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What feel about Dickies? ディッキーズという存在。 江川芳文の場合

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スケーターの中での〈ディッキーズ〉の存在。

ー江川さんが初めて〈ディッキーズ〉に触れたのは、スケーターとして活躍されていた頃ですか?

江川:1991年くらいで、僕がまだ高校生のときだったと思います。当時スケートが本当に好きで、アメリカの大会によく出場していたんです。サンフランシスコに行く機会が多くて、そこではローカルのスケーターたちがこぞって〈ディッキーズ〉のワークパンツを履いていました。

ーそこで江川さんも履くようになったわけですね。

江川:そうです。値段が安いから気に入った色を片っ端から買い漁ったりして(笑)。欲しい色とサイズが見つかるまで、アメリカのKマートを何件も廻っていましたね。友達と「あのお店にあの色があったよ」とか情報交換をしたり。いまみたいにインターネットがない時代だったから、自分の足で仕入れた情報しか頼るものがないんですよ。

ー当時のサンフランシスコでは、どんなスタイルでスケートをしていたんですか?

江川:みんな40インチくらいの大きなサイズを穿いていました。

ーそれはどうして?

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江川:ウェストが細いとスケートするときに腰回りがツッパるんですよ。だからわざと大いサイズで穿いて動きやすいようにしていました。ベルトループには、靴ひもをベルト代わりに通すんです。いわゆるバックル付きのベルトだと、スケート中に転んだときバックルが当たって痛いので(笑)。

ートップスはどんな合わせだったんですか?

江川:いま僕が着ているようなメキシカンパーカーを羽織っていました。あのときのスタイルが僕のベースを作っていると言っても過言ではないですね。

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ーいまでこそストリートスタイルの定番として〈ディッキーズ〉は存在していますが、90年代当時、日本でのブランド認知度はどんな状況だったんでしょうか?

江川:穿いている人はあまり見かけませんでした。それこそ、当時〈ディッキーズ〉を穿いていたのは僕が所属している「T-19」というスケートチームのメンバーくらいだった気がします。その後に、海外のスケーターたちが続々と日本に来日して、徐々に浸透していったんだと思います。

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