自分が客として行きたいような店にしたかった。

―どういった経緯で靴のリペアーショップを生業にするようになっていったんですか?

中川:大学を出てから色々なことをしてたんですが、26歳くらいの時にそろそろ固まらないといけないなと就職活動を始めました。世の中はまだバブルの名残があった時期だったんですが、たくさん面接を受けて通ったのが場末の靴修理店だけだったんです。周囲の連中はカメラマンとかデザイナーとか所謂カタカナ職業になったりしてたんで、悶々とした思いがあったのを覚えています。その就職先は今では死語になった3K職場で、イメージやら何やらは最悪でした。けど、仕事の内容自体はとても楽しかったんです。修理をするのは大半は無名かそれに近い靴でしたが、100足に1足くらいは〈チャーチ〉の靴が入ってたりすると嬉しくて。2年くらいはそこで働きましたね。

―そこからご自身のショップで独立するのは何か転機があったんでしょうか?

中川:悪しき慣習なんでしょうけど、当時は業界全体が納期をちゃんと守らないのが常だったんです。預かった靴の保存状態も良くなかったですし、接客なんて最悪でしたからね。そういった諸々のやり方が嫌になっちゃったっていうのはあります。大体、スタッフで靴好きなんていなかったんですよ。ファッションにも気を使ってない人ばかりでした。

―靴に対する思い入れがあると、そういう現状は理想とはかけ離れてしまいますよね。

中川:自分でもかつて修理屋に出した際に、全然思い通りの仕上がりじゃなくてガッカリしたことがあったんです。基本はちゃんと元の状態に戻すことなんですが、トンチンカンなものにされたりすると台無し。自分でやるんだったら、そんな事は絶対にしたくないと決めてました。ですので、まず独立するに当たり、イギリスのパーツ屋を巡りました。勝手な解釈で修理を進めるのではなく、元に戻すことを考えれば必要不可欠な要素だと思いますので。

―いざ独立となると色々と大変なこともあったのでは?

中川:営業経験とかは一切なかったですから、それはもう大変でしたよ。ただ、幸運なことが3つ重なったんですよね。1つは雑誌のビギンに取り上げてもらえたこと、2つめはUAからの依頼を受けられるようになったこと、3つめは先輩に修理用の機械を譲ってもらえたことです。それらのおかげで靴好きのお客さんが来てくれるようになってきました。あとは口コミでといった感じで今に至っています。UAも最初の4年はメンズのウェルテッドだけだったんですけど、マッケイなどもやらしてもらえるようになり、ウィメンズなども始められるようになってからは、どんどん受注が増えてくれました。広く深くやらなければいけなくなっているので大変ですが、それもありがたいことだと思っています。

―ここ最近はどういった靴が持ち込まれることが多いんですか?

中川:雑誌の影響が大きいのか、〈ホワイツ〉に代表されるアメリカンブーツが多いように感じます。また、不況の影響なのかもしれませんが昔はバンバン新しい靴を持ってきてたような人が結構いたんですが、最近は減りましたね。基本はブリティッシュに置きたいので、修理したいと思っている方には是非来店してもらいたいと思ってます。

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シューポリッシュのための機械は年代モノの風格。存在感たっぷりに店内に設置されています。

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シューツリーやクリームなどといった各種ケア用品も充実。もちろん使用方法などもレクチャーしてもらえます。

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