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PLUS L by XLARGE® 江川芳文、43歳。いまさらだけど「服づくり」を語る。

カーニバルからシュプリームまで。ヘクティク解散後の活動について。

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―〈ヘクティク〉での成功を経て、2007年にはピストバイクの専門店「カーニバル」をオープンしました。

江川:30代中盤を迎えたタイミングでピストに出会えたのは幸運でしたね。乗ることそのものも楽しいし、ギア選びもこだわりだしたらキリがない。仕事でのストレスも重なって、みるみるのめり込んでいきましたね。しまいには私財を投じて店まで作ってしまって。もちろんお店というハードを運営する苦労はありましたけど、とにかく自転車に触れていることが楽しかったんです。

―その後、2012年には〈オンブレ・ ニーニョ(Hombre Nino)〉を立ち上げました。

江川:〈オンブレ・ ニーニョ〉を立ち上げて半年位で手塩にかけてきた〈ヘクティク〉が志半ばで解散を迎えてしまい、頭が真っ白にはなりました。とはいえ、うつむいてばかりはいられない。そのときは子供もいましたし。

―実際、〈オンブレ・ニーニョ〉のコンセプトの1つに“ファミリー”があります。

江川:言葉にすると照れますが、子供って、家族って、こんないいものなんだなと。恥ずかしながら40歳を迎えて、そういう感情が初めて芽生えたんですよ(笑)。そこから服づくりに対する姿勢は大きく変わったと思います。

―具体的にどんな部分が変わったのでしょうか?

江川:ディーラーの方の意見を聞くようになったり、お客さんが着たいものを考えてみたり(笑)。当たり前のことではあるとは思うんですけど、〈ヘクティク〉時代はすべて自分たちで、あくまでも主観的にやっていましたからね。ファッションという枠で勝負をしていたけど、ファッション業界とは異なる世界にいたんです。実際にファッション業界的なやり方に習ってやってみると、これはこれで面白いんですよ。これまであまりにも人の意見を聞こうとしてこなかったので、ディーラーやお客さまの意見が新鮮で。新しい発見がたくさんあるんですよね。改めて服づくり、ファッションって奥が深いんだなと。

―一時期は〈シュプリーム〉の店頭にも立たれていました。

江川:あれは本当にタイミングでしたね。いろんな仕事が落ち着いたときに、ヘクティク解散後仕事がなかったのでワングラム(〈シュプリーム〉の輸入代理店)の方に「仕事ない?」って気軽に聞いたら、ちょうど〈シュプリーム〉本国からの要望もあり、渋谷店のスタッフとして名前が挙がっていたみたいで。ああいったアイコニックなブランドには、知識も経験も豊富な看板スタッフが必要だったりするじゃないですか。それでお声がけいただいて。無遅刻無欠勤、〈ヘクティク〉の店頭にいた頃より真面目に働きましたよ。〈ヘクティク〉時代は寝坊が多すぎて内勤になったくらいでしたから(笑)

―20年近くストリートカルチャーの第一線で活躍していた江川さんがショップスタッフを務めるというのは、周囲にも大きな影響があったと思います。

江川:お客さんから何度も二度見されましたからね。でも、素直に楽しかったですよ。これまで人の意見に聞く耳を持たなかった僕が、彼氏へのプレゼントの相談に乗ったり、コーディネイトの提案をしたり。あと、僕がショップで働く姿を見せることが、一緒に〈ヘクティク〉で働いてきた仲間たちに向けて、いいメッセージになるんじゃないかなと思っていました。

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