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平山洋次HEMT PR代表/ディレクター1977年生まれ、セレクトショッププレスを経て、プレスオフィス「HEMT PR」を設立。PRと販売促進をリンクさせる構築的なプロモーションを提案。www.hemtpr.com

ヘムト日記

平山洋次
HEMT PR
代表/ディレクター

1977年生まれ、セレクトショッププレスを経て、プレスオフィス「HEMT PR」を設立。PRと販売促進をリンクさせる構築的なプロモーションを提案。
www.hemtpr.com

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バスケ界のパイオニア

2009.05.01

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現在アメリカプロバスケットボールリーグ(NBA)の「ヒューストン・ロケッツ」には、
中国人センター"ヤオ・ミン"がいる。
日本にも、元NBA選手の田臥 勇太がいる。
それは、アジアのバスケットボールがやっと世界レベルに近づいた証なのだろう・・・

しかし、30年近く前にアジア人初のNBAドラフト指名選手が
この日本にいたことをご存知だろうか?
その名も・・・・・・・

okamoto-pola.jpg

"岡山恭崇"(Yasutaka Okayama)
身長230cm
体重150kg
靴の大きさ37cm。
柔道の篠原信一に間違えやすい」

1981年のNBAドラフトで、「ゴールデンステート・ウォリアーズ」から
ドラフト8巡の10番目で指名を受けた。
(アジアのレベルを考えると超異例の出来事であった。)

だが、当時のNBA選手は、ナショナルチームに参加できない決まりがあった為に、
岡山さんは日本代表を優先して入団を断ったらしい。
「まさに、侍魂を持った男である!」

しかし私は覚えている、
15年前バスケットボールの解説でTV出演している際、
アナウンサーからの質問に対し、こんなことを言っていた。

『岡山さん、そう言えば昔NBAのチームからドラフト指名されたらしいですね?』(アナウンサー)

『はい、いやードラフトされた報告は受けたのですが、冗談かと思って合宿に参加しなかったんですよ~。後から本当の話だと聞いてビックリしました。ハッハッハッー。』(岡山)

『エッ・・・・冗談だと思った・・・ですか・・・』(アナウンサー)

岡山さんとアナウンサーのやり取りは異様な空気を残したまま終わったのだが、
もし、岡山さんが冗談だと思わず「ゴールデンステート・ウォリアーズ」の合宿に参加していたら、
NBA初のアジア人プレイヤーが日本から誕生し、「ヒューストン・ロケッツ」のセンター"ヤオ・ミン"は、「岡山2世」と呼ばれていただろうか?

しかし、ドラフト8巡の10番目で指名って・・・・・(当時のNBAでもチーム数20チームはあったと思うので、それぞれのチームが8巡すると言うことは、全体で150~200番目くらいの指名)
冗談だと思ったのは正解かも・・・・・
「岡山2世」無いな。。

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