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CURLYが生まれるまで。 香川県さぬき市、川北縫製のものづくりに迫る。

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川北縫製社長 川北繁伸氏
「スタッフ全員がいいものを作りたいと心から思っている」

「〈カーリー〉の生産にまつわるほとんど全ての工程を、この川北縫製で行っています。簡単に順を追って説明させてください。日本各所に発注をかけた生地が入荷して、まずは先ほども見ていただいた“延反”という作業に入ります」

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“延反”とは読んで字のごとく、生地を裁断するために必要な長さや枚数に従って台の上に広げることを指します。布の原反は丸巻き、板芯巻き、折りたたみなど様々な状態になっているので、それを延ばすわけですね。

そして延ばした原反を、裁断のために型紙に合わせてマーキングし、そしてざっくり切っていきます。これが“粗裁ち”。

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そしてここからが技術のいる仕事です。粗裁ちによって、型紙に近い形にまで切り落とされた原反を、綺麗に型紙に合わせて裁断する作業、“小裁ち”。この作業は川北縫製では、先代と現社長の川北氏の二人のみが担当する作業であり、しかも「先代の技術にはまだ遠く及びません」とは川北氏。うなりを上げる糸鋸は凄まじい切れ味を誇っており、少しでも手元が狂ったら、、という世界。見ているこっちがヒヤヒヤしてしまうのです。

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美しく裁ち落とされた布地をもってして、縫製に入ります。ここ川北縫製では現在20代から80代までの職人さんが働いています。

川北氏は言います。「〈カーリー〉というブランドができたことで、若い人が我々のやっていることに注目してくれるようになりました。控えめに言っても、縫製業というのは若い人が諸手を挙げてやりたい!というような業種ではないと思うんです。どこの工場に行っても年配の方ばかりですし、それどころか海外の労働者の方をあてにしないと、ものづくりができない。そうした中で今うちの工場は日本人だけです。しかも、若い子を含め〈カーリー〉のものづくりに関わりたい、うちで働きたい、と言ってくれる人がでてきたのは、正直想定外でしたがすごくうれしいことでしたね」

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さらに〈カーリー〉の誕生前、誕生後についてはこんなことも話してくれました。

「〈カーリー〉ができるまでは、OEMという仕事のなかで、受注があったものを愚直にこなしていくという毎日でした。業務を進めるなかで、こっちのやり方がいいのではと思って提案しても、なかなかそうした要望は通りませんでしたね。言われた金額で、言われた日に納める、というやりかた。でも、昔はそれで十分というか、会社が回っていたんです。雇用もそれなりに生み出せていたし、工場も賑やかにやっていました。ただそんな中で、工場の生産拠点が海外に移っていってしまい、何か策を講じなければ、という思いがありました。デザイナーの伊藤と出会ったのは、ちょうどそんなことを思っていたときでした」

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「本当にいい出会いというか、タイミングがよかったです。今は企画と生産が一つ屋根の下でやっているので、あらゆる意味でレスポンスが早いですね。それと最近とくに感じるのですが、昔とはものづくりに対する考え方が変わってきています。いいものを作ろうということ自体は変わってないのですが、以前は『より早く、より安くいいものを』ということに心血を注いでいたわけです。とにかく数を作らないと間に合わないし、採算ベースに乗らない。なんというか、バタバタしたものづくりでした。常に時間に追われているというか。今も、当然時間には追われていますが、作ることの喜びを感じられるようになってきていますね。と同時に、責任をみんなが持ち始めてきている。スタッフみんながいいものを作りたいと心から思っている。社長の自分が「もうそれぐらいでいいよ」なんて言うぐらいの環境なんですよ。前はこっちが「もっとやろう、もっとやろう」と言っていたはずなんですが、そこはまったく変わりましたね」

「技術的にはウチでしかできないことはないかもしれない(川北社長)」。でも実際に手を動かす職人たちのハートというか、モテべーションはどこよりも高い。その無形の熱い想いこそが、どのブランドも一番に欲しているものなのではないでしょうか。

話が作業工程から逸れました。縫製のあと、検品、仕上げまでを一つ屋根の下で行い、そして出荷です。

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ブランドを始めて6年目。今では取引先は50に増えています。

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