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なりたかった大人になれなかったすべての人たちへ。『海よりもまだ深く』是枝裕和監督 Special Interview

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ー私も、必ずしも良多と同じ境遇というわけではないんですが、観ていて終始身につまされて仕方がなかったです。母親との関係性も含めて身につまされ具合が結構たまらないものがありまして。もちろん、映画はただ悲惨な話として終わるのではなく、最終的にあの団地という場所があって良多にとって良かったなと思えるし、それがちょっとした希望でもあり光でもある。その辺りは最初から描こうと思われていた部分なのでしょうか。

是枝:最初に団地の何を描こうと思ったかというと、子どもの頃、台風が過ぎ去った翌朝、学校へ行く時に見た芝生の光景なんです。僕にとって団地というと、台風の翌朝に陽の光を浴びてキラキラと輝く芝生の美しさがまず目に浮かぶ。だから、団地を舞台にしようとした時に、何ひとつうまくいってないし、何かが好転したわけじゃないんだけど、台風が来た翌朝の芝生はきれいだ、という話にしようと思いました。そこの感情に着地できればいいなと思っていましたね。

ー台風そのものというより、むしろ台風のあとの芝生のきらめきこそ描きたかった、と。

是枝:台風って特別な時間だから、その時間の中でなら普段起きないことが起きてもいいんじゃないかな、と。それで、いろいろな経験をしたあとに、「でも芝生がきれいだ」という一行を最後に置く、というイメージだったんですよね。

ーじゃあ、脚本を書く段階で、「みんながなりたかった大人になれるわけじゃない」という最初の一行と、「でも芝生がきれいだ」という最後に置かれるべき一行がほぼ一緒に生まれた、と。

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是枝:そこが最初にできたのと、何カ所かキーになるところがあって徐々に形になっていったという感じです。最初にシーンとして書いたのは、良多が仏壇の線香立ての灰を掃除するところです。そんなに昔の話じゃないですけど、僕が夜中、仏壇に線香を立てようとしてうまく立てられず、一人で新聞紙を広げて割り箸で線香立ての灰を掃除し始めたら、ふと父親の葬式でお骨を拾った時のことが甦った。それで、「夜中に息子が仏壇の線香立ての掃除をしている」というシーンをまず書いたんです。そういう風に、断片的にいろいろ集まってきたものを最終的に一晩の話にまとめたという感じですね。

ー『歩いても 歩いても』は、いしだあゆみの『ブルー・ライト・ヨコハマ』の歌詞から引用したタイトルでしたが、今回はテレサ・テンの『別れの予感』の歌詞から引用したタイトルですね。『別れの予感』の歌詞が直接、『海よりもまだ深く』の物語とシンクロするわけではないのかもしれませんが、観終わって考えると、別れの気配を察しながらもまだ相手に対する深い愛情があるというこの歌が、母親の息子への愛情、別れた妻・子への元夫の愛情と底のほうでつながっているようにも思えて、これまた実にうまいタイトルをお付けになったなあと思いました。

是枝:ありがとうございます。本格的に脚本を書き始めた時に、この作品は『歩いても 歩いても』の続編ではないにせよ、姉妹編のようでもあるし、一曲何か印象的な曲を劇中でかけたいなと思って、線香立ての掃除をしている時にかかる曲として思いついたのがテレサ・テンでした。

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ータイトルは、脚本を書き始める時点で付いていたんですか?

是枝:付いてました。先に付けちゃいました。

ー何か仮のタイトルが先にあって、ということでもなく。

是枝:『歩いても 歩いても』の時も、タイトルを先に付けちゃって、どこかで『ブルー・ライト・ヨコハマ』をかけようということだけ決めて、話の展開も白紙のまま、そのタイトルに向かって書くというやり方をしています。今回も、まず「テレサ・テンだな」と思って、テレサ・テンの曲を歌詞カードを見ながら片っ端から聴いてフレーズだけ決めて、そこへ向かって書いた。

ーということは、ひょっとしたら別の曲になっていた可能性もあったわけですね。

是枝:そうです。別の曲だったら、かなり違った話になっていたと思います(笑)。

ー『海よりもまだ深く』というタイトルから最も感じるのは母親の息子に対する愛情ですが、このタイトルのおかげで、真木よう子さん演じる良多の元妻・響子も、良多に対してどこかまだ愛情をもっているのかなとも思わせます。

是枝:ちょっとだけ、ね。

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ーこれまで阿部寛さん演じる良多に対して妻役の女優さんはその都度変わっていますが、今回の良多の人物像であれば、元妻は真木さんがふさわしいだろうということで配置されたということで良いのでしょうか。常にお金のことしか言わないような人ですが、根底にはどこか愛情があるようにも見えるという。

是枝:まず強い人、リアリストだということが今回の響子という役には必要でした。

ー子どもの将来も含めていろいろシビアな選択をしている人で、一方、良多はいまだに夢をあきらめきれずに自分のことで手一杯という。その辺りは是枝監督が日ごろから感じたり考えたりしている男女観のようなものが反映されているのでしょうか。

是枝:男と女が違う時間を生きているというのは実感ですね。一緒に暮らしていてもまったく違う生き物だと感じます。その違いがお互い許容できないくらいに広がってしまうと、ああなるしかないのかなと。

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ー『そして父になる』『海街diary』と2作続けて撮影は写真家の瀧本幹也さんでしたが、今回は『ワンダフルライフ』以降タッグを組まれてきた山崎裕さんです。ご一緒されるのはドラマ『ゴーイング マイ ホーム』以来だと思いますが、今回、団地という独特の空間をどのように撮るのかという話は山崎さんと事前にされたのでしょうか。

是枝:いや、特にしてないです。今回、団地の中に関して言うと、この空間はこの位置から撮るしかないという場面が物理的にもあるし、僕の中にも明解にあったので、それほど迷わずに、「山崎さん、こうしましょう」という感じでした。

ーああ、もう間取りもすべてわかってらっしゃるから、脚本を書く時点で、この場面はこのアングルから撮るというイメージがあったわけですね。

是枝:そうそう。テレビのある部屋から台所のテーブルをナメて冷蔵庫を引っかけながら奥の仏壇、という構図が団地の狭さと空間の奥行きを表現する時にいちばんわかりやすいとか、そこから90度ひねってトイレ向きという基本ポジションがおのずと決まってくる。そこに、どう人と物を詰め込んでいくのか、というのが面白いところだったんですけどね。

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