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オレ、どこに向かってるのか。
2011.01.28
昨夜、息子と風呂に入ってていいとこ見せようと潜水した。潜って30秒くらい経った時、ヤツは急に僕の頭を抱きかかえ引っぱりあげた。「やべえ、オヤジ死ぬ」と思ったか。感情か本能かわからんが三歳児でも溺れる人間は助けようとする。ちょっと泣きそうになった。
小学六年生の夏に林間学校で千葉の大貫海岸に行った。
朝のお散歩タイムにみんなで海沿いを歩いてると隠れた砂浜を見つけた。そこでボクらは泳がせろと騒ぎ先生らも仕方ないと許した。みんな喜んで駆け出し、海へ飛び込んだ。なかでも特別言うことを聞かない僕らグループを前に校長が「ここまでだ」と立ちはだかる。
そこはまだ砂浜から海へ入って数メートルの場所だった。ブーたれつつ最前線ではしゃぐ僕ら。それを笑いながら見守る校長。ところが突然、鬼の形相で僕らの前から消えた。
先生らは誰も気づかなかったが、そこは遊泳禁止の場所だった。僕らを残し他の仲間が次々沖へ流されていく。見た目はふつうの砂浜だったが、入ってすぐ深い谷のように海底がえぐれていた。
ふだん偉そうな体育教師や他の先生は誰も海へ飛び込まなかった。が、ただひとり年老いた校長だけは生徒を助けに沖へ泳いでいった。海育ちで泳ぎに自信があったらしい。
一人助け、二人、三人、四人。五人目でついに力尽き、近くの漁船に彼を託し海に沈んだ。幸い漁船や防波堤にいた釣り人のおかげで他の仲間も全員救助された。
その夜の園内はやけに線香くさかった。
あくる日、バスで学校へ帰ると親やたくさんの野次馬とテレビでよく見るレポーターのおっさんやおばさんが待ち構えていた。そこで初めて校長が亡くなったと聞かされた。でも僕ら何人かはすでに勘づいてた。泣きじゃくる仲間に突きつけられるテレビのマイク。ああいう人らは今も昔もデリカシーがない。
テレビは「学校の失態」だと報じた。死んだ校長に責任を問うた。責任があるなら間違いなく僕らだし、結果校長を殺したのも僕らだろう。だけどそんな校長の生徒五人を救助した功績はあまり報じられなかった。
来月、救急法というのを日赤病院に受講しにいく。じつは水安の資格を取りたい。救急法はその水安を取る前の必須科目だ。救急法は心肺蘇生など倒れた人を救命する資格。水安は救助しに行く資格。簡単に説明すればそんな感じだ。
他にはクロール・平泳ぎ各100m以上、クロール又は平泳ぎで500m以上、横泳ぎで25m以上、立泳ぎで3分以上、潜行で15m以上という泳力が必要。ただしこれは最低限の参加資格で、実際にはさらに過酷なシゴキが待ってるとスイマー仲間に聞いた。訓練期間は9日間。9日間朝から晩までシゴかれる。大人になってシゴかれることなどあまりないので、いまからワクワクしている。もちろんその間、仕事は休業だ。
近ごろ、走るにしろ泳ぐにしろ記録に挑戦するにはもう歳だと感じる。先日のブログにあるようにそういうのには萎えた。ただ目線を変えれば意味はある。目標より目的。趣味のスイムもいつか役に立つかもしれないならやり続ける意味がある。
あの日の校長のように五人といかないまでも、自分の子供二人の命くらいは自分で救いたい。つーか、昨夜も一回助けてもらったし、その恩は返さねえと。
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