お手本は映画からロックミュージシャンへ

―高校生というと、まさに思春期といった時代ですが、何か趣向的な面でそれまでと変わったりした部分はあるのでしょうか?

栗野:その頃になると、色気付いてきますよね。次第に映画の世界から音楽へとシフトしました。もちろん洋楽です。ビートルズやストーンズやザ・フーといったロックミュージシャンに憧れました。そうなってくるとジャケット写真に見る彼らの服装が気になってくるんです。

―今度は銀幕のスターからミュージシャンのスタイルを取り入れるようにシフトしたんでしょうか?

栗野:なによりも、まずは彼らの奏でる音楽が格好いいですからね。凄く影響されました。今よりも情報が少ない時代でしたから、ジャケットを見たり音楽雑誌の小さな写真を参考にしたりしました。例えばジョージ・ハリソンはローカットのスニーカーの片足だけつま先を赤くしてたんです。左右をすぐ分かるようにするためなのか、単なるペンキ汚れとかなのかは分かりませんが、それをすぐに真似しました。ミック・ジャガーが黒いシェットランドニットを素肌に着ているのも、ジェイムス・テーラーがダンガリーシャツにサスペンダーをしているのも取り入れました。かなりミーハーですよね。

―その当時で洋楽を聴き、服装まで模倣するような人は少なかったのではないでしょうか?

栗野:でしょうね。趣味の合う少人数のコアな仲間たちで濃い話をしていたのだと思います。

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今はもちろん廃盤となっている、かつての名曲レコード。氏の自宅にはこういったレア盤が山ほど眠っているとか。

―では、ずっとロックな感じで?

栗野:大学生くらいですかね、72年から73年くらいに現れたデビッド・ボウイには驚きました。何て格好いいヤツが出てきたんだって。髪をオレンジ色に染めるところまでは真似しませんでしたが、かなり傾倒しました。「ミュージックライフ」という雑誌をよく参考にしていました。当時はまだ「MTV」はなかったのですが、PVみたいなものはすでにあったので、それを見て参考にしていました。

―では、それからはボウイ一色になったのでしょうか?

栗野:いえ、ボウイは好きでしたが他にも幅広く聴いていました。ロキシーミュージックからグラムロックにも興味を持ちましたし、その頃からミュージシャンの服装と、ステージや映像でのリンクといいますか、世界観の統一というものは散見できたと思います。この曲だからこそ、この衣装を選んでいる、といったものが分かるようになると色々なものが見えてくる気がしたんです。

―その他に注目していたアーティストというと誰になりますか?

栗野:ブライアン・フェリーですね。イギリスは階級社会ですから、当時は彼らみたいな、大学出のインテリのロックミュージシャンって多くはないんです。歌詞も文学的ですし。どうしても洋楽を聴いていると、詩の内容を知りたくなって追求するじゃないですか。僕にとっての英語の先生はそういったミュージシャン達でした。フェリーが白いディナージャケットを着ている2枚目のアルバムがあるんですが、それにも驚きました。これぞ伊達男という感じでしたね。まさに革命でしたよ、ロックの人間がスーツ着てるんですから。その頃からはジーンズにTシャツみたいな服装をすることは減りました。コードレーンのスーツなんか着てね。22歳くらいの頃です。それもトラッド視点というより、フェリーのスタイルを模倣したんです。結果的に、あれがトラディショナルなのか、というように回顧することはありましたけどね。

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デビッド・ボウイやブライアン・フェリーの着こなしも勉強できるLPたち。今見ても色褪せないスタイルには驚き。

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