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「そして父になる」公開記念インタビュー そして映画になる 是枝裕和のクリエイション

2013.09.24

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今回、是枝監督のインタビューが決まってから、過去の作品を見返しつつ、是枝監督のクリエイションの特質とは何かについてあれこれ考えをめぐらせていた。

テレビ制作会社テレビマンユニオンで数々の傑出したドキュメンタリーを手掛けたのち、初の劇場映画『幻の光』(95年)以降、『ワンダフルライフ』『DISTANCE』『誰も知らない』『歩いても歩いても』など、つねに話題作、問題作を世に投げかけ、数々の国際的な映画賞も受賞し続けている。

主演の柳楽優弥が史上最年少でカンヌ国際映画祭の最優秀男優賞を受賞したことでも話題になった『誰も知らない』(04年)では、子役たちにセリフをその場で口伝えして撮影するドキュメンタリー的手法を採用し、フィクションを超えたスリリングな空気の創出に成功した。一方、かつての向田邦子ドラマを思わせる家族の物語『歩いても歩いても』では、一見アドリブのように思えるセリフのやりとりも、語尾も含めてすべて厳密に書かれたものだったという。

フィクションでドキュメンタリー的なことをやり、「演技とは思えない自然なセリフがすばらしい」と評価されればその逆をやる。「予定調和を崩す」のが是枝監督のスタイルなのかもしれない、などと思いつつ、こんな質問を投げかけてみた。
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編集まで自分でやるからこそ現場では壊されたい。

-今回、是枝監督のインタビューが決まってから一週間くらい是枝監督のことばかり考えていて、今だいぶ気持ち悪い状態に仕上がっているんですが(笑)、これまでの作品を見返して思うのは、「予定調和を崩したい人なんだな」ということでした。ご自身で脚本から監督、編集まで手掛けるということは、ご自分の世界観は大切にしたいという思いがある一方で、なるべく予定調和から逸脱したいというか。

是枝: それはストーリー的に、ということ?

-というより、作品のつくり方、ですね。フィクションなのにドキュメンタリーの手法を持ち込んだり、テレビドラマなのに映画的な話法を用いたり。その辺りは意図があるのか、むしろ生理的なものなのか。

是枝: ああ、生理的にそっちに行っちゃうんでしょうね。アマノジャクなので(笑)。自分の世界を具現化したい、そこから少しでもズレると嫌だというつくり手もおそらくいると思うんですけど...。

-編集までやられる監督はそういう人なのかな、と。

是枝: いや、編集まで自分でやるからこそ、「現場では驚きたい」「壊されたい」という不思議な感覚があるんですよ。別にМじゃないんですけど、「発見したい」という気持ちが強い。「あ、そうするんだ」というのがいちばん面白いから、「そう来るならこう撮ろう」とか、「そこがそうなるなら、次のシーンはこう変えようか」ということになる。有機的な変化というか、変化が連鎖して、自分が最初に考えていたことが、平面から立体に起ちあがってくるプロセスの中で、何か別の要素が外から加わることで変わっていくというのがつくっていていちばん面白いんです。その「別の要素」というのが子どもだったり素人だったりするんですけど。

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-いちばん予測不可能なのは子どもですよね。だから監督の作品では子どもを多く起用されるんですね。ということは、脚本で一回つくり上げたものを現場で壊して...。

是枝: あ、脚本で一回つくり上げてないかもしれないですね。脚本で6、7割つくったものを現場でつくっちゃ壊しを繰り返す感じだと思います。ルール上、決定稿は出しますけど、いつも「決定稿とは書いてありますが決定ではありません」というただし書きがスタッフによって書かれています。つまり、「信用しないでください」と(笑)。

-なるほど。脳内で世界観をつくり上げるのではなくて、あくまでもアウトラインとしての脚本があって、それをもとに現場で足したり引いたりしながらつくりあげていく、と。そうすると、編集の段階では、かなり引いた目で全体のバランスをとってつくり込んでいくということになるんでしょうか。

是枝: 確かに編集はそういう作業ですね。まず、脚本に書いたものを現場でみんなの手で壊してもらって再構築し直すわけですね。そこで一度「みんなもの」になったものを編集の段階でもう一度「自分のもの」として取り戻すという感じでしょうか。 でも、そこでも新たな発見をするのがいちばん面白いんです。現場ではこう感じたけど、こういう使い方をすると別のものに見えるとか、脚本上では1、2、3と並んでいるシーンを1、3、2にすると面白いとか。そういう作業を通して、今まで見えていたものとは違うものが見え始める。編集作業はそれが圧倒的に楽しくて。自分で編集までやるのは、「こんなに楽しいことは人にやらせたくない」という単純な話なんですけどね(笑)。

-まだまだお聞きしたいことはあるんですが、どうやら時間切れのようです。

是枝: はい、ぜひまた次の機会に。

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ということで正味15分の是枝監督との対話は終了した。短い。あまりにも短かったが、それでも「是枝裕和のクリエイション」の核心に(わずかにでも)触れる濃密な話が聞けたのではないかと思う。これもひとえに監督の真摯な受け答えの姿勢があってこそだ。

用意していたけれど聞けなかった質問のひとつに、「井浦新さん演じる山辺という男のつくる人工林のエピソード」がある。全体のストーリーに対してやや唐突なエピソードとも思える、ごく短いシーンなのだが、観終ったあともずっと心に引っかかっていた。そして、ふと「あの人工林をつくる男こそ是枝監督自身ではないか」とひらめいた。

福山雅治演じる良多に、とても人工とは思えないナチュラルな森を案内する山辺は、「15年経ってようやくセミが来るようになりました」などと言うのだが、劇中ではちょうどこの辺りから、良多の心のありようが少しずつ変化の兆しを見せ始める。それまでの「都会の論理」から、「自然の摂理」のようなものに感情がシフトしていくという意味で、このシーンはとても重要な転換点ではないかと思うと同時に、この「きわめて無秩序でナチュラルに見えるけれど、実はある1人の男によって管理されている空間」こそが是枝裕和作品なのかもしれない、などと想像してしまったのだ。もっとも、こんな妄想めいた質問をぶつけたところで「それは深読みし過ぎですよ」などと言われてしまう可能性は大きいのだが。

それにしても、『そして父になる』のインタビューで福山雅治の「ふ」の字も聞かないインタビュアーなんて、我ながらどうかしている。しかし、今作では福山雅治自身も「作品の一部になることを望んだ」と語っているようなので、ことさら「福山雅治主演作」という見方をする必要はないのだろう。本作における福山雅治は、エリートで、お金持ちで、美人の嫁がいて、かわいい息子がいて、そして当然ながらかっこいい。しかし、本人は自覚していないが、ものすごく嫌味なことをサラッと言う、同性からするとかなり鼻持ちならない男なのだ。福山雅治というアーティスト/俳優のパブリックイメージを逆手にとった設定とも言えるが、そんな男が、最後に少しだけ成長し、人間味を取り戻す。子どもによって父親にさせてもらっていることに気づく姿は、静かに胸を打つ。まさに俳優・福山雅治の新境地と言えるだろう。「福山雅治主演作」という冠によって観に行く人もいれば逆に行かない人もいるのかもしれないが、そうした先入観をとっぱらって一個の映画として観られることを願いたい。

『そして父になる』

監督・脚本・編集:是枝裕和
出演:福山雅治、 尾野真千子、 真木よう子、リリー・フランキー、
風吹ジュン、國村準、樹木希林、夏八木勲

配給:ギャガ
9月28日(土)新宿ピカデリー他全国ロードショー
9月24日(火)~27(金)全国先行ロードショー

公式サイト:soshitechichininaru.gaga.ne.jp/
公式Facebook:www.facebook.com/soshitechichininaru
公式Twitter:twitter.com/soshitechichi
(C)2013『そして父になる』製作委員会

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