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1969 full version 揺るぎない個性。そしてアメリカ。強烈な「個」を生み出した、1969生まれのセンパイに訊く。

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第二の故郷、アメリカ。

—内田さんにとって「アメリカ」ってなんですか?

内田:自分はもともとアメリカが好きでスタートしたんだけど、ファッションって流れがあるじゃないですか。アメカジとか渋カジブームってのがあって、そのあとみんなアウトドアにいったりだとか。自分はそんな流れの中で、ヨーロッパの古着に興味がでてきた。アメリカはもう飽きたというよりヨーロッパが新鮮にみえたんですよ。とにかくアメリカにいる期間が長かった。年に4ヶ月くらい行ってたのかな。

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内田: 2ヶ月アメリカに行って、4ヶ月日本にいて、2ヶ月またアメリカに行く。そのサイクルを10年くらいやってました。すると、暇だから古着以外のアメリカを見ることになるんですよ。休みの日に家を見にいったりとか。洋服だけを紹介するのは限界もあるし、家にまつわるモノを紹介したいな~みたいな思いが膨らんで「ジャンティーク」のカタチに行き着くんですけど。「サンタモニカ」にいたときは「内田くん、家具をやっちゃだめだよ」って言われてたし。お店に長くいたから、選手兼コーチみたいな役割が出てきて。俺は生涯現役でやりたいなと。商品管理とか、人を統括するとかちょっと嫌だなあと思って。

—スタッフの育成だったり、マネジメント的な役割ですね。

内田: そうなんですよ。生涯現役でやるにはどうしたらいいかと思ったときに、アメリカだろうがヨーロッパだろうがアフリカだろうが、アンティークはどの国に行っても買えると。それがいいと思って、今に至ってますね。

—なるほど。

内田: 今はなんでもありですけど。ただやっぱりベースはアメリカなのは変わらずにあるんですよ。

—猛烈に、「やっぱりアメリカがいいな」と思うのは何だったんですか?

内田: もう、楽になっちゃって。日本に住むのと一緒で、飛行機を降りるとホッとするもんね。

—第二の故郷的な感じですか?

内田:ニューヨークはそうでもないですけどね。緊張しますけど。

中島:渡米回数の話をしたらウッチーが遥かに上ですからね。

—そうですよね。

内田:18歳から1年も欠かさず行かなかったことはないから。

—アメリカに着いてホッとするって面白い感覚ですよね。

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内田: 東京よりもロスのほうがナビとか入れずに運転できるかも。

秋山:なかなかいないですよ。

—それすごいな。

内田:だからその…カッコつけてとか、いろいろ初めはあるじゃないですか。そういうんじゃなくて、わりとふつうの…

—もうすでに、アメリカのここがいいよね!というレベルではなくて、お肌レベルでアメリカがあるってことですよね。

内田:肌は合わないんですけどね(笑)。水もそうだし空気は乾燥してるからね。たとえば「アメリカで食う朝の日本食好きだなぁ」とか。そんな感じですね。昔はかっこつけて、アメリカいくとアメリカのご飯しかたべないとか言ってたけど。

中島:今はなんでもある時代になったしね。

内田:ちゃんと朝飯で日本食たべたら昼いらないし、みたいな。そういう、ふつうの生活の話になっちゃいます。すいません、だからつまんない(笑)。

—いやいやいや、それがおもしろいです。中島さんはどうですか?アメリカって。

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中島:ウッチーがそうやってアメリカに仕入れに行って、帰ってくれば話を聞かせてくれる。そういう環境の中で僕はアメリカに行くようになった人間なので。ある程度情報を持った状態で行ってるんでね。年齢も年齢で、もう30超えてからなんで。自分がもう、すれちゃってるから(笑)。

—すれてる(笑)。

中島:ある程度覚悟してからの仕入れになってきてたのでね。だからウッチーとは全然違いますよね。

—でも内田さんみたいに、先にどんどん行ってくれてる人が身近にいるとめっちゃおもろいですよね。

中島:それはそうですね。ウッチーは「サンタモニカ」に入ったのは18歳? 18歳のころからの付き合いですからね。

内田:同い年で、こんなお洒落なひとがいるんだな~って思ったなあ。何言ってるかわかんないし(笑)。

—どういうことですか?

内田:マメがどうだとか、チンがどうだとか言ってんですよ。マメってのはリベット、マタリベのことで。

中島:そうそう。

内田:チンってチンストラップのこと。

—なるほど!

内田:俺わかんなくて。マメとかチンとか言ってるけど、なんの話だろうと。

中島:上のひとたちが独自で略しちゃってましたからね。それを覚えてね。いまそういうのはあんまりないね。

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中島:その時代って、ウッチーが18歳のときに「サンタモニカ」に入って、やっぱりいちばん下っ端なわけですよ。僕は同い年で、相当古着屋まわってて。でも、当時の僕ら世代は古着屋まわってたひと少ないんですよ。どこの古着屋行っても、古着屋が怖い・敷居が高い時代だったんで。

内田:店員が偉いっていう感覚はあったね。

中島:いちいち緊張してたよね。でもウッチーも俺もやっぱ好きだったし、モノを見たいからね。

内田:偉いっていうよりはね、教わるっていうか。

中島:そうそうそう、まずはそこから。

秋山:喋ってみるといいひと多いですよね。

内田:そうなんだよね。意外にね。

中島:そうやってかわいがられて、お店のスタッフさんからいろんなものを見せてもらって。それで学んでったところが大きいですからね。

内田:いまでいう骨董屋さんの流れに近いかもね、なんだか。一見さんお断り、とまではいかないけど。何回か買ってるからぼちぼち教えてやるか、みたいな。

秋山:ははは。

内田:お願いします!みたいな。

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中島:俺なんか学校さぼって、高校の頃とか学生服で行っちゃってたんですよ。学ラン着て。「お前なにやってんの?学校どうしたの?」って言われるわけ。

(一同笑)

中島:「お前学校サボって来んじゃねーよ」ってよく怒られてさ。すいませーんなんつって。で、制服のまんま外で煙草吸ってると「お前制服のまんまでうちの店の前でタバコ吸わないでくれ」とかさ。よく怒られたよ。

—そらそうですよね(笑)。

中島:でも覚えてもらえた。こいつ学生服でいつも来る奴だ、って。

—めっちゃタバコ吸ってるし。

中島:そうそうそう。そうやって覚えてもらったから。

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中島:ウッチーも当時、いいものが「サンタモニカ」に入ったりすると連絡くれてさ。今日入ったよ~って。それで見に行ったりさ、仲いいやつと一緒に。

内田:情報もまわるからね。いいのがお店に出ると聞けば、みんな行くし。

中島:でも俺なんか当時若いからさ、行ったらその商品を隠されちゃってたりとか。

(一同笑)

中島:なんだよ、ねーじゃんと思って。オレらみたいに若いのに買われたくないっていう、そういうお店もあったよね。そういうときは1回帰ってまたすぐ戻る!とか。

—また来た!みたいな(笑)。

中島:出てんじゃ~ん、あるじゃ~ん、みたいな。

内田:それで、あったんだ(笑)。

中島:あったよ。俺、若いころはけっこう煙たがられてたと思うよ。

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