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1969 full version 後編 揺るぎない個性。そしてアメリカ。強烈な「個」を生み出した、1969生まれのセンパイに訊く。

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バブルが生み出した古着ブーム。

中島:オレらの世代って上の世代と今の若い子たちの中間世代なのかな。上の人たちにいわせると、バブルで甘い汁吸ってきてるこの世代がいちばん嫌いだって言われますけど。

内田:だけど、バブルのときっていったら自分たち10代じゃない?

中島:20代前後くらい。

内田:それくらいがピークだったか。当時って、まわりに言ったら誰でもいつでも金借りれたじゃないですか。

中島:うん借りれた。

秋山:ははは。

中島:法外な金利払ってね。

内田:シブカジって調子よかったから、バブルが弾けたの知らないんですよ。古着業界全体がわりとずっと調子よかったですよね。

中島:俺はまだその頃は、工事現場とかでバイトしてた。高校生のバイトで日給1万円超えが当たり前だったし。

秋山:月で35万くらいいってたんすかね。

中島:夜勤とか入っちゃうと、高校生のオレでも日給1万5千円とかね。だからあんなに古着買えてたんだよ。まだ若いでしょ?だから身体も動くじゃん。メシなんかも、富士そばとか吉野家でいいのよ。とりあえず生きていければいいから。毎日バイトして、週末来るとお金もらって全部古着買って。

—へぇ~!

中島:そういうのを繰り返してますよね。まぁ物価が違いますけど、今よりよっぽどお金持ってたかなあ。使えるお金というか遊び金は。

秋山:お金がちゃんとまわってましたよね。

中島:「あれ欲しいから」ってがんばって働いたもんね。今週がんばってあのデットストックのGパン買おう!って。

内田:古着は売れ出したのがバブルからですよね。高校生がみんな〈ラルフローレン〉のボタンダウン買いにきてたしね。

—街の様子も、今とは全然違いましたか?

内田: (バブル崩壊後も)渋谷原宿は廃れてないよね。全然。

中島:オレらが単純に思う渋谷原宿だけでいうと、あの街って別に落ち込んでないよね。

内田: 土日の人の量ってすごかったから。みんな遊歩道抜けてたんですよね。いまそんなことしないもん。

中島:表参道界隈みてたってね、あんだけすごいビル建ってさ、ラフォーレまわりもそうだけどさ、やっぱり人が集まるところだからね。人の多さだけで言っちゃったら、ですけどね。とんちゃん通りは何もなかったよね。

内田: とんちゃん通りはただのとんちゃん通りだったね。

秋山:ほんとに「とんちゃん」しかなかった。

内田: スペイン坂とか。必ず行ってた気がするなぁ。なにしに行ってたんだっけ(笑)。

中島:スペイン坂ね、なんか通りたくなっちゃて。

秋山:絶対通ってました。

中島:クレープ屋とかあったよね。スペイン坂ね。

内田:(今も)あると思うけどね。あとは映画館くらいしかないよね。

中島:何年も行ってない。何十年もあるいてないな。スペイン坂。

内田: ね!

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1969年生まれと、映画。

内田:あそこで『ドラッグストアカウボーイ』を観た記憶があるんだよね。スペイン坂のとこの映画館で。

秋山:いい映画ですね。マッド・ディロンが好きな世代ですもんね。

内田:そうマット・ディロンが好きだから、先月ポートランドのエースホテルにいったときも「ここがドラッグストアカウボーイの撮影場所だ!」みたいな検証してきたよ。

中島:そうだね、こういう話になったからだけど、若いころってそうなんだよ。古着が好きになったのってやっぱり映画なんだよなオレら。

内田:映画だね。

中島:映画だな!

内田:音楽だともしかしたらイギリスのほういくかもね。ヨーロッパとか。

中島:そうじゃなくて映画なんだよね。音楽はさ、まだレコードの時代だったりするからPVとかの映像じゃなくて、ジャケットぐらいしかみられない時代だったからさ。

内田:海外にはミュージックビデオあったんだろうけどね。

中島:うん、日本はあんまりね。

内田:衛星放送でそういうのが観れる家って、相当お金持ちだったような気がするんですよね。

中島:俺ら一般層だとやっぱり映画なんですよね。VHSベータでね。レンタルビデオ屋でビデオ借りてきてね。

内田:そう、音楽番組は「ベストヒットUSA」ぐらい。

中島:ああそうだね!

—そうか、古着やアメリカにどっぷりハマったきっかけは。映画だったんですね。

秋山:「アメリカン・グラフィティ」とかね。

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