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サイドカーに犬、もとい吉川。
2008.02.20
ボクが小学生の頃の憧れは、なんてったってアイドル"チェッカーズ"と、もうひとり"吉川晃司"だった。そう、ビーマイベイベーの人だけれども、ビーマイベイベーよりずっと以前の話である。
広島出身ビッグスターである吉川晃司のデビューのきっかけは「広島にとんでもないヤツがいる、見に来ないと一生後悔する」と自ら手紙をプロダクションに送りつけまんまとスカウトマンを呼びだした。そんな伝説からして、片道切符を手に田舎からのこのこ上京して来るバンドマンや、竹下通りをスカウト待ちするアイドル願望者とは元来格が違う。なにしろデビュー曲から、セックス、セックス、モニカって歌ってたから、ある意味セックスピストルズよりセンセーショナルだった、かもしれない。
そんな彼がデビュー早々主演した映画「すかんぴんウォーク」 (1984)、「ユー・ガッタ・チャンス」 (1985)、「テイク・イット・イージー」 (1986)、という大森一樹監督による三部作。それは架空のアイドル民川裕司、つまり彼自身のサクセスストーリーをそのまま物語りにしたような映画だった。が、特に内容というのは無かった。いや無かったとは失礼だが、あるとすればひたすら吉川晃司がカッコイイという、それだけ。そう、ただひたすらカッコイイ。もともと彼を売り出す為に作られた映画だから、むしろそれで十分だったと思う。
その三部作最後の映画「テイク・イット・イージー」を、中学のボクは映画館で観ていた。お馴染みの主人公祐司(映画の中でもスーパーアイドル)が洋風な部屋の真ん中に置かれた猫脚のバスタブに裸で浸かっている。海外公演が急遽中止になり、ぽっかり空いたスケジュールに暇を持て余している。そして突然思い立ったように旅に出る。たしかそんなオープニング。
それから数年後、ボクは上野のとあるバイク屋の前に立っていた。BMW社製の旧車バイクばかりを扱っている、たしかゲストハウスとかいうショップだったと思う。店の扉を開けると開口一番こう言った。
「サイドカーください」
店の中に居たいかにも職人風のおっさんらは顔を見合わせ、「キミね、サイドカーたって色々あるよ」とウンチクが始まったがそれを遮り、単刀直入にこう言った。
「キッカワと同じのください」
映画「テイク・イット・イージー」で北海道へ旅に出た吉川晃司が移動手段として選んだ乗り物がBMW製の旧型サイドカーだったが、その劇中で使われたバイクがこの店の提供だったことはエンディングテロップで見て調べていた。
「ああ、アレね...」
話が早かった。それからそれがBMW R27という60年代製の単気筒エンジンのものだと知った(水平対向ツインが売りのBMWからすると希少)。あとはサイドカーを取り付ける作業とセッティングですぐ手に入らないことも。
約半年後、サイドカーがきた。19才、初めて自分の金で買ったバイクがサイドカー。さっそくそいつで東京湾のフェリー埠頭へ向かった。もちろん北海道へ行くためだ。こうなったらとことん、take it easy。映画の中の吉川と同じようにスーツケースに洋服と大量のラッキーストライクだけ詰め込んだ(あと心配だからテントも)。
それから約半年ほど道内を旅した。テントで野宿もたくさんしたし、ラーメン屋でアルバイトもした。だけど映画みたいな西部の街も無法者との銃撃戦もなかったし、マドンナ名取裕子も、元警官でバーのマスター寺尾聡も、UFOを自宅の庭に呼ぼうとする長門裕之も、町長の黒沢年男もいなかった(何気に豪華キャスト)。
サイドカーはしばらくして手放した。あれから十数年、北海道には一度も足を踏み入れていない。ただそこから始まったボクのバイク遍歴も初めはコイツだ、とアルバムの写真を見て想うのである。そう、きっかけはキッカワ。
最高に懐かしく素敵な内容でした。民川裕司!自分もめちゃめちゃ憧れました。ユ‐ガッタチャンスの映画は10回以上も見た記憶がありアナタ様同様GPZ400Fを購入し民川裕司(吉川)になりきった思い出があります。アナタ様の文章を見て懐かしさが込み上げてきましたよ。民川裕司の3作品。今でも自分にとっては最高に格好い映画だと思っていますよ。最高だぜ!民川裕司=吉川晃司!
最高ですよね笑