それはやはり父親というか育った環境からの影響ですか?

ウミット:とくに影響を受けたということはないと思います。自分がメンズウェアというものを考えたときに、重要なのはクラシックで、男性的な「マスキュリン」な要素です。それを表現するのに、もっとも必要なのがテキスタイルであると思います。私は誇張し過ぎたデザインが好きではなく、「ジャケット」ならば「ジャケット」らしく、そこに自分なりのヒネリを加えるデザインが好きです。だから、例えばクラシカルなデザインのジャケットを、クチュールで使うような女性的な素材で作ると、エキサイティングなアイテムに仕上がるのではないか、というようなコトをつねに考えています。その結果が、ああいったテキスタイルのジャケットを生み出していると思います。

―パターンやカッティングで"らしさ"を表現しているように思えましたが、テキスタイルでも遊びを効かせているのですね。

ウミット:自分の強みは、テキスタイルをどう使っていくかだと考えています。

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