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なりたかった大人になれなかったすべての人たちへ。『海よりもまだ深く』是枝裕和監督 Special Interview

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ー今回、撮影・映像に関して言うと、70年代のアメリカンニューシネマや、それに影響を受けた当時の日本映画のようなテイストを感じる瞬間がありました。特に阿部寛さんと池松壮亮さんが絡むシーンにそうした匂いを感じたんですが。

是枝:そうですか?

ーその辺りは何か狙いがあったのでしょうか。いや、あの二人のシーンがすごく良かったんですが。

是枝:うん、二人のシーン良かったですよ。

ー70年代のアメリカンニューシネマ的な匂いというものを特に意識されたということでもないんですかね。

是枝:撮影に入る前に『動く標的』(1966年)とか『ロング・グッドバイ』(1973年)とか、何本か探偵ものは観ていたので、多少はあるかもしれません。でも、意識はしてなかった。むしろ、内容は全然違うんだけど『真夜中のカーボーイ』(1969年)とかかな。

ー『スケアクロウ』(1973年)とか。

是枝:その辺りのアメリカンニューシネマのバディものというか、男二人が歩いてる感じというのはあるかもしれないですけどね。特別に意識してたわけじゃないけど、言われてみると、それはあったかもしれません。

ーもちろん直接的ではないのですが、ザラっとした画のトーンとか人物と風景のからめ方に、どこかその辺りの匂いを感じました。

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是枝:なるほど、そうですか。『そして父になる』も『海街diary』も、一枚の画の強さというか、決めカットが結構大事な映画だったんですけど、今回の映画で言うと、決めカットを撮ってないんですよ。あるカットを突出させないように撮っている。その辺が山崎さんを選んだ理由でもあるんですけど、今回は日常的な空間の中でどう人間を撮っていくかということを意識したんだと思います。

ー順番としては『海街diary』よりも先に撮っているんですか?

是枝:合間ですね。『海街diary』の桜とアジサイの撮影の間に撮っています。

ー今回、池松壮亮さんを初めて起用されていますが、とても良かったですし、是枝作品にすごく合う佇まいだなと思いました。

是枝:うれしい、そう言われると。すごく良かったです。あの役は、池松君になってふくらんだんです。この話は基本的にホームドラマなんだけど、阿部さんと池松君の二人の時間は、そこはそこでひとつの親子になっている。疑似親子があそこにできているんです。

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ーそうなんですよね。

是枝:池松君にすれば、阿部さんはもう会っていない父親の代わりだろうし、阿部さんは池松君の向こうにどこか息子を見ているという関係が、血縁の外側にある。それが映画としてはすごく良かったと思います。

ーたぶんお互いが救われている瞬間なんだろうなということが観ていてわかるんですね。特に池松さんの笑い方が良くて、あの笑い方があることでとても救われる感じが…。

是枝:しましたね。すごく良かったと思います。

ー樹木希林さんが素晴らしいのは言うまでもないんですが、今回もすばらしい台詞がたくさんあります。それは登場するほぼ全員にあって、すべてを書き出したいくらいです。先ほど決めのカットは撮らなかったとおっしゃっていましたが、決めの台詞は山ほどあるなあと思っていて。ということは、「決めの台詞を決めの画で見せない」という辺りを計算されていたわけですか。

是枝:そう。それがやりたかったんです。

ーわかりました! それがわかれば、大丈夫です(笑)。

是枝:(苦笑)

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ーところで、清瀬の旭が丘団地は、実際に行ってみるとリノベーションをしている部屋があったり、あらたに若い層を受け入れようとしているようにも見えましたが。

是枝:リノベーションはまだ遅れていますね。清瀬の他の団地では建替えが進んでいたり、棟を建て増しして部屋数を増やしたり、いろいろ始めているんですけど、旭が丘団地はちょっと遅いですね。駅から遠いから。

ー新しい団地の場合、高層化しているところも多いですが、旭が丘団地のように4~5階建てくらいだと、最上階のベランダから下を歩いている人が見えるし、下からもベランダの人が見える。その距離感が独特ですし、特に映画の終盤はその団地の構造によって成り立つ画になっていて、結果的にこの団地で撮れて良かったなと思いました。

是枝:そうですね、本当に。

ーあのタコのすべり台が印象的でしたが、あれは昔からあったんでしょうか。

是枝:実際に団地に行かれたんですよね? 実はあれは、正直に言いますと…。

ーやはり別の場所ですか? 探したんですけど、タコいないなあ、と(笑)。

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是枝:僕が実際に台風の夜に行ったのは旭が丘団地の「貝がら公園」という場所だったんですけど、子どもが減ったこともあって撤去されていました。オブジェのあるすべり台を探しても、もうあまり残っていないんですよ。そこで見つけたのが同じ清瀬の野塩団地にあった、あのタコのすべり台。とても印象的だったので僕も覚えていて、それを撮ったんですが、実はその後で撤去されて今はもうなくなっちゃいました。ギリギリで撮れて良かったですけどね。

ーそうなんですか。じゃあ良多が子どもの時に上ったという給水塔も…。

是枝:給水塔も旭が丘団地では既になくなっていたので野塩団地で撮りました。団地好きにとって、給水塔の形というのはかなり重要なんです。今となっては必要ないものだけど、団地のシンボルなので。

ー確かに〇〇団地といえばこの給水塔の形、という意味で象徴ですよね。機能性ではなく。

是枝:そうなんです。絶対あったほうがいいですよねえ(笑)。僕の中では明快に「旭が丘団地の給水塔の形」というのがあるんですけど、残念ながらそうじゃないものを撮りました。「こういう形の給水塔」という絵を描いて探したんですけど、どうしても見つからなかった。本当は給水塔だけCGでつくろうかと思ったくらいなんですけど(笑)。

団地というのは不思議な場所だ。その元になったであろう海外のアパートメントや集合住宅とは似ているようでどこか違う。団地の敷地内がひとつの街のように形づくられ、隣接する商店街とも一体化した独特のコミュニティが育まれている。日本の高度成長期に誕生した団地も、築50年を超えて老朽化し、かつてはにぎやかに響いた子どもたちの声もいつしか聞こえなくなり、住民の多くは高齢者となった。しかし、時代の流れに取り残されたかのように見えても、そこは誰かにとって居心地のいい場所であり、誰かにとって心のよりどころであり、誰かにとって故郷と呼べる場所でもあるのだ。「なりたかった大人」になれていない良多にとって、この団地での思い出こそが故郷なのだろう。そこには、母親のつくる「カルピスを凍らせたアイス」があり、台風の夜にこっそり忍び込んだすべり台がある。くすぶり続ける作家である彼は、探偵の仕事を食いぶちにしながら、頭に残ったフレーズを付箋に書き自宅の壁に貼る。そこには、さまざまな人生の断片がちりばめられている。別れた妻と子供とともに台風の一夜を過ごした良多は、これからまた小説を書くだろう。そして、それはささやかながらも普遍的で魅力的な物語になるはずだ。これから良多が書くであろう「ささやかながらも普遍的で魅力的な物語」。『海よりもまだ深く』とは、そういう映画である。

海よりもまだ深く

原案・監督・脚本・編集:是枝裕和(『そして父になる』『海街diary』)
出演:阿部寛 真木よう子 小林聡美 リリー・フランキー 池松壮亮 吉澤太陽 / 橋爪功 樹木希林
gaga.ne.jp/umiyorimo
5月21日(土)丸の内ピカデリー、新宿ピカデリー他 全国ロードショー
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